第381話:「別れの言葉:2」

 タウゼント帝国の中枢を成す、ツフリーデン宮殿。

 正直、もうこの場所を訪れることにはすっかりうんざりしてしまっていたエドゥアルドだったが、今日、その場所にやって来た彼の表情は晴れやかなものだった。


 宮殿に参上せよ。

 その皇帝からの命令を伝えに来た使者は、それがどんな用件かは詳しくは述べなかった。


だがエドゥアルドは、査問会の終了を告げるものであろうと確信していた。


 今のところは。

 そのたった一言で、エドゥアルドを陥れようとしていたベネディクト公爵とフランツ公爵の態度が変わった。


 彼らはあれから、謀反などという大それた噂が事実ではなかったという新たな噂を盛んに流し、ノルトハーフェン公爵に意図的に着せた濡れ衣を脱がせようとしている。

 そして同時に、どうすればエドゥアルドを皇帝選挙で自分の味方につけることができるのかを、必死に探ろうとしている。


 クラウスの指示で会うことになった、ベネディクト、あるいはフランツに加担している人物。

 あの時はエドゥアルドの方から会いに行ったが、今度は、彼らの方からエドゥアルドに会いたいと、接触を試みてきている。


 一刻も早く、ノルトハーフェン公国に帰りたい。

 そのエドゥアルドの考えは、中途で投げ出して来たことが多くあるという理由ももちろんあったが、ベネディクトとフランツから贈られてくる秋波しゅうはをかわすためでもあった。


(両公爵の野心に、政治闘争になど、関わっていたくない)


 それは以前から変わらない、エドゥアルドの本音だ。


 今回の一件でエドゥアルドは、自分は決してこうした政治闘争とは無関係ではいられないということを学んだ。

 自分が距離を置いておきたいと願っても、相手の方から近寄って来る。

 それが、エドゥアルド。━━━ノルトハーフェン公爵という存在なのだと、否応もなく思い知らされた。


 しかし、無関係でいられないのだとしても、あくまでそれを[主]にしたくはなかった。


 タウゼント帝国という、悠久の歴史を持つ国家。

 それは今でもヘルデン大陸における大国という地位を保ち続けてはいるものの、その内情は旧態依然としており、新しく起こりつつある、産業革命、そして平民による民主的な統治体制という変化に十分に対応できるかどうかわからない。


 せめて、自分が統治するノルトハーフェン公国だけでも新しい時代に対応させ、そこに暮らす人々を守りたい。

 それがエドゥアルドの願いだったが、今となっては新たな危惧も抱きつつある。


 このタウゼント帝国という大国の運命さえも、ノルトハーフェン公国が、エドゥアルドが背負わなければならなくなるかもしれないという、可能性だ。


 これは、エドゥアルドが皇帝になる野心を明確に持った、ということは意味しない。

 彼はあくまで、自国の存続と、そこに暮らす人々の安泰を考えている。


 しかし、タウゼント帝国を構成する一国という立場にノルトハーフェン公国がある以上、帝国全体の出来事には無関係ではいられない。

 そして改革を進めようとするエドゥアルドに多くの諸侯が少なからず反発を示し、皇帝選挙でライバルになりかねないと危険視されたことが直接的な原因ではあったが、ベネディクトとフランツから査問という形で具体的な妨害も受けた。


 つまり、タウゼント帝国は今後もその旧態依然とした体制をあらためることがないまま、そこに暮らす古い貴族たちが知らない間に広まった[変化]に直面することとなるのに違いないのだ。


 そうなった時、エドゥアルドは、ノルトハーフェン公国は、帝国のために戦わねばならなくなるかもしれない。


 もし、タウゼント帝国が滅びるとしたら。

 1000年以上もの歴史を重ねて来た国家が今さら滅亡するなどとはなかなか想像できないことだから、帝国の諸侯はエドゥアルド以外に誰もそんな心配はしていないのに違いないが、本当にそんなことが起こったら。


 その崩壊の混乱の中で、ノルトハーフェン公国も大きな痛みを経験するのに違いない。

 あるいは、タウゼント帝国が外敵によって滅ぼされるのだとすれば、その帝国を滅ぼした敵によって、公国も消滅させられるかもしれない。


 そんな事態を防止するためには、ノルトハーフェン公国はタウゼント帝国を守るために戦わなければならない。


 他の者はみな、荒唐無稽だ、と言うのに違いない。

 しかしこれは、エドゥアルドにとって現実的な危険だった。


 そしてその危険は、それほど遠くないところに迫っている。

 フルゴル王国を吸収し、後顧の憂いを断った、アルエット共和国。

 その平民によって打ち立てられた新しい国家の全力の矛先がこちらに向けられてから慌てたのでは、到底、間に合わない。

 タウゼント帝国の全体をじっくりと改革しているような時間はなく、せめてノルトハーフェン公国だけでも新しい時代に対応させよう、というのがエドゥアルドの願いだった。


 ベネディクトやフランツを始め、タウゼント帝国の諸侯が明け暮れているような政治闘争に煩わされるような時間は、エドゥアルドにはもったいないものとしか思えない。

 だからこそ、エドゥアルドは査問が終わり、自身の嫌疑が晴れ次第に祖国へと戻り、放置して来た懸案事項に取りかかりたかった。


 もちろん、ノルトハーフェン公国には宰相であるエーアリヒ準伯爵がおり、彼以外にも多くの人材がいて、割り振られた担当に従ってエドゥアルド不在の間も職務を遂行している。

 しかし、やはりエドゥアルドでなければ決められないことというのも、ある。


 ツフリーデン宮殿に参上し、侍従たちの案内で応接の間に通されたエドゥアルドは、つき従って来たヴィルヘルムと共に、皇帝との謁見えっけんに呼ばれるのを待ち遠しい気持ちで待っていた。


 だが、皇帝との対面は謁見えっけんの間で行われることになるというエドゥアルドの予想は、外れた。


「皇帝陛下の、お越しでございます! 」


 ほどなくしてやってきた侍従長が、応接の間にいたエドゥアルドとヴィルヘルムに向かってそう告げたからだ。

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