第348話:「詰問状:1」

 本来であれば、突然の来訪者に応対するのは、メイドであるルーシェの役割だった。


「誰だ? なにかあったのか? 」


 しかし彼女が動くのよりも早く、エドゥアルドが声をあげていた。


 こんな早朝に、小なりとはいえ1つの国の元首の私室がノックされる理由など、非常識か、ただごとではないなにかが起こっているかの2つだけだった。

だが、彼にとっては、まさに渡りに船。

 これ幸いと、話しを逸らしにかかる。


「早朝に申し訳もございません、公爵殿下。

 急ぎお知らせしなければならない事態が生じましたので、至急、ご面会くださるよう、お願いいたします」


 返って来た声は、ノルトハーフェン公国の宰相を務めているエドゥアルドの臣下、ルドルフ・フォン・エーアリヒ準伯爵のものだった。


「急ぎの……? わかった、すぐに会おう! 」


 エドゥアルドは一瞬だけ怪訝けげんそうな顔をしたが、すぐにエーアリヒを迎え入れるために歩き出していた。

 エーアリヒは紆余曲折うよきょくせつあったものの現在は忠良な臣下であり、誠実に職務に臨み、エドゥアルドにも臣下としての礼を失したことはない。

 そんな彼が無礼を承知で朝食前の時間にたずねて来るのだから、それはよほどの事態であるのに違いなかった。


「ルーシェ。すまないが、エーアリヒ準伯爵をご案内してくれるか? 」


 そしてエドゥアルドは、ルーシェにそう言うのを忘れなかった。

 やるべきことを与えておかなければ、彼女はエドゥアルドが隠していたクローゼットの中身をのぞこうとするかもしれない。

 すでに痛い目を見ているので、エドゥアルドは注意を怠らなかった。


「かしこまりました。エドゥアルドさま」


 ルーシェは素直にうなずいたが、しかし、不満そうに、ムスッとした表情でエドゥアルドをねめつける。

 これがクローゼットの中を見せないようにする、エドゥアルドの作戦なのだと彼女は理解しているのに違いなかった。


 そのメイドの鋭さに内心でヒヤリとしながら、エドゥアルドは居間にあるテーブルとイスのセットへと向かった。

 本来であればそこは公爵がくつろぐための場所だったが、今はそこにエーアリヒを迎え入れるしか手がない。


 エドゥアルドが歩きながら服装を直し、イスに腰かける間に、ルーシェが扉へと向かい外で待っているエーアリヒを迎えに行く。

 メイドが扉を開くと、そこには部屋に通されるのを待ちわびていたエーアリヒの心配そうな表情があった。


 オールバックにまとめられた灰色がかった黒髪には白髪が混じり、碧眼を持つ双眸そうぼうにはわずかにしわも見える。

 エドゥアルドもルーシェもすっかり見知っている相手だったが、今そこに浮かべられている深く憂慮している表情は、あまり見た覚えのないモノだった。


「おはようございます、エーアリヒ準伯爵様。

 エドゥアルドさまがお会いになるそうです。どうぞ、奥へいらしてください」


 エドゥアルドに対して怒っていても、ルーシェは仕事をおろそかにはしない。

 公爵家のメイドにふさわしい優雅さを感じるうやうやしい態度で一礼すると、ルーシェはエーアリヒにそう言って部屋の中へと案内した。


「あ、ああ、お早う、ルーシェ殿」


 ルーシェの姿を目にしたエーアリヒは、一瞬だけ、嬉しさと安心の入り混じった笑顔を浮かべる。

 だが、すぐに彼は表情を引き締めると、イスに腰かけて待っているエドゥアルドへ向かって進んで行った。


「それで、エーアリヒ準伯爵。

 いったい、何事が起こったのだろうか?


 貴方がこの時間に来るのだ。よほどのことだろうと覚悟はしているのだが」


「はい、実は……」


 エドゥアルドがそう問いかけると、エーアリヒは再び額に冷や汗を浮かべ、ふところから2通の手紙を取り出した。


 1通は封筒に入っていない、素のままの手紙だった。

 差し出し元は相当な身分であるらしく、上質な羊皮紙に書かれたもので、元々は封筒にでも入っていたのか折りたたまれていた痕跡が見える。


 そしてもう1通は、まだ開かれてはいない。

 ふちに金細工が施された豪華な黒い紙でできた封筒に納められ、厳重な封蝋が施されている。


 その2通目の手紙を目にしたエドゥアルドは、驚きに双眸そうぼうを見開いた。


「それは……、皇帝陛下からの手紙ではないか!? 」


 ふちに金細工の施された黒い紙で作られた封筒。

 それは、タウゼント帝国では、皇帝だけが使用できるものとされていた。


 ただし、公式な証書などではない。

 そういった正式な書類や手紙などを送る時には木製の箱などを使い、もっと高価で厳重な封印がなされている。

 おそらくこの手紙は、皇帝がエドゥアルドに私的に出した、あるいは正規の手続きに基づかないものなのだろう。


 だが、差出人が皇帝であるというだけに、その内容は重大なものに違いない。


「はい、左様でございます。

 今朝がた、早馬によって届けられました」


 そう答えながらうなずくエーアリヒの口調は、少し震えている。


 2通の手紙の内の1通、すでに開かれているものは、エドゥアルドではなく、彼に仕える臣下たちに手紙の内容を端的に伝え、どのような行動をせねばならないかを伝えるためのものだったらしい。

 エーアリヒの声が怖れから震えているのは、その手紙の内容の概要が重大なものであったためだろう。


「それでいったい、どのような内容なのだ? 」


 エドゥアルドは緊張のせいで思わずテーブルの下で握り拳を作っていた。

 そのかたわらに控えているルーシェも、じっと黙り込んで、エーアリヒの答えを待っている。


 その問いかけに、エーアリヒはゴクリ、と唾を飲み込んでから、震える声で、だが、はっきりと伝わるように答えた。


「それが……、皇帝陛下からの、詰問状でございます」

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