第347話:「公爵とメイドのとある朝:3」

 ルーシェにねめつけられながら、エドゥアルドはゴクリ、と唾を飲み込んでいた。


 その場を1歩も動くことができなかった。

 なぜなら自身の背後にあるクローゼットの中には、ルーシェには絶対に見られてはいけない、見られたくないものが入っているからだ。


 そんな事情があることなど、当然、ルーシェは知らない。


「エドゥアルドさまっ!

 いったい、ルーになにを隠していらっしゃるのですかっ? 」


 ルーシェは怒っていた。


 公爵が自ら洗濯場に脱いだ服を持っていく。

 そんなことがあっては、メイドとしての沽券(こけん)に関わる。

 エドゥアルドの身の回りのことを世話するのがルーシェの仕事であり、メイドとしての存在意義であるのだ。

 たとえエドゥアルドの申し出が善意からのモノであったのだとしても、本来なら自分がするべき仕事を肩代わりさせてしまうことなど、ルーシェには認められなかった。


 しかも、エドゥアルドはあからさまにルーシェに隠しごとをしている。

 それがたまらなく嫌だった。


 普段のエドゥアルドなら、ルーシェに隠しごとをするようなことはなかった。

 たとえそれが国家機密に属するようなことであったとしても、気にせずにルーシェの前で話すのが、いつものエドゥアルドなのだ。


 それは、ルーシェから秘密が漏(も)れることはないと、絶対の信頼をおいているからだ。

 そしてその信頼は、ルーシェにとって心地よく、誇らしいことだった。


 だが、今のエドゥアルドは、ルーシェに秘密を持とうとしている。

 メイドとして分不相応であることは百も承知しているが、ルーシェはそれが不満で、なんとしてでもエドゥアルドの隠そうとしていることを暴き出したかった。


「なっ、なにも、なにも隠してなんかいないからっ! 」


 こちらのことを睨みつけながらじりじりと接近してくるルーシェにエドゥアルドは必死になってそう言うが、その行為はかえって火に油を注いだ。


(そうまでして、ルーに隠しごとをなさるなんてっ! )


 絶対に、秘密を暴いてやる。

 エドゥアルドが頑なに隠そうとしたことはむしろ、ルーシェにそう決意させる原因になってしまった。


「エドゥアルドさまっ、そのクローゼットの中でございますねっ!? 」


 ルーシェはまるで犬が吠えるように鋭い声でそう言うと、バッ、とエドゥアルドに飛びかかるように距離を詰めて来る。


「ばっ、ばかっ、なんでもない、なんでもないからっ! 」


 エドゥアルドはそう言いつつ、自身の身体をぴったりとクローゼットに寄せ、ますます守りを固めに入る。

 しかしその行動は、自分がなにかをクローゼットの中に隠していることを認めているようなものだった。


「エドゥアルドさま、あきらめが悪いですっ! 観念なさってくださいましっ! 」


「あっ、こらっ、ルーシェ! や、やめろって! 」


 ルーシェはなんとかクローゼットを開いてやろうと、エドゥアルドの守りの隙を見つけようと軽いフットワークで左右に動き回る。

 エドゥアルドはルーシェが右に行けば右に、左に来たら左に自身の身体をずらし、扉の取っ手をメイドがつかむことを断固として死守した。


「ムーっ! 」


 エドゥアルドの守りを崩せなかったルーシェは、いったん距離を取りながら、あきらめませんよという決意のこもったうなり声をあげる。


「くっ……」


 エドゥアルドも、苦しそうにうめく。

 もはや口先だけでルーシェをごまかすことは不可能となっていたが、しかし、それでもクローゼットの中に隠したモノを見られるわけにはいかないのだ。


「ぅぅっ、エドゥアルドさま、ひどいですぅ……っ! 」


 しばし睨み合っていた2人だったが、やがてルーシェは視線をそらすと、すん、すん、と鼻をすすりながら泣くような仕草を見せる。


「いつもなら、ルーに隠しごとなんてなさらないのに……っ!

 ルーのこと、お嫌いになってしまったのですか……? 」


「そ、そんなことは……」


 そのしおらしい声に、エドゥアルドは思わずクローゼットから背中を浮かせてしまう。


 その瞬間、ルーシェの瞳がキラーンと、鋭く怪しく輝いた気がした。


「そこっ! 」


 エドゥアルドがルーシェの泣き落とし作戦に動揺して守りを崩した一瞬の隙を狙って、メイドは素早くクローゼットの扉へと襲いかかった。


「させるかっ! 」


 しかし、日頃から自身の身体を鍛え、剣術を身に着けているエドゥアルドの反応は早い。

 ルーシェの手がクローゼットの扉につく前にまた自身の身体をぴったりとくっつけて守りを固め、メイドに秘密を暴かれることを阻止していた。


 公爵と、メイド。

 主従の間にある2人は再び数歩の距離を取り、睨み合う。


 先に口を開いたのは、この場を動くわけにもいかず、なんとかルーシェを納得させて引き下がらせるしかないエドゥアルドの方だった。


「とにかく、なにも隠してなんかいないからっ! 」


「ウソですっ、絶対になにかを隠していらっしゃいますっ! 」


「本当だって!

 お前、僕のメイドなんだから、大人しく言われた通りにしてくれっ! 」


「ルーはただ、お仕事をしているだけですっ!

 なにも隠していないというのなら、早く脱いだお召し物をお渡しくださいましっ! 」


 エドゥアルドの言葉にも、ルーシェは引き下がらない。


(前は、こんなことはなかったのにっ! )


 最近のメイドは、公爵に対して遠慮がなくなってきていた。

 なぜそんな変化があらわれたのかはわからなかったが、アリツィア王女の送別会が開かれた日から、なんだかルーシェは以前よりもエドゥアルドに対して積極的に、以前は引いていたメイドとしての一線を設けずに接するようになっていた。


 それはそれで距離感が近くなったと思えてエドゥアルドにとっては心地よいというか、嬉しいことだったのだが、今はとにかく困る。


 2人とも譲ることがなく、睨み合いが続く。

 だが、その険悪な雰囲気は、唐突に終わった。


 エドゥアルドの部屋の扉を、コンコンコンコン、と、少し強めに誰かがノックしたからだった。

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