第384話:「予感:2」
皇帝から、エドゥアルドが無実であると認められただけではなく、以前から願い出ていた、平民を士官学校へ入校させる許可まで得ることができた。
自分の意見が認められた。
変わらないと思っていたタウゼント帝国が、変わるかもしれない。
査問という不毛な出来事から解放されただけではなく、帝国の旧い体質まで変化したように感じたエドゥアルドは、上機嫌で、大急ぎで、自身が宿泊しているホテルへと戻った。
「ルーシェ! ルーシェ! 」
そしてエドゥアルドは、自身のメイドの姿を探す。
査問の間、ルーシェは自分が敵対者たちからの標的になり得ると知ったために、できるだけホテルに留まるようにしていた。
彼女はかつて、今ではエドゥアルドの唯一の血縁者として働いているフェヒター準男爵が敵対者であったころ、人質に取られてしまったことがある。
身を守る術を持たない自分があの時と同じことになって迷惑をかけるわけにはいかないと、外に出ることを我慢していたのだ。
「ルーシェ! 」
だが、ノルトハーフェン公爵が急いで部屋に戻って来た時、そのメイドの姿はなかった。
誰もいない静かな部屋に勢いよく戻って来たエドゥアルドだったが、そこが無人であることに気がついて拍子抜けして立ち尽くす。
ルーシェは、ホテルに留まっているとは言っても、まったくどこにも行かないというわけではなかった。
エドゥアルドの食事や警護の兵士たちに振る舞う差し入れを用意するためにホテルの厨房を借りて働いていることもあるし、洗濯などをするためにホテルの洗濯場を借りていることもある。
だが、エドゥアルドにはそのどこにもルーシェはいないだろうと、すぐにわかった。
「そうか……、今頃は、クラウス殿の介抱をしているのか」
メイドがどこにいるのかに心当たりを得たエドゥアルドは、急いでクラウスのために用意された一室へと向かう。
「わっ!? 」「な、なんじゃいっ!? 」
部屋を警備していたクラウスの手の者たちに事情を説明することもなく突然部屋に押し入って来たエドゥアルドの姿に、ルーシェと前オストヴィーゼ公爵は驚きを隠せなかった。
2人ともびくりと身体を震わせ、驚いた表情で少年公爵のことを見つめる。
クラウスは、早めの昼食をとっているところだった。
昨晩以来なにも口にしていなかった彼は二日酔いの症状が改善されると空腹を覚えて食事を所望し、それを受けてルーシェがホテルに頼んで料理を用意してもらい、給仕しているところであるようだ。
エドゥアルドは、食事の邪魔をしてしまったことに少しもかまわなかった。
クラウスに対する配慮も忘れて、まっすぐにルーシェへと向かっていく。
「えっ、エドゥアルドさまっ!? 」
エドゥアルドに突然ぎゅっと手を握られたルーシェは、驚き、戸惑い、赤面し、うわずった声をあげる。
「ルーシェ。すぐに、国に帰る支度をしてくれ! 」
そんなメイドの様子を気にすることもなく、興奮した口調でエドゥアルドは言う。
「皇帝陛下から正式に、僕が無実であることを知らしめる布告を出していただけることになった!
しかも、陛下は、僕が以前から願い出ていた、平民を士官学校へ入校させることの、その許可まで下さったんだ! 」
「え、えっと……、そ、それは、なによりでございましたね、エドゥアルドさま! 」
「ああ!
これで、タウゼント帝国も変わるかもしれない!
今までの古いやり方を変えて、新しい時代へ踏み出して行けるかもしれない!
だから、僕は急いでノルトハーフェンへ帰りたいんだ!
やらなければならないことが、たくさんあるんだ! 」
エドゥアルドの言葉に、表情に、仕草に。
その喜びがあふれている。
そんな主人の様子にルーシェも嬉しい気持ちになっていたが、しかし、彼女ははにかんだような笑みを浮かべ、上目遣いになってエドゥアルドのことを見つめ返す。
「その……、エドゥアルドさま?
手を、このようにぎゅっと握られておりますと、えっと……、帰るお支度が……」
「……あ、っと、そ、そうだったな」
そのルーシェの言葉で、エドゥアルドは自分があまりにも興奮しすぎてしまっていたことに気がつき、慌ててメイドから手を離した。
するとルーシェは、エドゥアルドに握りしめられていた手を自身の左胸に当て、もう片方の手をその上に重ね、まるで自分の心臓の鼓動を抑えるようにしながらうなずく。
「で、では、すぐにお帰りの支度を始めさせていただきますね」
「あ、ああ、頼む……」
赤面したままの彼女から、エドゥアルドもなんとなく視線をそらしてしまう。
「そ、それでは、失礼いたします……っ」
エドゥアルドから解放されたルーシェはそう言ってぺこりと頭を下げると、もう1秒でもその場にとどまっていられないという様子で、黒髪のツインテールをなびかせ、パタパタと勢いよく駆け去って行った。
その後ろ姿を見送ったエドゥアルドは、顔をうつむけると自身もかすかに赤面する。
ルーシェはエドゥアルドの側近くで仕えているメイドだから、普段から近い距離で接している。
だが、考えてみると、こんな風に直接手を握るようなことは、今までなかったのだ。
それは、決して触り心地の良いものではなかった。
普段からメイドとして働いているから、どんなに気を使っていても肌は荒れるし、貴族の令嬢のような傷一つない、ゆで卵の表面のようにつるつるとしたものではない。
細く、繊細で、荒れているが暖かい手。
その手は、なんの打算も思惑もなく、懸命に自分のために働いてくれている、健気な少女の手だった。
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