第342話:「メイドよ、大志を抱け:1」

 貴族と、貧民。

 決して交わることのない存在が、重なる。

 それは奇跡だ。


 貴族にとっての婚姻とは、平民にとってのそれとは異なり、大きな政略上の意味を持つ。

 有力な後ろ盾のある相手と結びつくことができればそれは自分自身と一族の栄達と繁栄につながるし、そういった縁を失えば、没落し、滅びることだってあり得る。


 だから、本人の好き嫌いだけでは、貴族の婚姻というモノはどうにもならない。


 それをわかっていてなお、捨てきれない気持ちというモノがある。


 だからアンネは、ルーシェのことを応援し、彼女に自分自身が抱いている本心に気がつかせ、そして、その想いを叶えてやりたかった。


 それはアンネとルーシェとの境遇が同じだからというのもある。

 だが、アンネ自身のためにも、という部分もある。


 何事も前例というものがあれば、スムーズに進みやすいものだ。

 未だに自覚すらされていないルーシェの想いが実現することがあれば、その奇跡はきっと、アンネが望む奇跡にもつながってくるのに違いない。


 公爵と、平民の中でも最下層の生まれのメイド。

 その関係が成り立つのならば、公爵よりも爵位の低い準男爵とメイドという関係が成り立つハードルは、ずっとずっと低いものとなる。


 だからアンネは何としてでもルーシェを応援し、その背中を押さなければならなかった。


「ルー先輩、ちょっと、ついて来てくれませんか?

 けっこうお皿が積みあがっちゃってるので、扉とか開いてくれると助かるんですが」


 アンネは皿を積み込み終えたカートの持ち手をつかみながら、さりげなくそう言ってルーシェのことを誘い出す。


「えっ、うん、いいよ」


 もちろんルーシェは、アンネになにか思惑があってのことだとは思わない。

 賢くて理解力があり、教えられたことをよく身につけることのできる少女だったが、素直な性格をしているのだ。


「それじゃ、お願いしますね」


 アンネは愛想笑いを浮かべながらそう言うと、ルーシェがなにか疑問を抱く前にさっさとカートを押して、アリツィア王女の送別会が開かれている大広間を後にする。


 扉を開いてもらって外に出ると、アンネは広間に戻ろうとするルーシェを引き留め、そのまま厨房ちゅうぼうへと向かった。

 厨房ちゅうぼうに入るところにも扉があり、それを開いて欲しいという口実でだが、本当の狙いは別にある。


(そろそろ、いいですかね……)


 大広間の中は賑やかだったが、その外に出ると辺りはけっこう静かだ。

 あちこちに明かりは灯されているし、警護の兵士や、アンネたちと同じように働いている使用人たちも大勢いるが、大広間周辺に集まっているために人気がない暗がりもある。


「あ、ちょっといいですか? 」


 そんな人気のなさそうな場所の近くで、アンネはさりげなくそう言ってカートを押す手を止めた。


「ん? どうしたの、アン? 」


 突然立ち止まったアンネを、ルーシェは不思議そうな顔で首をかしげながら振り返る。

 そんな彼女にアンネは素早く接近すると、ガシッ、と手をつかみ、そのままの勢いで一気に暗がりの中へと引きずり込んでいた。


「しーっ、静かにしてください、ルー先輩! 」


 いったい突然なに、と戸惑ったように声をあげようとするルーシェの口を自身の手の平で塞ぐと、アンネは有無を言わせぬ口調でそう命じる。

 もう身長ではアンネを越えているルーシェだったが、その剣幕に怯み、口を手で押さえられながら何度もうんうんとうなずいていた。


「すみません、ルー先輩。

 だけど、どうしてもお話したいことがあって」


 ルーシェから手を離したアンネは、ちらり、と周囲を見渡し、近くに誰の姿もないことを確かめると、あらたまった真剣な口調でそう言った。


「な、なに? 急に……」


 ルーシェは、少し怖がっている様子でたずね返す。

 相手がよく見知った仲良しのアンネだからこそ落ち着いていられるが、突然人気のない暗がりに連れ込まれるというのは、普通なら怖いことなのだ。


「ルー先輩。

 エドゥアルド公爵様とアリツィア王女様が結婚するかもしれないって思った時、どうして自分が不安でたまらない気持ちになったのか、その理由がわかりますか?


 エドゥアルド公爵様が自分ではない、誰か、他の人のモノになってしまうかもしれない、遠い存在になってしまうかもしれないって思った時、心の中が嫌な気持ちでいっぱいになった理由、わかりますか? 」


「そ、そんなこと、聞かれても……」


 真剣な表情で、下の方から突き上げるような視線のアンネ。

 彼女に問いかけられて、ルーシェは戸惑っている。


 自分で、自分の気持ちに気づいていない。

 あるいは、気づかないように、自身の本心に鍵をかけている。


 だからルーシェは、曖昧あいまいな態度でごまかそうとしているのだ。


(そうはいきませんよ、ルー先輩! )


 アンネにはお見通しだ。

 なぜなら、自分とルーシェは、同じ境遇にいるのだから。


 対象は違えど、アンネが抱いているのと同じ気持ちを、ルーシェも持っている。

 それを認識し、受け入れているかいないか。

 あるのはその違いだけなのだから。


「いいですか、ルー先輩」


 仲の良い、気の合う友人のために。

 そして、自分自身のために。


 アンネはルーシェが気づいていない、あるいは気づかないようにしている気持ちの正体を、突きつけるつもりだった。


「自分がメイドだからって、遠慮なんて、することなんてないんですよ!


 もっともっと、自分の気持ちに素直になっても、いいんです! 」

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