第376話:「魔法の一言:2」

 エドゥアルドに自身の策略の仕上げとなる一言を授けたクラウスは、ルーシェのコーヒーを1杯だけ楽しむと帰って行った。

 彼は決して表舞台に立つことはなく、自身の顔を知っているかもしれない者たちが起き出して来る前に、早朝から働き始めた労働者たちの人ごみに紛れて姿を消したのだ。


(よし、やってやる)


 梟雄きょうゆうと呼ばれた前オストヴィーゼ公爵の助力を得たエドゥアルドは、そう気合を入れると、いつもよりもしっかりと朝食を食べた。


 タウゼント帝国の食文化では、朝食はあまり多くは食べないことが一般的だった。

 メニューもほとんど調理せずに簡単に用意できてすぐに食べられるものばかりであることが多く、量も少ない。


 いつもならエドゥアルドも朝食は軽く済ませてしまうのだが、今日は、勝負の日なのだ。

 朝からしっかりと食べ、力をつけたかった。


 そうして朝食を食べ終え、シャルロッテやヴィルヘルム、警備隊の隊長を務めているミヒャエル大尉や、御者のゲオルクなどを集めて今日の打ち合わせを済ませると、エドゥアルドはルーシェに手伝ってもらいながら服装を整える。


 もちろん、エドゥアルドは1人でも服を着替えることができる。

 時間はかかるが、見た目も整えることができるだろう。

 しかしそういう仕事はいつもそれを手伝ってくれるルーシェの方が得意だったし、手早くできる。


 それにエドゥアルドは彼女に服装を整えてもらいたかった。

 なんでそう思ったのかと説明しようとしてもうまくできないのだが、とにかく、その方が気合の入る感じがするのだ。


「いかがでございますか? エドゥアルドさま。

 どこか、動きにくいところとか、苦しいところはございませんか? 」


「大丈夫、どこにも問題はなさそうだ。

 いつもよりもしっかり朝食を食べたから、少しお腹の辺りがきついけど」


 姿見の前で軽く体を動かしてみたエドゥアルドは、少し冗談めかしてルーシェに言う。

 するとメイドは、ふふっ、と笑ってくれた。


「頑張ってくださいましね、エドゥアルドさま!

 ルーシェ、ここでうまくいくようにお祈りしておりますから! 」


 それからルーシェは、ぐっ、と両手でガッツポーズを作りながら、力強い笑みでエドゥアルドを激励する。


「ああ。……行って来る」


 その彼女の励ましに力を得た気持ちになりながら、エドゥアルドも微笑み返し、うなずいてみせていた。


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 トローンシュタットを帝都たらしめている存在。

 タウゼント帝国の最高権力者の住まいであり、帝国の政治中枢でもあるツフリーデン宮殿。


(まさか、この短期間でこうも頻繁ひんぱんにここを訪れることになるとはな)


 すっかり見慣れてしまった宮殿の景色を眺めながら、皇帝の侍従に査問が開かれる会場へ案内されているエドゥアルドは、そんな感慨を抱いていた。


 タウゼント帝国に所属する貴族の1人であるのだから、エドゥアルドは決して、この壮麗な宮殿とは無関係ではなかった。

 しかし、ほとんど縁のない場所だとも考えていた。

 自分はノルトハーフェン公爵であって、そうである限り、一生の内でも数えられるくらいしかこの場所を訪れないだろうと、そう思っていたのだ。


 その予想は外れてしまった。

 この査問会が開かれている期間の間に、エドゥアルドは自分がかつて想定していた回数を上回ったのではないかと思えるほど、この場所を訪れている。


 いかにツフリーデン宮殿がタウゼント帝国で最も豪華で見栄えのする建物であろうと、すっかり見飽きてしまったほどだ。

 前回、数日前に開かれた査問会では、うんざりした気分しか抱けなかった。


(それも、そろそろ終わりだ)


 今日のエドゥアルドは違う。

 その足取りは力強く、表情にも気合が入って、凛々しい印象だ。


 なにしろ、クラウスから秘策を授けられている。

 下らない査問会も、今日で終わりにできると思うと、自然と気分も高揚するというものだ。


 秘策、ともったいぶってはいるが、その内容は、実は大したことではない。

 ある一言をベネディクトとフランツの前で口にするだけで、彼らのエドワードに対する不毛な仕打ちは終わり、謀反などという噂も無くなるというのだ。


 だが、クラウスからその策の説明を受けたエドゥアルドは、それが非常に効果的であることを知っている。

 そしてその言葉は、[今になって]使うから効果があるのだということも。


 最初に査問が開かれた時にその一言を使っても、なんの効果もなかったはずだ。

 ベネディクトもフランツも限られた情報からの憶測おくそくでエドゥアルドのことを疑ってかかっており、そんな状態でその言葉を口にしても、聞く耳も持たずに無視されるのが関の山だ。


 しかし、今使えば、効果がある。

 これまでに開かれた査問によってエドゥアルドは自身の考えるところをすべて主張してきていたし、クラウスの演出によって、ベネディクトとフランツはそれぞれの信用する情報筋から[エドゥアルドの本音]というものを知っているし、ノルトハーフェン公爵が査問会によってすっかり困り果てていると、そう思い込んでいる。


 そういう前提条件を整えたおかげで、ようやくその言葉に効果が生まれてきたのだ。


([政治]というのは、こうも難しいものか)


 今日こそこの査問会に決着をつけてやると意気込みつつも、エドゥアルドは内心で気の遠くなる思いもしている。


 政治とは、単に、多くの者の利害を調停し、対立を解消してうまく国家が回るように機能させるだけではない。

 口にする言葉の[聞かせ方]、そして言葉を使う[順番]にさえ気を配らなければならないのだ。


 それを、クラウスの策略に従ううちに、エドゥアルドは自然と理解していた。

 その大切さと同時に、難しさも。


 だが、エドゥアルドは躊躇ためらうことなく、進んで行くことができる。

 自分を大勢の人々が支えてくれているということをエドゥアルドは理解していたし、なにより、自分のために祈ってくれている者がいることを知っているからだ。


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