第354話:「梟雄、再び:2」
窓の外では、しとしとと雨が降り続いている。
日が暮れてしまったし、空は雨雲に覆われているために辺りはずいぶんと暗く、室内の明かりで建物の窓がくっきりと浮かび上がって見える。
役人たちの尽力のおかげで、この雨の中、外にいなければならないという人々は1人も出さずに済んだようだった。
雨が降り続ける街の通りは人通りもなく、暗闇の中に深く沈んでいる。
本題に入ろうか。
そのクラウスの一言で、エドゥアルドの部屋も、外と同じように静まり返っていた。
響いているのは、わずかに聞こえる雨の降る音だけだ。
「すまんが、シャルロッテ殿。
人払いをして来てくれんかの? 」
しばらく沈黙が続いた後、クラウスはちらりとシャルロッテの方を見ると、そう依頼した。
一瞬だけ、シャルロッテは険しい表情を見せる。
人払いをせよ、ということは、これからクラウスはかなり機密性の高い話をするということだからだ。
だが、彼女はすぐに「かしこまりました」とうなずくと、周囲に聞き耳を立てている者がいないかを確かめに向かった。
「あの、では、私は失礼いたします」
そのシャルロッテの様子とエドゥアルドたちの様子とを交互に見やったルーシェは、コーヒーポットを手に持ったまま、おずおずとした口調でそう申し出る。
いつもなら別に追い出されるようなこともなく、エドゥアルドたちはルーシェの前で平然と国家機密に類することを話すのだが、今はクラウスもいることだし、人払いをするというのなら自分もいない方が適切だろうと思ったのだ。
「いや、別にかまわんよ?
もしかすると、お主にも関わるような内容かもしれぬしな」
部屋を出て行こうとするルーシェだったが、クラウスに呼び止められ、意外そうな顔で振り返る。
「エドゥアルド公爵の口にするものにも、気を配ってもらわねばならぬでな」
そんな彼女のことをちらりと見やったクラウスは、それだけを言った。
エドゥアルドの口にするものにも、注意をしなければならない。
もちろんルーシェやその他の使用人たちは日頃からエドゥアルドが口にするものには細心の注意を払っているが、クラウスがあらためてこんなことを言うとすれば、それが示唆していることはそういう日常的な配慮のことではない。
毒。
それによって、エドゥアルドが害される可能性があるかもしれないということだった。
「ま、さすがにちっと、そこまでは大げさかもしれんがのぅ」
クラウスは軽い口調でそう言い、かっかっか、と笑い飛ばしたが、エドゥアルドたちは誰も笑わなかった。
長い歴史を持つ貴族社会では、そういった薬物が使用されることはよくあることだからだ。
「周囲には誰もおりませんでした」
やがてこの部屋の安全を確認したシャルロッテが戻ってくる。
事前に建物の構造は徹底的にチェックして把握してあるので、見落としはないはずだった。
彼女が戻ってくるのを待っていたエドゥアルドが口を開く。
「クラウス殿。
いったい、誰が僕に害意を抱いているというのでしょうか? 」
「ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクト殿。
そして、ズィンゲンガルテン公爵・フランツ殿。
それに賛同する貴族たちが、複数」
クラウスは、引き延ばすことなく単刀直入にそう答えると、コーヒーカップを手に取ってぐい、と喉の奥に暖かいコーヒーを流し込む。
冷え切っていたというのは誇張ではなく、本当であるらしい。
その一方で、エドゥアルドたちは
ヴィルヘルムだけはいつもの柔和な笑みを仮面のように張りつけたままだったが、その
ヴェストヘルゼン公爵とズィンゲンガルテン公爵。
どちらもタウゼント帝国の被選帝侯であり、ノルトハーフェン公爵家と並び立つ有力な諸侯だ。
その両公爵から害意を持たれているというのは、タダごとではなかった。
ベネディクトもフランツも、現在の皇帝、カール11世の次の皇帝となるかもしれない有力な候補であったし、どちらも帝国で大きな権勢を誇っている有力者だからだ。
しかも、この両公爵は、互いに仲が良くないはずなのだ。
次の皇帝位を巡るライバル関係にある両者は対立しており、少しでも自身の立場を補強して相手の力を弱めようと盛んに暗躍している。
水面下で、すでに次の皇帝を決めるための戦いが始まっていることは、帝国諸侯の間では周知の事実だった。
もっとも、エドゥアルドは我関せずと中立の立場を取り、ベネディクトにもフランツにもつかずに、自国の内政に専念していたのだが。
「僕は、両公爵から恨まれるようなことに、心当たりがありません」
ベネディクトとフランツから害意を持たれているというのは大事件だったが、エドゥアルドは納得できなかった。
ベネディクトには、タウゼント帝国軍がアレクサンデル・ムナール将軍に率いられたアルエット共和国軍にラパン=トルチェの会戦で敗北した時、エドゥアルドがノルトハーフェン公国軍を率いて
エドゥアルドたちのおかげで、ベネディクトは安全に、最小限の損害で
フランツについても、同様だ。
エドゥアルドはサーベト帝国軍の侵略を受け包囲下に置かれたズィンゲンガルテン公国の首都、ヴェーゼンシュタットをオルリック王国軍、そしてオストヴィーゼ公国軍と共に救援し、その危機を救っている。
年少ながらも功績をあげ、頭角をあらわしつつあるエドゥアルドに対して、2人が好意を持っていなかったことは、エドゥアルドも知っている。
しかし、害意を持たれるほどのことはないと、そうとしか思えなかった。
「エドゥアルド公爵。
貴殿、面倒だからと言って、次期皇帝選挙の
エドゥアルドの
「それが、両公爵からすると、「エドゥアルド公爵自身が皇帝になろうとしている」と見えてしまったのじゃよ」
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