第386話:「新たな盟約」
ノルトハーフェン公爵・エドゥアルド。
謀反というありもしない嫌疑を晴らした彼は、急いで自身の国へと帰って行った。
帰国の途に着いた時、エドゥアルドは喜びと解放感に浸っていた。
クラウスの前で
思い描くのは、これから出来上がっていくはずの、新しいタウゼント帝国の姿。
旧態依然とした体制から脱却し、生まれ変わり、これからも繁栄し続けていくヘルデン大陸の大国と、そこに暮らす人々の幸福そうな笑顔。
自分が積み重ねてきたことは決して無価値なものではなく、意味のあることだった。
それを、皇帝に認められた。
その実感はエドゥアルドに希望を抱かせ、明るい未来を想像させていた。
しかし、彼は知らなかった。
自身の目の前に生まれた希望がまばゆい輝きを放てば放つほど、その影の暗さも増すのだということに。
エドゥアルドが帝都・トローンシュタットを離れ、まだ帰国途上にあったとある日。
帝都の一画に、2人の人物が集まっていた。
ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクト。
ズィンゲンガルテン公爵・フランツ。
エドゥアルドを陥れようとし、今は彼を味方に引き入れようと
彼らは地位のある者だけが入ることを許される高級酒場に用意された、要人たちが互いに酒を
2人が腰かけているソファとソファの間には、上品な赤い色に染め上げられた絹のテーブルクロスがかけられた丸テーブルがあり、その上には、名産地として有名なズィンゲンガルテン公国産の最高級の赤ワインのボトルとグラスが2つ、用意されている。
他にも、チーズや生ハム、パンなど、どれも最高品質のものが並ぶ。
ワインボトルのコルクは、まだ開けられていない。
ベネディクトもフランツも、つい先ほどこの場に集まったばかりだったからだ。
「陛下はいったい、何を考えておられるのだ」
ガス灯の明かりに照らし出されているフランツの表情は、いら立っている。
不快感を隠そうともしない苦々しげな表情で、その口調からは憎しみさえ感じられるほどだ。
「平民を、士官に採用することを許すとは!
我ら貴族が、平民の指図に従わねばならぬなど、あってはならぬことだ! 」
「左様。……まったく、虫唾が走る」
憤るフランツに、ベネディクトが険しい表情のまま深くうなずく。
身体の前で両腕を組み、ソファに深く腰かけているベネディクトはフランツよりも口数は少なかったが、その身に内包している怒りの度合いは同じか、さらに大きいようだった。
その
「もはや、あの小僧……、ノルトハーフェン公爵は、問題ではない。
あ奴に皇帝への野心がなく、自分の領内にその関心が向いていることは明らかだ」
「ああ、その通りだ。こちらの情報源からも裏は取れている。
あの小僧が、貴殿か、
どちらにつくつもりなのかはわからぬが、もはや敵ではない。
今や、陛下の方が問題だ。
あの小僧の考えにすっかり
ベネディクトの重々しい口調の言葉に、フランツは組んだ手の指を神経質にしきりに組み替えながらうなずく。
「これまでは、陛下にはこのまま、余命をまっとうしていただくつもりであった。
陛下はご高齢だ。
もって、数年。そう長くはないだろうと考えて来た。
しかしながら、このようなことになっては……、致し方あるまい。
小僧をどうするかよりも、陛下が行おうとしている蛮行を止めることが先決だ。
陛下には、退位していただく」
ベネディクトは静かな、怒りのこもった口調でそう言うと、じっと、フランツのことを睨む。
それでかまわないか。
そう問いかけるようにベネディクトから向けられた視線に、フランツは苦々しそうな様子でうなずいた。
「こちらとしても、それで異存はない。
平民を士官にするなどという世迷言を実現する前に、廃位すべきだ。
平民が士官となり、我ら貴族に指図するなど……、到底、耐えられぬ。
これ以上ないほどの
そしてそれ以上に……、危険だ」
「左様。
我らの帝国を、共和国のようにすることは認められん」
フランツの言葉を強く肯定したベネディクトは、ようやく、テーブルの上に用意されていたワインボトルに手をのばした。
そして栓抜きを使い、きゅぽん、と小気味よい音を立てながらコルクを抜くと、とぽとぽとぽ、と、血のように赤いワインを、それぞれのグラスに注いでいく。
そうして、2人の公爵の、新たな盟約の準備は整った。
このままでは、タウゼント帝国を存続させてきた秩序。━━━貴族社会の終焉を招きかねない。
深刻にそう危惧し、その危険を招く布告を発した皇帝への怒りに満ちた2人は、ここに結託して、策謀を巡らせようとしている。
すなわち、暗愚な皇帝を排除し、帝国にあるべき秩序を保たせるという、陰謀だ。
ベネディクトとフランツは互いにグラスを手にすると、立ち上がった。
そして無言のまま、険しい表情で見つめ合うと、どちらが合図をするでもなく同時に手をのばし、グラスを天に向かって高くかかげる。
赤い、血のような色のワインが、ガス灯の明かりの下で不気味に光を反射しながら、ゆらゆらと揺れている。
そしてグラスの中の動揺が治まり、この策謀を実行することにもはや迷いのないことを確認しあった2人は、一息でワインを飲み干し、━━━そして飲み干したグラスを床に叩きつけた。
薄いガラスで作られたグラスは、一瞬で、甲高い破壊音を発しながら粉々に砕け散る。
そして、その瞬間。
皇帝、カール11世を廃位しようとする陰謀が、動き始めた。
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