第372話:「クラウスの暗躍:2」
エドゥアルドは[査問]を受けている身ではあったが、その行動は特に制限されているわけではなかった。
彼はノルトハーフェン公爵であり、どこかに逃げ隠れすることなどできない、という事情もあるが、その行動を制約できないなによりの理由は、この査問会がカール11世個人の名で私的に開かれたものであるからだった。
一握りの特権階級である貴族たちによって支配されているタウゼント帝国にも、法はある。
これをしてはならない。もしそれをしてしまった時には、皇帝の名において懲罰を加える。
そうして誰もが理解できる共通のルールを制定し、実効力のある形で運用しなければ、国家に秩序を形成することは困難なのだ。
だが、エドゥアルドを呼びつけて行われている査問会には、法的な根拠がない。
法律によらないからと言っても、タウゼント帝国の最高権力者である皇帝の命で開かれるのだからその臣下であるノルトハーフェン公爵がそれを無視することなどできないが、同時に、彼をどうするのも、皇帝の考え次第で決まるということでもあった。
エドゥアルドはタウゼント帝国の貴族の支配という制度によって査問にかけられるのと同時に、それによって保護されてもいるのだ。
皇帝であり査問会の主催者でもあるカール11世は、エドゥアルドを呼びつけはするものの、決してその行動を制約したりはしていなかった。
カール11世は[謀反]などという噂を信じていない。
だから、エドゥアルドにそのあらぬ嫌疑を晴らす機会を与え、そのために
その厚意にエドゥアルドは遠慮なく甘えることとして、クラウスに指示された通りに動いた。
次期皇帝位を巡る権力闘争に巻き込まれ、やるべきことをできないで足踏みしてしまっている現状から、一刻も早く抜け出したかったからだ。
メモに書かれた人物と、いつ、どこで会うのか。
それはすべてクラウスによって根回しがされており、エドゥアルドは指定された日時には必ず、その人物と会うことができた。
多くの人々とエドゥアルドが会う。
それは、陰謀に追い詰められたエドゥアルドが方々に助けを求めて泣きついている、という風に、そんな捉え方をベネディクトとフランツがするように[演出]されていた。
エドゥアルドが誰かと会うことを自然に見せ、同時に、ベネディクトとフランツを、「我々の陰謀がうまくいっている」と錯覚させ、油断させるためだ。
エドゥアルドはすっかり、クラウスの[操り人形]だ。
最初にもらったメモには会うべき人物のリストと、いつ、どこで、といった情報しか記されていなかったのだが、会うだけで良いのかと思っていたら、実際にその人物と会うために出かけると必ず、より詳しい指示がクラウスから届けられるのだ。
こちらに指示を伝えて来る人物は、様々だ。
その日に会う人物の使用人やボディガードであったり、馬車の御者や、ただの通行人であったり。
ただ、エドゥアルドはどの人物にも、見覚えがある気がした。
帝都・トローンシュタットに入る前、クラウスと別れるときにちらりと目にした、クラウスの手足となって働く諜報員たちの誰かに違いない。
変装した諜報員たちは、クラウスからの事細かな指示を伝える。
こっそりと、さりげなく耳打ちする形だったり、背中越しに伝えられる独り言だったり、そっとメモを渡されたり。
エドゥアルドはそれに従い、指示された内容に沿った発言をし、求められた通りの態度を見せる。
査問会によって追い詰められ、手当たり次第に助けを求めていると、そう見えるように。
そんなことがくり返された。
クラウスが本当に会わせたかった者たち……、おそらくはベネディクトとフランツに肩入れし、深いつながりのある相手。
エドゥアルドは、クラウスが作り出した文脈の中で彼らと会うこととなった。
彼らの方からすればこれは、ベネディクトとフランツが知りたがっているエドゥアルドの情報を引き出して伝えるという、[手柄]として考えられているらしかった。
クラウスという強力なパイプを利用して、エドゥアルドから直接入手した[独自]の情報。
それをベネディクトとフランツに売り込めば、その功績によって将来、自分が得る[パイ]がより大きなものとなる。
クラウスは、あたかも自分は味方である、協力者であるという体で接近し、彼らに「エドゥアルド殿がなにを考えているのか、直接知りたくはないか? 」とささやき、その気にさせていた。
彼らは、自分がクラウスの手の平の上で踊らされているだけなのだということにまるで気づかず、エドゥアルドの本音を探りだし、それを主に伝えることで手柄とするチャンスだと、そう信じきっている様子だった。
だが、実際には、ベネディクトとフランツに、クラウスが「伝えたい」情報を疑われることなく到達させるための、伝達役に過ぎないのだ。
すべて、騙し合いだ。
彼らは、まるで自分はエドゥアルドの味方であるという風を装っていた。
そうして、窮地にあるはずのエドゥアルドを手助けするためだと偽りながら、自分ならベネディクト、あるいはフランツにとりなすことができると、そう提案してくる。
謀反の嫌疑にかけられ、査問に呼びつけられて、心底困っている。
エドゥアルドはクラウスの指示に従い、そんな態度でいることに徹した。
(お前たちの魂胆など、分かっているのだぞ)
エドゥアルドに接触し、引き出した[本音]を、自分たちに甘い汁を吸わせてくれることになっているベネディクトとフランツに伝える。
そんな狙いを抱きつつ、表面的には親切をよそおって近づいて来る者たちをエドゥアルドは内心で嫌悪したが、必死に、クラウスから求められた[演技]をし続けた。
それは、はっきり言ってエドゥアルドにとっては苦手なことだった。
若くして公爵となり、ノルトハーフェン公国の実権を掌握しているエドゥアルドは、幼いころから多くの優秀な教師に学ぶ機会を得てきた。
しかし、こんな腹芸は、習ったことがない。
誰も彼もが、自分の[本心]を偽り、相手を出し抜こうとしのぎを削っている。
自分の考えていることや感情、思惑を少しも表に出さないで、思ってもみないことを、それらしい表情でぬけぬけと言ってのける。
ウソをついている心地で、少しも気分が良くない。
質実剛健で偽りのない、というのがエドゥアルドの理想の人物像であるのだが、必要なこととはいえ、相手のいる前で心にもないセリフを口にして演技をして見せるのは、自分の信念に泥を塗っている感じがする。
(これを、できるようにならなければ)
だが、エドゥアルドは必死に、クラウスの演出通りに動き続けた。
この程度のことができなければ、この先、公爵としてやっていくのが大変になる。
クラウスのその指摘はエドゥアルドも正しいと思っていたし、実際のところ、現在の状況から抜け出すのには有効でありそうだったからだ。
そして実際に、エドゥアルドは他人を出し抜こうとあらゆる手を尽くす、腹黒い政治の世界に触れている。
不快な世界だったが、自分は公爵としてこの不快さに向き合い、対処の仕方を身につけなければならない。
エドゥアルドは自分にできる限り、表情を、声をとりつくろい、クラウスの忠実な駒であり続けた。
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