第352話:「雨」

 帝都で開かれる査問に応じるために出頭するエドゥアルドの旅路は順調なものだったが、帝都まであと半日ほどで到着するというところで、にわかに足止めを受けてしまっていた。


 季節外れの大雨により街道を横切る川が増水し、そこにかかっていた橋が破損してしまったのだ。

 それはもう百年も昔に建設された石造りの頑丈なアーチ橋だったのだが、上流から流されて来た大木がアーチの部分に衝突したことで破損し、一部が崩れてしまった。


 人間であれば、かろうじて通行は可能なのだという。

 しかし、馬や馬車で、となると、応急修理が行われてからでないと通ることができなかった。


 幸い、すでに雨脚は弱まっており、増水した水も段々と引いているのだという。

 安全が確認され次第橋の応急修理は開始されるのだが、早ければ明日の昼間には仮復旧が完了する見込みだった。

 事故が起こったのがタウゼント帝国の南北を貫く重要な街道にかかる橋であったために、夜を徹しての作業が行われる予定だ。


 エドゥアルドたちは急いで帝都・トローンシュタットに向かっていたから、この日の内に到着してしまうつもりでいた。

 しかし、この事故によってそれはできなくなり、しかたなく少し引き返して、橋の復旧が終わるまでの間の宿を取ることとなった。


 ちょうど、街がある。

 あまり規模の大きな街ではなかったが、街道を徒歩で旅をする人々が帝都から北上する際に1泊するのにちょうどいい距離にあるために、それなりに大きな宿泊施設がある街だ。


 街は、橋が落ちて帝都までが通行不能となったこと、そして季節外れの大雨から逃れるために、多くの人々でごった返していた。

 元々の交通量が多かったから、旅人だけではなく、多くの馬車が足止めを受けてしまっている。

 そのために元々大きな規模の宿泊施設があったのにもかかわらず、エドゥアルドたちが事故を知って引き返して来た時には、どの宿泊施設も満杯に近い状態になってしまっていた。


 だが、幸いにもエドゥアルドたちは宿泊先を確保することができた。

 どの宿も一杯でどうしようかと悩んでいた時、ノルトハーフェン公爵が立ち往生していると聞きつけたこの街の役人たちが姿をあらわし、街の役場を仮の宿舎として提供することを申し出てくれたのだ。


 この辺りは、諸侯の領土ではない。

 タウゼント帝国の皇帝の直轄領だ。

 どうやら役人たちはカール11世からノルトハーフェン公爵に対し必要なら便宜を図るようにとの意向を受けていたらしい。


 役場の建物ではあったが、皇帝の直轄領のものであるだけに造りは良く、内装も凝ったものだった。

 どうやら歴代の皇帝が地方に巡幸する際に休憩所として使うことも想定して作られているらしく、公爵を宿泊させて失礼にならないような部屋もあった。


 エドゥアルドは最初、役人たちからの申し出を受けることを躊躇ちゅうちょした。

 街には自分たちと同じように宿を見つけられずに困っている旅人たちが大勢いたからだ。


 自分は公爵だから。

 そうやって特権的に考え、役人たちからの特別扱いを「当然のこと」とするような考え方は、エドゥアルドは持っていなかった。


 役人たちはエドゥアルドが躊躇ちゅうちょしているために、困ったような顔をしていた。

 彼らとしては、ノルトハーフェン公爵に対し粗雑な扱いをすることなどできない、許されないことであったからだ。


「だったら、空いているお部屋に、できるだけ困っている人を泊めて差し上げたら良いのではないでしょうか? 」


 お互いに困っているエドゥアルドと役人たちの様子を見てそう言ったのは、ルーシェだった。

 そして結局、彼女のその一言ですべての問題は解決した。


 エドゥアルドは役人たちの勧めに応じて役場に宿泊し、そして、役場の建物で空いている場所は他の旅人たちに解放され、臨時の宿泊所として数百人が収容された。


 役人たちはエドゥアルドの宿泊所の周辺が騒がしくなってしまうことや、万が一の警護のことを心配している様子だったが、エドゥアルドは気にしなかった。


「大勢の民衆が風雨にさらされたままではその方がくつろぐことなどできない。

 それに、僕には優秀な警護の者たちがいるから」


 エドゥアルドはそう言って、役人たちの懸念を払拭ふっしょくした。


 街に到着したのは昼過ぎで、エドゥアルドたちが用意された部屋に入ることができたのは夕方近くになってのことだった。


 まだ雨は降り続けていたがもう小雨程度になっており、役人たちからの報告によれば、壊れた橋の復旧作業は最短時間で終わる見込みだということだった。


 帝都では今も、エドゥアルド謀反、の噂が広められ続けているのに違いない。

 その根も葉もないうわさを1秒でも早く粉砕したい気持ちはあったが、足止めされているのは自然災害のせいなので受け入れるしかない。


 エドゥアルドはヴィルヘルムとともに、皇帝隣席の下で開かれる査問会でどのようなことが問われるのか、そしてそれにどう答えるべきかを打ち合わせることに時間を費やすことで、つのる焦燥感を忘れ去ることとした。


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 エドゥアルドを訪ねて来た者がいる。

 役人の1人がそう報告してきたのは、ヴィルヘルムとの打ち合わせを一休みし、夕食を取り終わって、食後のコーヒーを楽しんでいた時のことだった。


「僕に会いたい、というのはどなたなのだ? 」


 コーヒーカップをソーサーの上に戻しながら、エドゥアルドは雨に服を濡らした役人に怪訝けげんそうに問い返す。

 役人たちは橋の復旧工事と足止めを受けた旅人たちへの対応のために忙しく働いており、そのせいで雨にうたれているらしい。


「はぁ、その……、何度おたずねしても、「義父が来たと言えばわかるはずだぞい」とおっしゃるだけで、どなた様かは……。

 身なりは旅の商人風のお方なのですが、どうにも、ただ者とは思えない鋭い目つきをされていて、手には宝石の散りばめられた豪華な杖をお持ちでした。

 ご老人でいらっしゃいます」


「僕の、義父?

 目つきの鋭い、杖をついたご老人……」


 ハンカチで汗と雨水をきながら恐縮するように説明する役人に、エドゥアルドは眉をひそめながら身体の前で腕組みをする。

 とっさに、思い当たる人物が浮かんでこない。


「なんじゃ、わしのことを覚えておらんのか?

 寂しいことじゃのぅ……」


 その時、役人の背後でそう嘆く声がする。

 驚いた役人が慌てて飛びのくと、そこには、目つきの鋭い、杖をついた老人の姿があった。


 本人の姿を目にすれば、誰もがその老人のことを思い出す。


「こ、これは、クラウス殿! 」


 エドゥアルドは驚愕きょうがくしながら起立すると、その老人、前オストヴィーゼ公爵・クラウスに向かって頭を下げる。

 するとクラウスは、いたずらを成功させて機嫌を良くした子供のように無邪気に笑いながら、「そう、わしじゃよ、わし」と、何度もうなずくのだった。

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