第385話:「予感:3」
慌てた様子で部屋を去って行くルーシェの後ろ姿を見送ったエドゥアルドは、軽く自己嫌悪してしまっていた。
(驚かせてしまった……。
少し、冷静にならないと)
喜びのあまり、配慮が足りていなかった。
いくら自分のために仕えているメイドとはいえ、彼女だって1人の人間であるのだから、エドゥアルドはもっと気を使ってしかるべきだった。
「うおっほん! 」
「ぅわぁっ!? 」
気落ちしていたエドゥアルドだったが、突然聞こえて来たあからさまな咳払いに完全に意表を突かれ、あられもない悲鳴をあげてしまっていた。
それからエドゥアルドは、この部屋にいた人物がルーシェだけではなかったことを思い出す。
「こ、これは、クラウス殿!
た、大変、お見苦しいところを……」
身体の向きを変え、クラウスに正面を向けたエドゥアルドは、恐縮した様子で頭を下げて謝罪していた。
「フム、ま、ええじゃろ。
親しき中にも礼儀あり、とは申すが、なかなか面白いものを見せてもらえたし、エドゥアルド殿にはそれほど嬉しいことがあったのであろうしの。
若さじゃのぅ」
そんなエドゥアルドに仰々しくうなずいてみせた後、クラウスはニヤリ、とからかうような笑みを浮かべる。
「寛大なお言葉、感謝いたします」
エドゥアルドは自身の非礼を許してもらえたことになんとか感謝の言葉を返したが、内心は恥ずかしくてたまらなかった。
相手がクラウスの言う通り[親しい]存在だったから許されたが、本来であれば先ほどのような態度は公爵としてはあるまじきものだったのだ。
普段から距離感の近いルーシェが相手だったからつい無邪気な喜びをストレートに示してしまったが、一国の国家元首としては自制心を忘れるべきではなかった。
「それで、エドゥアルド殿。
無事に、貴殿にかけられていた謀反の嫌疑は、晴れたようじゃのう? 」
「はい。クラウス殿のおかげをもちまして、すべてうまくいきました」
「ふっふっふ。ま、わしの手にかかればこのくらい、当然じゃ。
これからも、ど~んと頼りにしてくれて良いぞぃ。
なぁに、盟友価格で、安くしとくからの」
恥じ入っているエドゥアルドに、クラウスは得意げにそう言い、それから昼食のスープを口に運ぶ。
「ところで、エドゥアルド殿」
すっかりリラックスして、直前のエドゥアルドとルーシェのかけ合いをおもしろがっている様子だったクラウスの
頭を下げたままのエドゥアルドは、その、前オストヴィーゼ公爵の[
「はい、なんでございましょうか、クラウス殿」
「さっき、ちらっと言っておったが……。
皇帝陛下は、貴殿の無実を認めてくださっただけではなく、平民の士官学校へ入学することについてさえも、お認めになられたのか? 」
「はい。陛下はそのように仰せでした。
今日中に、僕にかけられていた嫌疑が無実であったこと、そして平民を士官学校へ入校させるのを許可すること、この2点を陛下が布告してくださることとなっております」
「ふぅむ……、陛下が、のぅ……」
顔をあげ、再び嬉しさを表情に見せながら説明するエドゥアルドに、クラウスは気難しそうな顔で、右手を使って自身の
「あの、クラウス殿……?
なにか、ご懸念でもおありでしょうか? 」
そんな前オストヴィーゼ公爵の様子に、ノルトハーフェン公爵は不思議そうな顔をする。
クラウスの策略が完全に成功し、エドゥアルドは見事に
昨晩に開いたパーティでのクラウスのはしゃぎ方を見れば、もっと嬉しそうな顔をしてもいいはずなのだ。
「ああ、いや……、ちと、意外だっただけじゃ」
エドゥアルドの様子に気づいたクラウスは、すぐに
「今までカール11世陛下は、帝国の在り様を変えるのではなく、保つことを考えておられたからの。
それが今回、急に変わったから、いったいどのような心境の変化がおありになったのかな、と思うただけじゃ。
さ、エドゥアルド殿。
貴殿は一刻も早く国に帰って、自らの仕事に取りかかりたいのじゃろう?
わしのことは、もう気にせんで良い。
側近くで支えてくれる者たちもおるし、もう2、3日、帝都観光でもさせてもらってから、ゆっくりユリウスのところへ帰らせてもらうわい。
貴殿はわしのことなど気にせず、国に帰るが良い」
「は、はい、ありがとうございます。
でしたら
クラウス殿、今回のこと、本当に助かりました。
感謝を申し上げます」
「おう。ま、タダではないがのぅ。
今回の諸々の[仕事]への対価は、後で手紙なりなんなりを使って知らせるからの。
これからもよしなにな、エドゥアルド殿」
「はい。……どうぞ、お手柔らかに」
ニカッと笑いつつも値引きするつもりはないとしっかりと示してくるクラウスに苦笑すると、エドゥアルドはもう一度頭を下げ、そして自身も故郷に帰るための準備をするために部屋を退出していった。
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「陛下が、のぅ……」
1人、部屋に残されたクラウスは、スープを口に運びつつ、険しい顔で呟いた。
エドゥアルドの前ではごまかしたが、彼には、嫌な予感があったのだ。
タウゼント帝国の皇帝。カール11世。
彼の治世はこれまで凡庸としか評価できないもので、内政においては特段残すべき事績もなく、近年になってようやく、サーベト帝国との戦争に勝利したことで、歴史に残せる内容を得たという人物だった。
そんな皇帝が、エドゥアルドの願いがあったからとはいえ、帝国の貴族社会を支えてきた制度を変革する。
(諸侯の反発を招かなければ良いのだが)
クラウスが懸念しているのは、そのことだった。
エドゥアルドの盛んな工作にも関わらず、諸侯の間では、平民を士官に採用することへの理解は広まっているとは言えない。
反対意見が根強いのだ。
クラウスも、この件に関しては微妙な感情を抱いている。
エドゥアルドとのやりとりの中でその必要性は理解しているものの、帝国のこれまでの在り方を大きく変えてしまうことについて、恐怖心を覚えているからだ。
平民を士官にするということは、平民が貴族に対して命令できるようになるということだ。
それはきっと、この国家の根幹を成して来た社会構造を、破壊してしまう。
貴族社会が、終焉してしまうのではないか。
そんな予感がするのだ。
そしてその危惧を抱くのはきっと、クラウスだけではない。
カール11世の行動はおそらく、多くの諸侯からの強い反発を生むのに違いなかった。
「……2、3日と言わず、もうしばらく、帝都で様子をうかがうとするかのぅ」
自分1人きりになり、すっかり静まり返った部屋の中で、クラウスはスープを口に運びながらそう呟いていた。
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