第468話:「呼称」

 モーント準伯爵が謹慎処分を受けたことに代表されるように、フランツの正当軍の中で不協和音が大きくなりつつあった。

 それはベネディクトの皇帝軍でも同様であり、帝国諸侯の心は徐々に離れ始めている。


 その一方で、エドゥアルドの指揮下に参集した軍勢は、着実に出撃準備を整えつつあった。


 その総勢は、12万を数えるまでに拡大していた。

 中核となるのは5万を超えるノルトハーフェン公国軍で、そこに2万を超えるオストヴィーゼ公国軍が加わり、これだけで約8万。

 そこに諸侯の軍勢4万が加わって、規模だけで言えば現在タウゼント帝国に存在する3つの勢力の内で最大となっていた。


 だが、エドゥアルドはまだこの軍勢を出撃させようとはしなかった。

 進軍経路となるはずの地域を領有している諸侯から安全な通過を認めてもらうための折衝がまだ終わっていないということもあるが、集まった兵力の再編制が完了していないからだ。


 アントン参謀総長を中心とした参謀将校たちの発案により、ノルトハーフェン公国に集結した12万の軍勢は、5つに分割して再編されることとなった。

 その内の3つは、ノルトハーフェン公国軍を構成している3つの師団から1個師団ずつを抽出し、それを中核として諸侯の軍勢を加えて1軍と成したものだ。

 残りの2つは、オストヴィーゼ公国軍に諸侯の軍勢を加えた1軍、そして5つ目は主に騎兵などを集めて機動打撃用に編制された騎兵軍団という構成だ。


 そうして再編された兵力は、エドゥアルドを頂点とする指揮系統に置かれ、実際の作戦はアントン参謀総長が立案するという形になる。

 諸侯の兵力を分散し、ノルトハーフェン公国軍を構成する3つの師団を中核とする集団に再編したのは、実質的にその指揮権をエドゥアルドの下に一本化するための措置であった。

 独立的な指揮権を有するのは、ユリウスの指揮する一軍だけとなる。


 伝統的に諸侯の権限が強い帝国では、軍においても諸侯の頭ごなしに旗下の兵力を動かすことはできなかった。

 しかし、そうした制度によって軍隊が機能不全を起こし、手痛い敗北を経験することとなったことをエドゥアルドもアントンもよく覚えており、今回はこうして兵力を再編することで指揮系統を一本化することとしたのだ。


 また、実際の戦場におもむく前に、どうしても決めておかなければならないこともあった。

 ノルトハーフェン公爵の下に参集したこの12万の軍勢の呼称をなんとするか、という問題だった。


 名前などなんでも良いではないか、と、投げやりに決めてしまうことはできなかった。

 この自軍をなんと称するかという問題は、政治的な配慮を必要とする、重要な事柄なのだ。


 まず、人々に対しこの軍のかかげる大義の所在を明らかにし、軍事行動を起こすことについて理解を得られるような名称でなければならない。

 たとえば、ベネディクトが皇帝軍を、フランツが正当軍を名乗ったのと同じことだ。


 単純に、[エドゥアルド軍]と名乗ることはできなかった。

 なぜなら、その主力がノルトハーフェン公国軍であるにしろ、あくまでこの軍は多くの諸侯の集合体であり、盟主である少年公爵の私兵集団ではないからだ。


 人々に対し一聞いちぶんで軍事行動への理解を得られ、かつ、参加した諸侯もみな納得してくれるような名前をつけなければ、後々の火種となりかねない。

 出撃準備のために皆が忙しく働く合間に、この、自軍の呼称をどうするかという問題にも取り組まなければならなかった。


 様々な者からいろいろなアイデアが提供され、有力な候補が3つ出された。

 1つは、[北方連合軍]、2つ目は[盟友軍]、そして3つ目は[継承軍]だった。


 最初の北方連合軍というのは、この軍勢が主にタウゼント帝国の北方に位置する諸侯によって構成されていることから考え出された名称だった。

 だが、この名称ではノルトハーフェン公国が中心であるという点が強調されすぎであり、オストヴィーゼ公国の存在が軽視されているように見えてしまうのではないかと批判が出たし、タウゼント帝国の他の諸侯も味方に引き入れねばならないはずなのに北方という地域を限った言葉を入れるのはいかがなものかという点も指摘されて、早々に候補から脱落することとなった。


 次の盟友軍という呼称は、この軍勢がノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国の間に以前から存在した盟友関係を基礎としていることから提案された名称だった。

 しかしこれにも批判が寄せられた。

 これでは両国の関係性が強調されすぎ、他の諸侯の存在が希薄になるだけではなく、この軍勢が2か国の結託による独裁的な存在であると誤解を受けるのではないかという指摘だ。

 このために、この名称もボツ案となった。


 3つ目の継承軍についてだが、これは、この軍がカール11世の手紙の存在を大義として掲げていることから考えられたものだった。

 皇帝の意志を継ぐ、というストレートな発想だ。


 しかし、これにはエドゥアルドから異論がなされた。

 というのは、彼はこの軍を率いて獲得した勝利の暁にはタウゼント帝国に次の一千年を迎え入れる基礎をつくるという大事業に取り組む腹積もりであり、大規模な改革を実行に移す予定であったからだ。


 継承という名前では、旧来のタウゼント帝国の伝統をそのまま引き継ぐという意味に誤解される恐れがあった。

 そしてそう誤解した上でエドゥアルドに味方した人々は、いざ、実際に少年公爵が政権をとって改革を断行した際に、「騙された」と憤りを覚え、かえって強く反発するかもしれないのだ。


 そんなことにまでいちいちかまっていられるか、と言いたくなるところだったが、結局この3つの案はすべて不採用とされた。

 それだけ、この呼称をなんとするかという問題は重要と考えられていたし、みな真剣に考えていた。


 最終的に残った案は、━━━[公正軍]という呼称だった。


 公正という言葉は、公平で、偏っていないことを意味する。

 この言葉を使用することは、内乱を引き起こした皇帝軍と正当軍を討伐し公平な裁きを加える、という主張であるのと同時に、参加した諸侯に対しふさわしい待遇を与えると保証する約束にもなっている。


 そして、エドゥアルドの決意でもある。

 これから自身が作る新しいタウゼント帝国は、貴族が一方的に平民を支配することの無い、理不尽なことが行われない、公平なものにするという意思表明だ。


 そうこうしている間に、予定進路に位置する諸侯との折衝も、軍の再編制も済んでいた。


 すべての準備を整えると、いよいよ、エドゥアルドは出陣した。

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