第351話:「不穏」

 皇帝からの、不可解な呼び出し。

 帝都で流れているという、エドゥアルドが謀反を企てているなどという、噂。


 ありもしない噂でも、少なくない人々がそのことを信じてしまっている。

 だからこそ皇帝も、エドゥアルドを呼び出し、身の潔白を証明させようと考えたのだろう。


 いったい何者がそんな噂を、どんな狙いで流しているのか。

 エドゥアルドは不穏な気配を感じつつも、帝都に向けて出頭する準備を急いで進めなければならなかった。


 帝都の情勢を探るために時間をかける、ということも考えはした。

 そこでどんな策謀が渦巻いているのか知らずにその中に飛び込んでいくのは、あまりにも無謀というか、迂闊うかつであると思えるからだ。


 だが、すでにエドゥアルドの査問を行うために出頭を求めるという、具体的な行動を皇帝自身が起こさなければならないほどに謀反の噂は広がってしまっている。

 情報を集めるためにエドゥアルドが出頭するのを先延ばしにすれば、噂はさらに広まり、そして事実として固定化されてしまうかもしれない。


 エドゥアルドがなかなか査問に応じないのは、反乱の準備をしているからだ。

 噂を流している者たちはきっと、そんな風に言うに決まっているし、それを人々が信じてしまってからでは、もはや弁明してなんとかできる状況ではなくなってしまう。


 今ならまだ、噂を払拭ふっしょくすることができる。

 少なくとも皇帝、カール11世はそのように考え、エドゥアルドに手紙を出した。


 それは、皇帝がエドゥアルドを信じ、事態が決定的に悪化する前に手を打つ機会を与えたということだった。

 その好意は、決して無駄にはできない。


 エドゥアルドはいくつも公務を抱えていたから、即日出発、ということはできなかった。

 第2回ノルトハーフェン公国議会の開催や、士官学校への平民の入校を認めるための諸侯への根回しなど、重要な事案を途中で切り上げ、延期しなければならないからだ。


 特に、国内の議会の開催を延期せざるを得なくなったのは、大変だった。

 議員として参加する者たちにはそれぞれの都合もあるし、議会に集めるためには事前に日程を決め、周知しておかなければならないからだ。


 それに、エドゥアルドは議会制度を開始するのに当たって、やむを得ない事情がない限り毎年開くということを約束している。

 議員として選ばれた者たちの中にはかつてエドゥアルドと喫茶店で激論を交わした気骨のある者らもおり、そういった人々に議会の開催を遅らせることを伝え説得するのは一仕事だった。


 時間はかかったが、エーアリヒ準伯爵の力を借り、ヴィルヘルムなどから知恵を借りながら、どうにかすべての準備は整えることができた。


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 すでに皇帝に対し、帝都へ参上するということは手紙で知らせてある。

 その際に、国内の準備があるので多少は時間がかかるということも知らせてあるから、皇帝から出頭を急かされるようなことは当面ないはずだったが、あまりのんびりもしていられない。


 今も帝都では噂が広められ続けているからだ。


 だからエドゥアルドは、すべての準備が整うとすぐにノルトハーフェン公国を出発した。


 生まれて初めて帝都に向かった時は、ノルトハーフェン公国軍を率いていた。

 サーベト帝国軍と戦うため、帝国諸侯として果たすべき軍役を遂行するためだった。


 皇帝からの求めに応じて、というのは同じだったが、今回は軍隊など率いては行かない。

 謀反の嫌疑をかけられている以上、そんなことをすればどんなふうに噂がこじれるか、分かったものではないからだ。


 公爵ほどの人物が何日もかけて移動するのだから、それなりの護衛の兵士や、使用人たちが必要だった。

 だが、その人数は30名以下にまで絞り込まれている。


 ミヒャエル・フォン・オルドナンツ大尉を隊長とする、警護の騎兵が約20名。

 エドゥアルドが乗る馬車を操る御者ゲオルグと、ブレーンであり相談役のヴィルヘルム。

そして、親近の警護の役目も持っているメイドのシャルロッテと、エドゥアルドの身の回りを世話するルーシェ。

 必要最小限の者たちだ。


 少人数で向かうことは、人々を警戒させないというだけではなく、素早い移動のためにも必要なことだった。

 帝都までは何日もかかるので、その間に何泊もすることになるのだが、あまり大人数で行くと宿泊の手配をするのが面倒なのだ。


 急ぎでなければ、大きな宿泊施設がある街を選んで、時間に余裕をもって進んで行くこともできただろう。

 しかしなるべく急がねばならないのだから、そういった設備の整った街にばかり滞在できるわけではない。

 小さな宿泊施設しかない街で夜を明かさなければならないこともある。


 ノルトハーフェン公国と友好関係にある諸侯の領地で宿泊する時は、その諸侯の城館などを借りることもできた。

 だがそれだってあまり大人数で押しかけては負担になってしまうから、エドゥアルドにつき従う人数は最小限にとどめた方が都合はいい。


 帝都に向かって急ぐ馬車の中で、エドゥアルドは口数が少なかった。

 同乗しているのはヴィルヘルムとシャルロッテとルーシェの3人だけ。

 互いに知らない仲ではないのだが、これから皇帝からの詰問に答えに行くという事情から、のんびりとおしゃべりを楽しんでいられるような雰囲気でもなかった。


 会話は、最低限だけだった。

 時折、エドゥアルドが今回の件についてヴィルヘルムに意見を求めたり、シャルロッテやルーシェに用事を頼んだりするくらいで、後は大体、窓の外を流れていく景色を眺めたり、天井を見上げながら考えごとをしたりしていただけだ。


 重苦しい、居心地の悪い雰囲気ではあったが、仕方がなかった。

 これからどんな策謀がうごめいているかもわからない中に、徒手空拳で乗り込まなければならないからだ。


 帝都へ向かう旅程自体は、順調だった。

 タウゼント帝国の中でもノルトハーフェン公国から帝都・トローンシュタットへ向かう街道は特によく整備されているし太いものだったから、馬車が走るのになんの不自由もない。


 天候にも恵まれた。

 途中、曇る日はあったが、ほとんどの日程で天候は良く、春めいた暖かな日差しを受けることができた。


 しかし、決してエドゥアルドたちの表情が晴れることはなかった。

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