第463話:「皇帝たる資質」

 ルーシェの口調は、つい先ほど、エドゥアルドが皇帝に[なることができる]理由を述べた時とは、様変わりしていた。

 まるでヴィルヘルムが授業をしているような口ぶりから、普段の、いつものメイドとしての言葉。


 それは、彼女自身の言葉だった。


「私は、今でも十分に、エドゥアルドさまはご立派だって思います。

 エドゥアルドさまは、私たちのような平民のことを、常に思いやってくださいますから。

 ベネディクトさまや、フランツさま。

 他の貴族の方々とは、違っています。


 エドゥアルドさまは、これまでずっと、民衆のことを、平民の私たちがどうやれば幸せに、安心して暮らすことができるのかを考えて来られました。

 ノルトハーフェン公国を豊かで強い国にする。

 そのことを目標にして来られましたが、それを目指しておられる理由は、そこに暮らす人々のため。

 エドゥアルドさまは貧民でさえ生活が立ちゆくように、できる限り職を与え、まっとうに生きて行けるように、支えようとしてくださいました。


 ズィンゲンガルテン公国を救うためにサーベト帝国と戦った時も、そうでした。

 他の貴族の方々が政争に明け暮れ、ヴェーゼンシュタットを救おうとしない中、エドゥアルドさまはそこに籠城している人々を救うために全力を尽くしてくださいました。

 そのおかげで救われた民衆は、数えきれないほどたくさんいるはずです。


 他の貴族の方々が富国強兵と唱える場合には、エドゥアルドさまと行おうとしていることは同じでも、その目的は異なっているように思われます。

 それは、自身の栄光のため。家の繁栄のため。

 そこに暮らす人々のためにとお考え下さるエドゥアルドさまとは、違っています。


今はまだ、自分は未熟だと、エドゥアルドさまがそうお考えなのはわかっています。

 ですが、エドゥアルドさまにはなによりも、皇帝としての資質がおありだと、私はそう思います」


「皇帝の、資質……」


 エドゥアルドはその言葉を噛みしめるように呟く。

 するとルーシェは、「はい」とはっきりとうなずいてみせた。


「それは、自分のことではなく、常に国のことを、他の人々のことをお考えになるという資質です。


 ベネディクトさまにもフランツさまにも、その点が大きく欠けているように思えるのです。

 お二方はそれぞれ、自分の信じる正義というものをお持ちです。

 しかしながら、その正義に他人を従わせることを、自分の都合のいいように状況を動かすことばかりをお考えで、他を省みるということを知りません。


 ですから、ベネディクトさまは先にヴェーゼンシュタットの民衆の苦境をお見捨てになられましたし、フランツさまは自国の民衆が困窮しているのに軍を興されました。


 私は、このどちらのお方にも皇帝になって欲しくはありません。

 きっと、他の民衆も同じ思いを持っていると思います。


 ですが、エドゥアルドさまなら」


「……僕、なら? 」


「きっと、良い皇帝になってくださると思うのです。


 だって、こんな風に、自分は数千万もの民衆の運命を背負うことができるのかと、真剣にお考えになってくださるのですから。

 エドゥアルドさまなら、間違っても平民のことを無暗に苦しめたりなさらないはずです。


 ベネディクトさまもフランツさまも、そんな風に思ったことはないはずです。

 ですから私は、エドゥアルドさまなら、エドゥアルドさまこそ、皇帝になる資質がおありだと思います」


 メイドの言葉は、決して、お世辞や、おべっかの類ではなかった。

 真剣に、心の底から、彼女はエドゥアルドこそが皇帝にふさわしいと考えている。


(僕がならなければ、ベネディクト殿か、フランツ殿が皇帝になるのか)


 少年公爵はメイドの言葉に度々出て来たその2つの名前のことを思い、自身の両手の拳を強く握りしめていた。


 内乱が長期化したとしても、いつかは終わるに違いない。

 そしてその時には必ず、勝者というものが存在しているはずだ。


 エドゥアルドが皇帝にならなければ、内乱に勝利したベネディクトかフランツのどちらかが皇帝になるはずだ。

 軍事力を持って反対派を制圧した後なら、残った諸侯も不本意ながらそれを支持せざるを得なくなる。

 積極的な反対派はすでに武力で制圧されてしまった後では、あらためて反対しようと思ってももはや大きな影響力を発揮できるはずもなく、黙殺されるか、苦も無く叩き潰されるだけになっているからだ。


 そしてそれは、シュテルケ伯爵とその領民たちを襲ったような悲劇が繰り返されるかもしれない、ということでもあった。


 ベネディクトもフランツも、生粋の貴族だった。

 貴族として生まれ、貴族として育ち、貴族として生きている。


 彼らにとって、民衆とは支配される存在であり、突き詰めて言えば[財産]に過ぎない。

 労働力となり、収入源となる、貴族である自分を支えるだけの存在だ。


 だからヴェーゼンシュタットの民衆がどれほど苦しもうと政略のために傍観することができたし、同じ国の民、将来の自分自身の臣民となるはずの人々なのに、略奪ができる。


 もしエドゥアルドが、自分には無理だからと、皇帝にならなければ。

 新しい皇帝は平民たちをこれまでと同じように、自身の所有物としか見なさないだろう。


(そうか……。

 僕は、最初から、逃げてはいけなかったんだ)


 少年公爵は、ようやく理解した。


 自分が、数千万の民衆の運命を握る。

 そのことを恐ろしいと感じるのは、彼らを不幸にし、徒に傷つけることになりはしないか不安だったからだ。


 だが、ここでその感情に従い、逃げ出してしまえば、━━━民衆は本当に不幸になってしまう。

 彼らを所有物としか見なさない支配者の統治によって、その運命はきっと、過酷なものとなるだろう。


 そして、一千年続いたタウゼント帝国も滅びることとなる。

 新しい時代の到来に気づかぬまま、旧い時代のやり方に固執し、それを妄信している指導者の下では、次の一千年の礎は作ることはできない。


 もし自分が本当に民衆の命運に対して責任を果たそうとするのなら、エドゥアルドは最初から、ただ一つの答えを選ぶ以外にはなかったのだ。


 そう悟ったエドゥアルドは、自身の握り拳を解くと、表情を和らげながら、その手をメイドへと伸ばしていた。


「え、エドゥアルド……、さま? 」


 ルーシェは突然自身の手を握られて驚き、頬を赤く染めながら戸惑い、上目遣いに少年公爵の方を覗き見る。

 そんな彼女に、彼は力強い笑みを浮かべて見せた。


「ありがとう、ルーシェ。

 お前のおかげで、僕は、迷いが消えたよ」


 エドゥアルドはもはや、恐れてもいなかったし、不安に思ってもいなかった。

 その声は力強く、はっきりとしていて、表情も雑念が取り払われて決意だけがある澄んだものになっていた。


「僕は、皇帝になる。

 そして、この国の次の一千年の礎を作ろうと思う。

 数千万の民衆が、豊かに、平穏に暮らしていくことのできる場所を作るんだ。


 だからルーシェ。これからも、僕を手伝って欲しい」


 その言葉に、メイドは少し涙ぐみながら、心底嬉しそうにうなずいていた。


「はい! エドゥアルドさま! 」

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