第379話:「雲散霧消」

 その日の査問は、これまでにないほど短時間で、あっさりと終わった。


 査問会をこの日に開くように皇帝に言上したのはベネディクトとフランツであるはずだったが、その目的は査問を始める前に済んでしまったらしい。

 エドゥアルドに対する質問はこれまでの査問の内容を確認する形式的なモノばかりで、新しい内容は何一つなかった。

 質問をする側も、まるで別のことについて必死に考えている様子で熱意がない。


 時間にして、30分もかからなかっただろう。

 拍子抜けするほど内容の薄い査問会だった。


「本日の査問は、これで良いのか? 」


 ベネディクトとフランツからの質問がなくなり、カール11世が不思議そうにたずねると、2人の公爵は「御意にございます」と同時に頭を下げた。


「ならば、これにて査問を終えるとする。


 皆の者、ご苦労であった」


 そしてその皇帝の退屈そうな一言で、エドゥアルドの査問会は終わりを迎えた。


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 クラウスの筋書による、[策略を策略で]返す作戦。

 それは、完全に成功した。


 エドゥアルドに皇帝になろうという野心はない。

 そのことを確信したベネディクトとフランツは、クラウスの睨んだとおり、エドゥアルドを陥れるよりも味方として取り込むために奔走ほんそうし始めたのだ。


 当然、エドゥアルドが謀反を企んでいる、などという噂も、雲散霧消することとなった。

 その噂を流した張本人たち自身が、エドゥアルドの立場を傷つけないように、自身が流した噂を自分で打ち消しにかかったからだ。


 その効果は、数日であらわれた。

 エドゥアルドたちの耳に、ノルトハーフェン公爵が謀反を企んでいるという風説は誤解であったという噂が聞こえてきたのだ。


 ベネディクトもフランツも、その諜報網を利用して、新しい噂を盛んに流している。

 そのおかげで、エドゥアルドにかけられていた嫌疑は、すでに晴れたと考えて良さそうだった。


「いやはや、うまくいったのぅ! 」


 帝都・トローンシュタットでエドゥアルドたちが滞在しているホテルの一画。

 要人などを招いて会食などを行うための広間に、赤ワインを注がれたグラスを高く、陽気に笑いながらかかげる前オストヴィーゼ公爵・クラウスの姿があった。


 部屋にいくつも用意されたテーブルの上には、ホテルに頼んで用意してもらったご馳走が並んでいる。

 コース料理ではなく、好きな食べ物を好きなだけ取り分けて食べる形式で、クラウスの好物が山のように用意されていた。

 その料理の山をエドゥアルドとクラウスが囲み、別のテーブルでは、クラウスと共に働いたオストヴィーゼ公国の諜報員たちや、エドゥアルドに従って来たノルトハーフェン公国の随員たちが、それぞれ食事と酒を楽しんでいる。


 エドゥアルドが窮地きゅうちを脱したことを祝い、クラウスたちの働きに感謝する席だった。

 無礼講じゃ、というクラウスの宣言もあり、会場は賑やかで明るい雰囲気になっている。


「すべて、計算通りじゃ!

 ベネディクト殿もフランツ殿も、自身で流した噂を打ち消すのに必死になっておる。


 しかも、裏で筋書を書いておったのがわしじゃとは、どっちも気づいておらん!


 ぐっふっふ♪

 なんとも気分が良いぞい」


 そう言って満面に喜色を浮かべながら、クラウスはぐいっとワインを喉に流し込む。

 そしてグラスが空になると、こちらも嬉しそうににこにこしているルーシェがすかさず、お代わりのワインを注ぐ。

 作戦がうまくいったお祝いだからどんどんつげと、そう頼まれているのだ。


「なぁ、ルーシェ。

 ほどほどのところにしておかないと、クラウス殿のお身体にさわらないか? 」


 クラウスがすでにズィンゲンガルテン公国産の最高品質の赤ワインをボトル1本はけていることを知っているエドゥアルドは、前オストヴィーゼ公爵が飲み過ぎではないかと心配する。


「なんじゃい、硬いことを言うてくれるなよ、エドゥアルド殿」


 するとクラウスは、すわった目つきでエドゥアルドをねめつける。


「せっかく、真面目で堅物の息子の目が届かないところまで逃げて来たんじゃ!

 勝利の美酒くらい、好きに飲ませてくれぃ」


「そうですよ、今日くらいは! 」


 エドゥアルドが自重しない酔っ払いに閉口していると、ルーシェがクラウスに同調する。


「クラウスさまのおかげで、エドゥアルドさまの無実の疑いが晴れたのです!

 いっぱい、楽しんでいただかないと!


 もしお酒を飲み過ぎても、私が介抱して差し上げるのです! 」


「おーっ、ルーシェちゃんは優しいのぅ!

 ユリウスに孫ができたら、ルーシェちゃんみたいなコが欲しいのぅ!


 お主らも働くばかりではなくちゃぁんと、ご馳走を食べるんじゃぞ! 」


 調子に乗ったクラウスは上機嫌でさらにワインを口に運び、グラスが空になるとルーシェがどんどんついでいく。

 酒の飲み方の加減などまだエドゥアルドは知らなかったが、不安を覚えざるを得ない飲み方だった。


 しかし、誰もクラウスのことを止めない。

 相手が前オストヴィーゼ公爵であるから、というだけではなく、彼のおかげでエドゥアルドが助かっためでたい席だから、みなルーシェと同じように「今日くらいは」と思っているらしい。

 ルーシェと共に給仕をしているシャルロッテは普段からクラウスには当たりが強く、その飲みっぷりに呆れ顔をしていたが、さすがに今、気分を害するようなことを言うのははばかられると、黙って働いてくれている。


 パーティの主催者はエドゥアルドだったが、主役はクラウスだった。

 この老人の知恵のおかげで危機を乗り越えることができたのだからと、その働きに感謝するために開かれたパーティなのだ。


 クラウスは、勝利の美酒をぐびぐび飲み干していく。

 そして、わっはっは、と心の底から楽しそうに笑っている。


(悩むだけ、無駄だな)


 その様子に内心で肩をすくめたエドゥアルドは、深く考えることをやめた。

 そして自分自身も、無事に危機を乗り越えた祝いを楽しむことに決め、勢いよく料理にかぶりつくのだった。

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