第362話:「巣窟:1」

 季節外れの大雨と、それによって起こった事故。

 そのために本来の予定より帝都・トローンシュタットへの到着が1日遅れてしまったが、これはむしろ幸運だったと考えるべきだろう。


 陰謀を張り巡らせている者たちの巣窟そうくつとなっている場所に乗り込んでいく前に、クラウスという、海千山千うみせんやません梟雄きょうゆうの助力を得ることができたからだ。


 クラウスは、エドゥアルドに積極的に力を貸してくれるつもりであるらしかった。

 ベネディクト公爵とフランツ公爵を手玉に取り、エドゥアルドを陥れようと彼らが流した噂を、彼ら自身の手で打ち消させるという策略は、クラウスが中心となって実行してくれるということだ。


 これほど心強いことはない。

 ないのだが……。


「それで、クラウス殿。

 このお礼は、どのような形でお返しすればよいでしょうか? 」


 エドゥアルドはクラウスのことを頼もしく思いながらも、そのことをたずねるのは忘れなかった。


 エドゥアルドのノルトハーフェン公国と、クラウスのオストヴィーゼ公国は、盟友の関係にある。

 だが、なにごともタダでやってもらえる、というほどの関係ではない。


 両国が手を取り合っているのはそれが双方にとってもっとも利益になるからであり、なんの見返りもなしにクラウスがエドゥアルドのために働いてくれることは、あり得ないはずだからだ。


「なんの。

 せがれの義兄弟のことじゃて、安くしとくよ」


 クラウスは口ではそんなことを言って来るが、なにかを企んでいそうな悪い笑みを浮かべている。


(いったいなにを言われるやら……)


 エドゥアルドは苦笑いするしかなかった。

 今後も友好関係を継続するつもりが双方にある以上、あまり無体な見返りは求められないだろうとは思うものの、相応のものはしっかりしぼり取られるのに違いなかった。


 期待と不安の入り混じった表情を浮かべているエドゥアルドの姿を見て、クラウスはふっふっふ、と不敵な含み笑いをらす。

 それはきっと、エドゥアルドからしぼり取る予定の見返りへの楽しみと、久しぶりに遠慮なく悪知恵を働かせることができる喜びから生まれた笑いに違いなかった。


────────────────────────────────────────


 翌日、エドゥアルドたちは早朝に出発した。

 橋の事故によって到着がズレることはカール11世に知らせてあるから慌てなくても良いのだが、謀反、などというあらぬ噂はできるだけ早く打ち消したかったのだ。


 エドゥアルドの一行と共に宿泊したクラウスだったが、帝都へ向かう際は別行動だった。

 というのは、隠居の身とは言えクラウスのことは多くの者が知っており、エドゥアルドと一緒に帝都へ入っては、なにか企んでいるのではないかとあからさまに疑われるからだ。


 ベネディクトとフランツに警戒されてしまったのでは、クラウスがどんな知恵を用いたとしても、成果は上げにくくなる。

 そうなることを防ぐために、クラウスは人目につかないようにこっそりと帝都へ向かうということだった。


 お忍びの旅だ。

 エドゥアルドたちの前に姿をあらわした時も商人風のいでたちで偽装していたが、別れる時も同じ変装をしている。


 どうやら現役を引退した商人、というていで動いているらしい。

 クラウスは馬車に乗り、数人のお伴と共に行動するつもりでいるようだった。


 お伴の数は数人と、元公爵の護衛としては少なかったが、全員がただ者ではなさそうだった。

 クラウスと別れる際、エドゥアルドたちはちらりとお伴たちの姿を目にしたのだが、みな目立たない恰好をしていたがその動きには隙がなく、それぞれが高度な技能を身に着けた一流の諜報員であると見受けられた。


(クラウス殿と、彼らに任せておけば大丈夫だろう)


 その姿はエドゥアルドにそんな安心感をもたらしてもくれたが、同時に、空恐ろしい気持にもさせられた。


 ベネディクト公爵とフランツ公爵を手玉に取って、自らの手で自らが流した噂を打ち消させる。

 そんな策略はとても、エドゥアルド1人だけでは思いつかないし、実行する方法も持ち合わせてはいなかいからだ。


 今は味方をしてくれているから、心強い。

 だが、もしこれから先にノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国の利益関係が成立しなくなれば、クラウスもエドゥアルドの敵となるのだ。


(諜報、か……。

 僕も、きちんと整えた方がいいのだろうな)


 帝都・トローンシュタットへと向かって、まだ日ものぼりきっていない薄暗い空の下を進んで行く馬車の中で、エドゥアルドはそんなことを思う。


 このくらいの策略を使いこなせないようでは、この先、公爵としてうまくやっていくことは難しい。

 クラウスから受けたその指摘は、エドゥアルドも、気が進まないだけで正しいとは思うのだ。


 情報は、複雑怪奇な存在だ。


 より正しい判断を下すためにはより多くの情報が必要となる、というのが順当な考え方だった。

しかし、ある情報を得たがために、かえって判断を誤るという事態も起こり得るのだ。


 どうやってより多くの情報を集めるのか。

 そして集まった情報をどうやって処理し、判断に結びつけていくのか。


 そういった諜報に関する専門の組織を、エドゥアルドはまだもってはいない。


 クラウスは、それを持っているのに違いなかった。

 ノルトハーフェン公爵としての実権を取り戻すために、幽閉同然に押し込められていたシュペルリング・ヴィラからヴァイスシュネーへと進撃する際に、エドゥアルドが兵士たちの前で言った言葉。


 少なくない人間が耳にしたが、しかし、世間に広く知られているわけではない、特定できるほどの者たちにしか知られていないはずの言葉。

 それを知っているということは、クラウスはかなり感度の良い情報網を有しているはずだった。


 別に、隠していたというわけではない情報だ。

 しかし、そんなことまで事細かに調べるというクラウスの姿勢と能力に、エドゥアルドは脅威と尊敬の気持ちを持たざるを得なかった。


(ひと段落着いたら、真剣に考えよう)


 エドゥアルドは諜報網をどう整備するかということを、いったん思考の隅に追いやった。

 今はとにかく、皇帝からの査問にどう応じるかに専念するべきだったからだ。

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