第462話:「僕に皇帝が務まるのか:2」
もしエドゥアルドが軍を興し、内乱を鎮圧した暁に、あらためて皇帝選挙を実施するとしたら、その結果は自明のものだった。
ほとんどの諸侯が、彼のことを支持する。
内乱を鎮圧した功績があるという以上に、それ以外の選択肢が存在しないからだ。
その現実を突きつけられたエドゥアルドは、愕然としてしまう。
彼はルーシェに、否定して欲しかったのだ。
自分が皇帝になるなど不可能だと、そう言って欲しかった。
だから彼女にどう思うか聞いた。
しかし返って来たのは、少年公爵が期待していたものとはまったく逆の言葉だった。
「いや……、今のは、す、少し、聞き方が悪かった」
エドゥアルドはできるだけなんでもない風をよそおいながら、だが動揺を隠しきれていない震える声で、メイドにもう一度たずね直そうとする。
彼女に、情けない、みっともないと思われたくはなかったが、自分が皇帝になれるという事実をまだ、認めたくもなかった。
「仮に、そう、仮に、僕が皇帝になったとしよう。
……僕に、皇帝が務まるだろうか? 」
「そ、それは……」
するとルーシェは、言いよどみ、少し辛そうな顔をする。
正直なところ、エドゥアルドは残念に思うよりも、ほっとしていた。
皇帝は務まらない。
そう思われているということは、それだけ自分の実力よりも未熟さの方が認められているということであり、悔しいことではあったが、少なくとも「皇帝など務まるのだろうか? 」という自分自身の不安に、根拠を与えてくれるものではあるからだ。
「エドゥアルドさまは、皇帝になるのはお嫌なのですか? 」
緊張し、不安でいっぱいだった表情にわずかに喜色を浮かべた少年公爵に、ルーシェはうかがうような視線を向けて来る。
その視線に、エドゥアルドは言葉に詰まってしまった。
彼女が少し辛そうな表情を見せたのは、自身の主に皇帝が務まらないと、そう考えたからではなかった。
彼の内側に大きく存在する不安を感じ取り、そのことに共感し、そして、彼女自身の心に痛みを覚えたからだったのだ。
(情けないな、僕は……)
エドゥアルドは自己嫌悪してメイドから視線を逸らさざるを得なかった。
ここ最近、何度も、頻繁に自己嫌悪してしまっている。
その多くは帝国の内乱を阻止できなかったことについてだったが、しかし、今ほど少年公爵の心にこたえたことはなかった。
「……ああ、そうだ、ルーシェ。
僕は、皇帝になんかなりたくない」
気づいた時には、そんな本音がこぼれ落ちていた。
相手が、ルーシェだからだろうか。
それとも、一度弱いところを見せてしまったのだから、もっと弱くてダメなところを見せてもかまわないと、そう踏ん切りがついてしまったからなのかもしれない。
「僕は、ノルトハーフェン公爵だ。
数百万の国民の命運を預かっている。
その仕事さえ、僕は十分に果たすことができていないんだ。
タウゼント帝国。
このヘルデン大陸の大国の、数千万の人々の命運を預かることなんて、到底、できないよ。
僕には、重い。
あまりにも大きすぎる責任なんだ」
だがエドゥアルドはそこまで口にして、押し黙る。
本当にこのまま、すべてをさらけ出してもかまわないのか。
そう躊躇する気持ちがあったからだ。
ルーシェは、なにも言わなかった。
うなずきもせず、合いの手も入れず、ただ黙ってじっと、エドゥアルドのことを真摯に見つめている。
彼女は自身の主が迷っていることも、苦しんでいることもよく理解しているのだ。
そしてその悩みは、少年公爵にしか理解しえない、自分がいくら共感したと思ってもその本当の痛みまでは共有できないものだと、分かっている。
だから彼女は、なにも言わずに、ただ寄り沿っている。
エドゥアルドは不思議と、心の中がふんわりと暖かくなるような感覚を覚えていた。
ルーシェは彼を苦しみから解放してやれるだけの力を持っていない。
だが真剣に、心の底から、少しでもその[重み]を、[痛み]を軽くしてやりたいと願ってくれているし、そのために必死になってくれている。
[家族]というものを幼いころに失った、いや、公爵として生まれて以来、もしかするとそんなものを持ったことが無かったかもしれないエドゥアルドにとってそれは、なによりも嬉しい気持ちにさせられることだった。
「僕はな……、ルーシェ。
怖いんだ。
数千万もの人々の運命が、一生が、僕の統治のやり方次第で左右されてしまうということが……。
それは、僕にはあまりにも大きすぎる責任だと、そう思うんだ」
だからその感情も、ポロリと、出て来る。
ノルトハーフェン公爵が絶対に口に出してはならないような、弱音。
陰謀と策謀が渦巻く貴族社会においては、決して人に知られてはならない弱点。
だが、ルーシェになら。
このメイドにならば、すべてをさらけ出すことができる。
そうしてもいいのだと、少年公爵はそう信じることができた。
「エドゥアルドさま……」
メイドは主の吐露した言葉を噛みしめるようにその名を呟き、自身の胸の前で合わせた両手をきゅっと握りしめる。
その表情は悲しく、辛そうなものだったが、ほんの少しだけ幸せそうにも見える。
おそらく彼女は、自分が相手だからこそエドゥアルドがこんな弱音を漏らしたのだと、そのこともちゃんとわかってくれたのだろう。
「エドゥアルドさま」
それから彼女は、少年公爵のことをまっすぐに見つめた。
澄んだ、一切の迷いのない瞳。
だがその内心の感情の揺らめきを、強い意志の存在を示すように、その濃い青い瞳はキラキラと輝いている。
「私は……、エドゥアルドさまなら。
きっと、皇帝だって務まるって、そう思います」
そして彼女の口から発せられたのは、そんな、信頼に満ちた言葉だった。
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