第346話:「公爵とメイドのとある朝:2」

 エドゥアルドの部屋に入って来たルーシェはまず窓際へと向かい、朝日を取り込むためにカーテンを開き始める。

 今日も機嫌が良さそうで、鼻歌を歌っている。


 エドゥアルドは、気が気ではなかった。

 着替えはなんとか済ませられそうだったが、まだ汗などでぬれた自身の服を始末できていないのだ。


急いでネクタイを締め、かなり不格好な形だったがひとまずそれでヨシとしたエドゥアルドは、ルーシェがやって来ないうちにするべきことを済ませようと眼光鋭く衣装部屋の中を見渡す。


 公爵の部屋にはたくさんの衣装を保管しておくための専用の衣装部屋がある。

 歴代のノルトハーフェン公爵の中には自身の服装を整えるのに熱心だった者もいたから、多くのコレクションを収納しておくために作られたのだ。

 部屋の中にはクローゼットがいくつもならび、大きな姿見があり、公務の場などで求められる身だしなみを整えられるように設備がいろいろ整えられている。


 しかしそこは今、あまり衣装の数がなく、スカスカだった。

 エドゥアルドは必要以上に自身を着飾ることに興味がなかったから、この広い衣装部屋がいっぱいになるほどの服を持っていなかったのだ。


 そのことを、エドゥアルドは呪った。

 なぜなら、ルーシェがやってくるまでになんとしてでも始末しておきたい服を隠せる場所がないからだ。


 たくさんの衣装があれば、その中に紛れ込ませることができるから、少なくとも時間は稼げる。

 しかしほとんど衣装がない状態では、すぐにエドゥアルドの脱いだ服は発見され、洗濯物として回収されてしまうことだろう。


 そうなってしまっては、マズいのだ。


 もうルーシェは部屋のカーテンを開き終え、部屋の中を明るくするためにガス灯をつけて回っている。

 それが終われば、エドゥアルドに「今日の朝食はなにを召し上がりますか? 」とたずねにやってくるだろう。


 エドゥアルドは、必死に思考を巡らせた。

 脱いだ服をどこに隠せば、ルーシェに発見されずに済むのか。


 鋭敏な頭脳を持ち、ノルトハーフェン公国の統治をこれまでうまく行って来た若き少年公爵だったが、しかし、この時ばかりは知恵が回らない。

 気が動転し、焦っているからだ。


 ルーシェが段々と近づいてくる。

 先輩メイドのシャルロッテの教育が行き届いているのか足音はほとんど立てていなかったが、鼻歌を歌っているので、近づいてくるのがわかるのだ。


 万事休す。

 そう思ったエドゥアルドは咄嗟とっさにクローゼットの1つを開くと、ほとんど中身などないその中に脱いだ服をしまい込み、衣装部屋の出入り口の方を振り向きながらバタン、と後ろ手でクローゼットの扉を閉じていた。


 しかし、遅かった。


「エドゥアルドさま、今、なにを隠されたんです? 」


 エドゥアルドが視線を向けた時、そこには、不審そうな表情を浮かべているルーシェの姿がある。


「い、いや、別に?

 な、なにも隠してなんかいないぞ? 」


 エドゥアルドはなるべく平静をよそおうとしたが、できない。

 声は裏返り、笑顔は引きつっている。


 その様子を見たルーシェはますますエドゥアルドのことを疑い、すっと双眸そうぼうを細めて疑心の視線を向けてくる。


「むぅ。エドゥアルドさま、いったい何を隠そうとして……」


「ひ、秘密なんてないさ!

 そ、それより、今日の朝食はいつも通りに、パンと、チーズと、ハムでいい!

 ゆで卵は、半熟で! 」


 近づいてこようとするルーシェに、エドゥアルドは急いでそう言う。

 用件をさっさと伝えればルーシェを追い返せるかもしれないと、そう思ったからだ。


「パンと、チーズと、ハム。

 ゆで卵は、半熟でございますね? 」


 するとルーシェは立ち止まり、エドゥアルドに言われたことをうなずきながら復唱する。


「そ、そう、それで頼む!


 ぼ、僕はもう少ししたら行くから、る、ルーシェは先に行って、朝食の準備をしておいてくれないか? 」


 エドゥアルドはうまくルーシェを追い返せそうだと思い、ほっとしていた。

 しかし、安心するのはまだ早い。


「それでは、エドゥアルドさま。

 お脱ぎになったお洋服をお預かりいたしますね」


 朝食の準備をしに行くついでに、エドゥアルドの脱いだ服を洗濯場所に持っていく。

 水場をなるべく近い場所に集めて作ってある都合上、エドゥアルドの朝食の要望を伝えるためにこれからルーシェが向かう厨房ちゅうぼうと洗濯場は近い場所にあるから、効率的に仕事をしようと思えばそういう判断をするのは当然のことだった。


 エドゥアルドは、自身の心臓を氷でできた手でわしづかみにされたような心地だった。

 ルーシェの考えは実に当たり前のもので、それをうまく断る口実はなにも思いつかなかったからだ。


「い、いや、いい!

 あ、後で、僕が持っていくから! 」


 またエドゥアルドに向かって近づいてこようとするルーシェを止めるために出てきた言葉は、そんなものだった。


 ルーシェは立ち止まったものの、完全にエドゥアルドのことを怪しんでいる表情で、その青色の碧眼を持つ双眸そうぼうをジトっとさせている。

 エドゥアルドに隠し事をされているのが不満なのか、頬もぷくっとふくれている。


 疑心は、すでに確信へと変わっていた。


 公爵が、自分で洗濯場に脱いだ服を持っていく。

 そんなことは前代未聞のことで、普段のエドゥアルドならば絶対に言わないことなのだ。

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