第344話:「帰郷」

 アリツィア王女のノルトハーフェン公国での滞在は、終わった。

 送別会もつつがなく終了し、予定通り、その翌日にアリツィアとそのおつきの者たちは、祖国へ向かって出発した。


 アリツィアを乗せた馬車は、ガラガラと快調に車輪を回しながら、街道を東へ向かって進んで行く。

 ノルトハーフェン公国の東の国境へと続くこの街道は、そのままオストヴィーゼ公国を横断し、遠く、オルリック王国にまで続いている。


 相変わらず、ノルトハーフェン公国の街道はよく整備されていた。

 アリツィアを迎えるためにわざわざオルリック王国から派遣されて来た馬車はその走りやすい道を、憎たらしく思えるほどに順調に進んで行く。


〈名残惜しい、ですか? ご主人様〉


 速いペースで流れていく車窓の景色を、少し憮然ぶぜんとした表情で眺めていたアリツィアに、彼女のメイドであり幼馴染であり親友のマヤが問いかける。


「ああ、えっと……、うん、そうだね。

 名残惜しい、ね」


 アリツィアは少し悩んでから、素直にうなずいていた。

 マヤに対しては別段隠すようなことでもないだろうと思ったからだ。


〈残念、でございましたね?

 エドゥアルド公爵様とのこと、もう、あと1歩だったのでございましょう? 〉


 だが、次にマヤが話題にしたことの内容にアリツィアは思わず視線をそらしてしまっていた。


 その頬は、ほんのりと赤くなっている。

 自分が行った大胆な行動を思い出したからだった。


〈名残惜しい、というのは、やはりエドゥアルド公爵様のことでございましょうか? 〉


 するとマヤは、眼鏡の奥で双眸そうぼうを細め、ニヤニヤとした笑みを向けて来る。

 アリツィアのことをからかっているのだ。


「べ、別に、そういうわけでは……」


 アリツィアは赤面の度合いを濃くしながら、怒った口調で言う。


「私は、ただ……、父上たちからいただいた使命を果たせずに帰ることになったのが、残念なだけだ! 」


〈そうでございましょうとも。

 わたくしとしても、大変残念に思ってございます〉


 主人を怒らせているにも関わらず、マヤは少しも悪びれた様子もなく、ひょうひょうとしている。

 内心ではアリツィアの反応を面白がっているのに違いなかった。


〈エドゥアルド公爵様とのむつみごとに及べなかったあの日から、ご主人様はずっと、そわそわと落ち着かないご様子で……。

 夜でも騒々しく、わたくしは大変、寝苦しゅうございました〉


「マヤっ! 」


 まったく遠慮も容赦もないマヤの物言いに、アリツィアは思わず本気で怒った声をあげ、メイドのことを睨みつける。

 するとさすがにやり過ぎたと思ったのか、マヤは軽く一礼して〈ご無礼をいたしました〉とジェスチャーをした。


「まったく……。

 そういうお前は、どうだったんだ? ノルトハーフェン公国での滞在は」


〈大変、楽しゅうございました〉


 気を取り直してアリツィアが問いかけると、マヤは静かにコクンとうなずく。


〈ご主人様からお話はうかがっておりましたが、ルーシェ殿は実に愛らしいお方で……。

 加えて、アンネ殿。

 あのお方は、誠に逸材でございます〉


 マヤは心底嬉しそうな、ほくほくとした顔だ。


 それも当然だろう。

 マヤはアリツィアのコーディネートをするかたわら、自身の望むままにルーシェとアンネを捕まえて、好きなだけ衣装を着せたのだから。


「あまりやり過ぎないでくれよ? 彼女たちに嫌われてしまうぞ」


 もう嫌われているのではないか、とも思いつつ、アリツィアはそう言って釘をさす。

 仕立てた衣装はすべてルーシェとアンネのためにプレゼントして来たから、多分怒ってはいないだろうが、少なくとも彼女たちはマヤについて苦手意識を持ったのに違いなかった。


〈ですが、よろしかったのでしょうか。ご主人様〉


 自分の仕立てた衣装を身に着けたルーシェとアンネの姿を思い出して幸せな気分に浸っていたマヤだったが、ふと、真顔になってアリツィアにそう問いかけて来る。


〈女性にとって、衣装というものは強力な[武器]としても使うことができるモノです。

 だからこそ、わたくしはご主人様のお側に仕えさせていただいているのだと、そう思っております。


 その衣装を贈呈なさってしまっては、その、何と申しましょうか……、いろいろと、ご主人様にとっても、お国にとっても、ご都合が悪いのではないでしょうか? 〉


 マヤが気にしていることは、アリツィアにも理解できる。


 アリツィアはオルリック王国の王女だ。

 正式にエドゥアルドに嫁ぎでもしない限り、アリツィアにとっての居場所とは祖国であるオルリック王国であり、その王宮だ。


 アイツィアはずっと、エドゥアルドの近くにいて、自分を選んでもらえるようにアピールし続けることはできない。

 その一方で、ここで話題にされているメイドはずっと、エドゥアルドの近くにいるのだ。


 もしも彼女がマヤからプレゼントされた衣装を[武器]として、効果的に使ったとしたら。

 この[戦争]は、ずいぶんとアリツィアにとって不利なものとなるだろう。


「……そこは、仕方がないさ。

 エドゥアルド公爵は、誠実なお方だったし、あのメイドちゃんも、いい子だしね」


 アリツィアはマヤの指摘に同意してうなずきながらも、しかし、力強い微笑みを浮かべる。


「だから……、正面から正々堂々と、勝ってみせるさ」


 すると、マヤは楽しそうに何度かうなずき、それから自身が主人と仰ぐ者に誓う。


〈ご主人様のお望みのために、我が力……、必ず役立てて見せましょう〉


「ああ、これからも頼んだぞ、マヤ」


 馬車は、決意を新たにした2人を乗せて、東へ、東へと進んで行った。

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