第380話:「別れの言葉:1」

 クラウスの策略が成功し、エドゥアルドにかけられていた謀反などという疑いが消え去ったことを祝うパーティの、その翌日。


「ぅぐぐぐぐ……、あ、頭が、割れそうじゃぁ……」


 最大の功労者である前オストヴィーゼ公爵、クラウスは、借りた部屋のベッドの上で苦しんでいた。

 右脇を下にして横向きに寝転び、枕に頭をあずけ、できるだけ楽な姿勢でその苦痛に耐えている。


 原因は、明白。

 お酒の飲み過ぎによる、二日酔いだ。


 そこは、こんなこともあろうかと事前にエドゥアルドがホテルに頼んで手配しておいた、賓客ひんきゃく向けの贅沢な内装を持つ一室だった。

 エドゥアルドが宿泊しているのと同じで、部屋の中にいくつもの部屋がある。

 その奥の寝室で、クラウスは本来ならば寝心地がよいはずのベッドに横たわり、冷や汗をかきながらうんうんうめいている。


 部屋の窓は、開け放たれている。

 クラウスの体内に取り込まれた大量のアルコールは、彼の身体から酒臭い臭気をぷんぷんと放たせており、閉め切っておくとそれがこもって気分がますます悪くなってきてしまうのだ。


 5階建てのホテルの最上階の1室だったが、窓からは外の喧騒けんそうが否応なしに入り込んで来る。

 帝都・トローンシュタットは発展した大きな都会であり、今も通りを多くの馬車や人が行きかっている。


 その音は、普段であれば気にもならないものに過ぎなかったが、今のクラウスにとっては地獄の狂騒曲だった。

 馬車が過ぎ去っていく音や、遠くの市場から売り子の威勢の良い声が聞こえてくるたび、クラウスは顔をしかめ、ビクン、ビクン、と小さく身体を震わせる。


「クラウスさま、お水ですよ~」


 そんなクラウスの下に、水の入ったポットと吸飲みの乗ったお盆を持って、ルーシェがそ~っとやってくる。

 パーティの席での約束を守り、クラウスのことを看病しているのだ。


「お、おう、すまんのぅ……」


 クラウスはそう礼を言ったが、起き上がるのも億劫おっくうな様子だった。

 そんな彼の状態を見て取ったルーシェは、音を立てないようにお盆をベッドの脇のサイドテーブルに置くと、ポットから吸飲みに水を注ぐ。


「ゆっくり、お召し上がりください」


 そして吸飲みをクラウスへと差し出し、彼がわずかに口を開くのに合わせて、少しずつ水を飲ませていく。


 アルコールを過剰に摂取してしまった時に効果的な手法はいくつかあるが、水を飲むということもその一つだった。


 この科学が発展途上にある時代、アルコールを分解するのにも水分が必要となり、そのために多量の酒を飲むと脱水症状の原因になる、という事実や、二日酔いの原因がアルコールを分解した際に発生するアセトアルデヒドという物質を身体が処理しきれないためで、水分を多く摂取して体の外に出せばよいとは、まだ知られてはいない。


だが、経験則として水を飲ませると回復しやすいということは知られている。

 だからルーシェは、クラウスのためにこうして水を飲ませているし、クラウスもそのことを知っているから、無理にでも水を飲むようにしている。


「ふぅ。……お主の飲ませ方は優しくて、ありがたいわい」


 吸飲みから口を話したクラウスは、未だに辛そうながらも少し表情を柔らかくして言う。


「あの、赤毛のメイド……、シャルロッテ、じゃったかの?

 あ奴はもぅ、容赦がなくてのぅ……。

 いたいけな老人相手に、無理やり飲ませようとするんじゃ。

 あんまりじゃ」


「あ、あははは……」


 その言葉に、ルーシェは苦笑いするしかない。

 シャルロッテはクラウスに対して心を開いていないフシがあり、なにかと当たりが強いのだ。

 ルーシェにメイドとしてのいろはを教え込んでくれた先輩らしく、手落ちなどはなかったはずだが、多少、その仕草が乱暴だったのかもしれない。


「ところで、ルーシェ殿。

 お主の主、エドゥアルド公爵殿は宮殿へ出かけたとわしの手の者から聞いたが、いかような話で呼ばれたか、そなたは知っておるかの? 」


 ルーシェたちの献身的な看病で幾分症状が緩和されて来たのか、クラウスは寝ころんだままそう問いかけて来る。

 どうやらエドゥアルドたちの動向を気にかけられるほどの余裕が出て来たらしい。


「あ、はい。

 皇帝陛下が、査問会の結果をエドゥアルドさまにお伝えするためにお召しになったのです。


 おそらく、疑いが晴れたというお言葉をいただけるはずだから、皇帝陛下にご配慮の御礼と、お別れのご挨拶を申し上げてくると。

 エドゥアルドさまとヴィルヘルムさまは、そうおっしゃっておりました」


「なるほどのぅ……。

 しかし、その場で陛下に対し別れの挨拶までして来るとは。

 エドゥアルド殿は、すぐに故国に帰るということかの? 」


 二日酔いに苦しんでいても、クラウスの思考は鋭い。

 元々エドゥアルドの性格をよく知っているからというのもあるが、彼はノルトハーフェン公爵がすぐに自国に帰るつもりであることを見抜いていた。


「はい。やらなければならないことが山積みだからと。

 第2回公国議会を開かなければならないからと、そう仰せでした」


 シャルロッテと違い、ルーシェはクラウスのことをすっかり信用している。

 だから屈託のない笑顔で、公爵の予定という、もしかすると重要かもしれない情報も簡単に肯定する。


「議会を開かねばならぬ、か……。

 エドゥアルド殿も、真面目じゃのぅ」


 もちろん、クラウスには今さらエドゥアルドを裏切ってなにかしようなどという企みはなかった。

 エドゥアルドと盟友関係にあることで、クラウスは息子にこれ以上ないほど安定した外交状態で公爵位を譲り渡すことができたし、オストヴィーゼ公爵を引き継いだユリウスはその状況を生かして着実に自身の統治体制を固めつつある。

 ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国の盟約は相互に大きな利益のあることで、これからもそういう友好関係を維持するつもりだった。


(議会、のぅ……)


 しかしクラウスは、声には出さずに、その言葉を頭の中で反芻はんすうする。


 エドゥアルドの行おうとしている、様々な政治改革。

 ともすれば、貴族社会を覆しかねないような、劇薬となるかもしれない変革。


 それがどのような結末を迎えるのか。

 知恵者であるクラウスにもまだ、その先行きは見通せていないのだった。

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