第469話:「会合:1」

 時勢はエドゥアルドに傾き、自分たちからは離れつつある。

 そのことを自覚しつつも、ベネディクトもフランツも、負けを認めるつもりなどなかった。


 彼らにとって皇帝位というのは、その人生の目標となっていたものなのだ。

 ヘルデン大陸の古き大国、タウゼント帝国の至高の存在。

 皇帝。

 その地位につくということは、実質的にヘルデン大陸のトップに君臨したと主張しても、決して誤りではないことだった。


 皇帝になるために。

 ベネディクトもフランツも、これまで多大な労力と金を注ぎこんで来た。


 ここであきらめては、そのすべてが無駄になってしまう。

 自分の人生が、無意味なものとなってしまう。


 理屈の問題ではなかった。

 両公爵は、あきらめることなどできないのだ。


 だが、2人は着実に追い詰められつつある。

 自身の陣営に参加している諸侯の心はエドゥアルドの挙兵以来少しずつ離れて行っているし、兵の士気の低下も目立っているのだ。


 自国の国力を越える規模の軍隊を展開しているために、補給が滞りがちになっている。

 今のところ飢えるほどではなかったが、兵士たちに対する糧食の提供は引き締めが行われており、酒などの嗜好品は特に供給が少なくなっている。


 兵士たちのモラルが低下しているのは、それだけが原因ではなかった。

 シュテルケ伯爵を攻撃し、同じ帝国の民衆から略奪を行ったことが尾を引いているのだ。


 皇帝軍でも正当軍でも、将校は貴族階級で、兵士は平民階級の出身だった。

 ノルトハーフェン公国軍では平民の士官への採用が始まっているが、「貴族が平民から指図を受けるなどもっての外」という選民意識から、他の諸侯はそんなことは認めていない。

 ベネディクトとフランツはそういった意識を持った貴族の筆頭格でもあった。


 平民の兵士たちは、命令であるから、しかたなく略奪を行った。

 それは決して気分の良いものではなく、同じ言葉を話し、同じ文化を持つ同胞への残虐行為は、多くの兵たちの心に罪の意識を植え付けた。

 そして、自分たちはなることのできない、貴族出身の将校たちからそういった行為を強制されたという事実は、平民の兵士たちの心の奥底に反抗心を芽生えさせてもいた。


 その上、シュテルケ伯爵を攻撃するために、両軍合わせて8000名もの死傷者が生じたのだ。


 自分たちはいったい、なんのために戦わなければならないのか。

 この戦いのどこに、正義と呼べるものが、自分たちが命をかけるのにふさわしい意義が存在しているのか。


 兵たちの間ではそんな疑念が広まり、根づき、蔓延している。


 ベネディクトやフランツがどれだけ声高に自身の信じる大義を主張しても、その言葉は兵士たちには響かなかった。

 その御大層な美辞麗句はしょせん、その時々の都合の方が優先される程度の軽薄なものでしかないと、シュテルケ伯爵を襲った悲劇を通して知れ渡ってしまっているからだ。


 皇帝軍でも、正当軍でも。

 兵の規律は緩み、その傾向は、貴族階級出身の将校たちの一部にさえ広まりつつある。


 貴族と一口に言っても、そのすべてが生まれながらに他者を支配するという権利を有しているわけではなかった。

 その権利を継承して行使できるのは一般的に嫡子、つまりその家系の後継者であり、それ以外の、貴族の血が流れているというだけの者の暮らしはさほど平民とは変わらない。


 そういった貴族の子弟や、自分の領地を持っていても決して豊かとはいえない下級貴族たちにとっては、上位の貴族たちの感覚よりも平民の感覚の方が遥かに共感できるのだ。


 そんな、日に日に勢威が衰えていくのを痛感せざるを得ない状況の中で。

 内乱を戦っているはずのベネディクトとフランツの2人は一堂に集まり、密かに、人目をはばかるように会合を開いていた。


 それは、寂れた田舎のボロ小屋で、とても高位の貴族である公爵同士の会合にふさわしいとは思えない、寂しい雰囲気の場所で行われた。

 皇帝軍と正当軍の陣営のちょうど中間の辺りにある、燃料となる薪を得るために残された小さな森にひっそりと建っている農家の建物で、無人になって長いのか外壁は苔むし、内部は埃っぽく、これから朽ちて行くだけという物悲しさを覚えずにはいられない場所だ。

 柱も梁も粗悪な作りで、材料を無駄にしないためなのか、太さもまちまちで、最低限の加工がされているだけの曲がりくねった材木が使われている。


 まるで、失脚した者たちが流れ着く末路。自分たちがたどりつつある、滅びの道のよう……。

 そのボロ小屋の有様は、ベネディクトとフランツにそんな不快感と怖れを抱かせる。


 集まった人数は、少なかった。

 元々大きな建物ではなかったし、人目を忍んでの極秘の会合なのだから、当たり前のことだ。


 その場にはベネディクトとフランツの他には、それぞれがもっとも信頼する警護の兵士2名ずつだけの、計6名しかいない。

 それでも小屋の中はもういっぱいで、狭苦しく感じられるほどだった。


「フン、暗殺でも企んでおるかと思えば、約束通りの人数で参られたか。存外に律儀なものだな、フランツ殿も」


「ベネディクト殿こそ。わたくしはてっきり、毒のワインでも差し入れられるのだと思っておりましたよ」


 明かりは、古びたテーブルの上に置かれたランプが一つだけ。

 その揺らめく炎に照らし出されながら、向かい合って小屋と同じく粗悪な作りの古びたイスに腰かけている両公爵は、まずは皮肉の応酬でやり合った。


 苦々しい表情が、ランプの光によって形作られる強烈な陰影の中に浮かび上がっている。

 それは、互いに相手への憎しみと、それを超越し、目的のために協力するのだという決心のあらわれた顔だった。


「不本意ではあるが、やはり、貴殿とは再び手を結ばねばなるまい。……あの小僧を、始末するまでは」


「左様、異論はございません。……あの小癪な若僧を始末するまでは、一時休戦と参りましょう」


 すでに、エドゥアルドを倒すために一時的に手を組むということは事前の手紙のやりとりで決めている。

 ここに集まったのは、それを互いの口から直接確認し、今後の詳細について腹を割って話し合うためだった。


 自らの選択ミスと、エドゥアルドの挙兵。

 これらによって追い詰められた両公爵はもはや、手段を選ばなかった。

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