第375話:「魔法の一言:1」
クラウスは、粗末な恰好をしていた。
まるでホテルに必需品などを供給している出入りの商人のような作業着姿で、歩行の助けにしている杖も、いつも使っている豪華な宝飾品つきのものではなく、平民が使っていてもおかしくない質素なものになっている。
その容姿を知らない者が見れば、この人物が前オストヴィーゼ公爵だとは誰も気がつかないだろうと思えるほどだった。
「クラウス殿!? いったい、どうして……」
「しーっ、声が大きいぞい、エドゥアルド殿」
慌てて立ち上がったエドゥアルドが驚きつつ頭を下げようとすると、クラウスは自身の口元に人差し指を当てながらウインクをしてそれを押しとどめる。
「朝早く、しかも査問の日じゃということはわしも知っておる。
しかし、エドゥアルド殿にどうしても直接会っておきたくての。
なにせ、ほら、今日の査問会がすべての[仕上げ]になるはずだからの」
クラウスはこれまで、その行動をベネディクトとフランツに警戒されないようにと、エドゥアルドと連帯していることを知られないために直接会うことは避けて来た。
しかし、今になってその決まりを破ったのは、彼がしかけた策略がいよいよ完成する……、今日、これから行われる査問会がその仕上げになると見ているためであるらしい。
「本当なら、いつものようにメモで連絡をするんだがの。
せっかくじゃで、わしが直接、エドゥアルド殿に伝えたかったんじゃよ。
すべての総仕上げとなる、[魔法の一言]をな」
それからクラウスは、くっくっ、と喉を鳴らしながら不敵な笑みを浮かべる。
どうやら彼は、とっておきの秘策をエドゥアルドに伝えるために、危険を冒し、変装までしてここにやって来たらしい。
「なるほど、お話は分かりました。
でしたらぜひ、クラウス殿の策、お
クラウスの突然の訪問が緊急事態の類ではないことを知ってほっとしたエドゥアルドはそう言うと前オストヴィーゼ公爵にイスを指し示して勧める。
しかし、すぐに自分が寝間着姿のままであることに気がつき、しまった、という顔をした。
前公爵とはいえ目上の相手にこの格好で会うのは非礼に当たるのではないかと思ったのだ。
「すぐにお着替えをご用意いたしますね」
エドゥアルドの表情でその考えを察したルーシェが、急いで小走りになって部屋の奥へ向かおうとする。
「ああ、かまわん、かまわん。
お忍びで変装までして来ておるんじゃ、今さら恰好など気にせんよ。
それに、できれば多くの者が起き出してくる前に退散しておきたいでの」
だがクラウスがそれを押しとどめると、ルーシェは立ち止まってエドゥアルドの方を振り返る。
「クラウス殿がこうおっしゃっておられるのだ。
今は、お話を聞くことを優先しよう」
エドゥアルドがそう言ってうなずいてみせると、ルーシェは「かしこまりました」と言ってうなずき、それからエドゥアルドたちの近くにまで戻ってくると、クラウスのためにイスを引いた。
「おお、すまんのぅ」
そのルーシェのもてなしに気分を良くしたのか嬉しそうな笑顔でうなずくと、クラウスは早速、そのイスに腰かける。
それから彼女は「朝のコーヒーなどいかがですか? それとも、紅茶にいたしますか? 」とたずね、「では、コーヒーを。お主のはなかなかうまいし、バリエーションもあるからの」との返答をクラウスからもらうと、その準備のために静かに部屋から出て行った。
「いやぁ、出入りの業者のフリをしてもぐりこんだんじゃがの。
なかなか警備が厳しくて、難儀したぞい。
さすがエドゥアルド殿の警護の兵士たちじゃ、優秀であるな。
そうして困っておったら、厨房で朝食の支度をしておるあのメイド、ルーシェ殿に会えてのぅ。
事情を説明して、こっそり、ここまで連れて来てもらったのじゃ」
いつものことだったが、ルーシェは早起きをして仕事を始めていたらしい。
そしてその勤勉さが、エドゥアルドにもクラウスにも幸運に働いた様子だった。
「いつも熱心に働いてくれていて、助かっています」
エドゥアルドはルーシェがいないのをいいことに、ふと、素直な本音を
最初は未熟者で、ドジばかりしていたルーシェだったが、近頃はすっかりプロフェッショナルとしての働きを見せている。
だが、エドゥアルドは滅多にルーシェのことをほめたりしない。
というのは、そうやってエドゥアルドが賞賛した時に限って、彼女は最初のころに戻ってしまったのかと思えるようなドジをするからだ。
「ほんにのぅ、なかなかできたメイドに成長したものじゃ。
それでの、さっそくで悪いのじゃが、貴殿には今日の査問会である言葉を使って欲しいんじゃ」
エドゥアルドの言葉ににこやかにうなずいたクラウスだったが、すぐにそう言って本題をきりだした。
急いでいるというのは本当であるらしい。
多くの人々、具体的に言えば早朝から働いている労働者たちではなく、クラウスの顔を知っているかもしれないそれなりの立場にいる人間たちが起き出して来る前に姿を消したいと考えているのだろう。
「それは、どのような言葉ですか? 」
この部屋に開けてあったのぞき穴はすべて塞いであるし、よほど大声で話さなければ盗み聞きされる心配はない。
しかし、すべての総仕上げとなるクラウスの策略を聞き逃さないよう、エドゥアルドは軽く身を乗り出した。
「おう。実はな……」
するとクラウスも身を乗り出し、エドゥアルドに耳打ちするように、その[魔法の一言]、これから行われる査問会の場で口にして欲しいという、今までの総仕上げとなる一言を告げた。
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※作者より感謝を申し上げます
本話の展開は、本作の二次創作もしてくださっている隼 一平様のアイデアを元に作成させていただきました。
どういう展開にしようかと悩んでいたところに素晴らしいアイデアをいただき、ありがとうございました!
ネタバレになってしまうのでここではこれ以上のことは説明できませんが、どうなっていくのか、お楽しみに!
そして、隼 一平様のエッセイ……、「おっちゃんの独り語り始めます…。」では、本作のヴェーゼンシュタット攻防戦の辺りを元に、IF的な展開で二次創作をしてくださっています。
こちらの「クラウス殿」も、大変良いキャラをしておりますよ!
また、本話に前後する部分についても、隼 一平様が描いたクラウス殿を大きく参考にさせていただいております。
もしよろしければ、本作と合わせてお楽しみいただけますと嬉しいです。
また、エッセイも
読者様、そして隼 一平様。
どうぞ、これからも熊吉をよろしくお願いいたします!
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