第358話:「火中へ:1」

 クラウスはこの時代の平均寿命を優に超えていたが、まだまだ健康で元気があるようだった。


「ふぅ、満足じゃ。

 すっかりご馳走になってしまったのぅ」


 ルーシェが用意した夕食をすべて平らげたクラウスは、満足そうな笑みを浮かべながらイスに深く腰かけ、膨らんだ自身の腹部を心地よさげに手でさすっている。


「まだまだお達者で、安心しました」


「なんの、なんの。

 わしはまだ、もう50年は生きるつもりでおるからの! 」


 その様子を見て感心したようにエドゥアルドが言うと、クラウスはニヤリとした笑みを浮かべてそう言ってのける。


(この様子なら、本当にあと半世紀でも生きられそうだな……)


 あと50年も生きれば100歳を超えてしまうのだが、本当にそこまで長生きしそうだと、エドゥアルドは苦笑する。


「っと、腹が膨れたところで、話を戻すかのぅ」


 だがエドゥアルドはそのクラウスの言葉ですぐに表情を引き締めた。


 エドゥアルドはこれから、タウゼント帝国の皇帝、この世界で君主とあおぐ唯一の存在の臨席の下、帝都・トローンシュタットで査問を受けなければならない。

 帝国の公的な組織や制度に基づく査問ではなく、皇帝からの私的な召喚という形ではあったが、カール11世が「来い」と言ってきているのだから出向かないわけにはいかない。


 そしてこんなことになっているのは、エドゥアルドのことを「出る杭」として邪魔に思った2人の公爵、ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトと、ズィンゲンガルテン公爵・フランツが画策した結果だった。


 つまり、査問会とは[出る杭]であるエドゥアルドを叩いて黙らせるために開かれるのだ。

 いったいどんな難癖なんくせをつけられるのか、わかったものではない。


「僕は、トローンシュタットに出向かないわけにはいきません。

 私的な形での呼び出しとはいえ、皇帝陛下の命令ですから。


 しかし、僕をやりこめてやろうと手ぐすねを引いている連中が待ちかまえている中へ乗り込んでいかなければなりません。


 クラウス殿。

 僕はいったい、どうしたらよいのでしょうか? 」


「さよう。まさしく、火中に飛び込むようなものじゃ」


 真剣な表情で助けを求めて来るエドゥアルドに、クラウスも重々しくうなずいてみせる。


「実はな、帝都にはエドゥアルド殿の他にも、公爵が2人、やってきておるのじゃ。

 今回の仕掛け人、ベネディクト殿と、フランツ殿。


 査問に応じるためにエドゥアルド殿が出発するという報告を受けて、自ら糾弾きゅうだんしてやろうと乗り込んで来たらしい」


「ベネディクト公爵と、フランツ公爵が……」


 エドゥアルドは顔をしかめる。

 ただでさえ厄介な状況なのに、敵の親玉が自ら乗り込んできたとなるとことはより深刻だった。

 2人の公爵は、本気でエドゥアルドを潰すつもりでいるということなのだ。


「ま、すでにそこにおるヴィルヘルム殿と散々、打ち合わせはしておるだろうがの。

 特に痛いところもないんじゃろうし、査問の場では、正々堂々とエドゥアルド殿の考えを述べればよいじゃろう。


 エドゥアルド殿、お主はいろいろと、昔ながらのやり方を変えようとしておるが、それもすべて考えあってのことなのじゃろう?

 ならばそれをそのまま説明すればよいじゃろう」


「しかし、ベネディクト公爵とフランツ公爵がそれで引き下がるでしょうか? 」


「皇帝陛下の臨席で行われる査問じゃ。

 両公爵がいくら批判しようとも、カール11世陛下に納得していただければそれですべて片づくじゃろ。


 陛下は以前より、エドゥアルド殿には好意的じゃったからの。

 先代のノルトハーフェン公爵、エドゥアルド殿の御父上の死に関して陛下なりに責任を感じていらっしゃったというのもあるのじゃろうが、なんといっても貴殿は陛下の危機を救い、念願の戦争での勝利ももたらしたお人じゃもの。


 貴殿の言うことであれば、陛下はご信頼になるじゃろうよ」


「ですが、それで僕のありもしない噂が否定されたとして、すでにその噂を信じてしまっている人々までも納得するのでしょうか?

 陛下が僕のことをご信頼下されても、周囲の者が内心で疑ったままでは、僕はこれからなにをするのにも噂が再燃しないかを心配しなければなりません」


 皇帝からの信任を勝ち得ればそれですべて片づく。

 それはクラウスの言う通りだったが、しかし、帝国最大の権力者とは言え、その下に仕えているすべての人々の心まで操ることなどできない。


 人々は表面的には納得した顔をするに違いなかったが、内心でエドゥアルドのことを疑ったままでいたら、なにかのきっかけさえあればすぐにまた噂が再燃してしまうのに違いなかった。


 今回の査問は、皇帝自身はエドゥアルドのことを疑っていないのに、その周囲の人々があまりにも盛んに噂をするから、人々の間でその噂がいつの間にか事実として認定されてしまう以前にエドゥアルド自身の手で身の潔白を証明させようというために開かれることとなったのだ。

 つまり皇帝自身がどう思っていても、その周囲の人々の意見を無視することはできないということだ。


 エドゥアルドにとっては、どうすれば良いのか途方に暮れるような問題だった。

 信頼とは、一時の言葉や態度で得られるものではなく、長い時間をかけて作り上げて行かなければ得られないものだと思っているからだ。

 そして噂を信じてしまったすべての人々との信頼関係をイチから築き上げることは、困難だとしか思えない。


「ま、それに関しては、噂を流した者たち自身の手で打ち消させるのがもっとも手っ取り早かろう。


 噂を広めたのと同じ手法で、エドゥアルド殿についての噂が真実ではなかったと人々に広めてもらえばいいんじゃ」


 しかしクラウスは、こともなげにそう言うのだった。

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