第340話:「滞在の終わり:1」

 ノルトハーフェン公国におけるアリツィアの滞在は、元々の予定よりも少しだけ早く終わることとなった。


 その理由は、よくわからない。

 ただアリツィアはエドゥアルドのところを私的に訪問してから丸1日寝込み、そこからノルトハーフェン公国の視察を再開したが、ずっと本調子ではなかった。


 どこか、ぼんやりとしている。

 馬車に揺られている時も、自室でくつろいでいる時も、食事をしている時も、心ここにあらずといった印象だ。

そこに映る景色ではなく、もっと別の何かに思いをはせているような様子だった。


 なにか、祖国のことで心配事でもできてしまったのだろうか。

 そう思ったエドゥアルドに命じられて、なにか困っているのなら力になるという申し出が何度か使用人たちによってなされたが、アリツィアは自分がなにについて考えているのかを話してはくれなかった。


 大丈夫だと、気にしないでくれと、そう言うだけだ。


 だが数日して、今度はアリツィアがメイドであるマヤを通じて、ノルトハーフェン公国での滞在期間を短縮したい、という要望をしてきた。


 なにか不手際があったのか。

 エドゥアルドを始め、ノルトハーフェン公国の関係者たちは背筋を寒くさせたが、マヤは筆談によって「故郷が恋しくなったのです。ノルトハーフェン公国にはなんの落ち度もなく、我が主もわたくしも、もてなしに厚く感謝しております」とだけ述べ、それ以上はなにも言わなかった。


 そういうわけでスケジュールの調整が行われ、比較的優先度の低い視察の予定は削られ、アリツィアの滞在日程は切り詰められ、そしてそれ以外の変更はなく、つつがなく終了することとなった。


────────────────────────────────────────


 アリツィアが彼女の祖国、オルリック王国への帰途につく、その前日の夜。

 エドゥアルドの主催により、彼女の送別会が開かれることとなった。


 場所は、ノルトハーフェン公国の政庁であり、エドゥアルドの居館でもあるヴァイスシュネーの大広間。

 国賓こくひんをもてなすのに相応しい豪華絢爛ごうかけんらんな飾りつけがなされ、テーブルの上には山海の珍味が並んだ。


 招かれたのは、アリツィアを始めとして、オルリック王国から同行してきていた使用人たちや、身辺警護の者たちだ。

 彼らはいくつかのテーブルに分散し、ノルトハーフェン公国をあげてのもてなしを受けている。


「ね、アン。

 なんだか、エドゥアルドさまとアリツィアさまのご様子、おかしくないかな? 」


 アリツィア王女の送別会の給仕の仕事をこなしていたルーシェだったが、どうにも違和感を抑えきれず、小声でアンネ・シュティにそうたずねていた。


「んぁ? ぁー、なにがですかぁ? 」


 エドゥアルドと共にもてなす側として自身の主であるフェヒター準男爵がこの会に出席しているため、給仕の仕事を手伝っていたアンネは、ルーシェの問いにやや物憂げな、どこか疲れた様子で答える。


 その原因は、アリツィアのメイドのマヤだ。

 彼女はルーシェにいろいろな衣装を着せて一度は満足したものの、それから新たにアンネのための衣装も仕立て、そして、この送別会が始まる直前までアンネに着せていたのだ。


 そしてその密室で開かれたファッションショーは、アンネにとっては大層疲れるモノであったらしい。

 ルーシェが感想を聞いてみたところ、アンネはただ、「怖かった」と、少し表情を青ざめさせながら答えただけだった。


「えっと、その、うまくは言えないんだけど……」


 くたびれた様子でも黙々と自分の仕事はこなしているアンネにあまりしつこく声をかけるのは気が引けたが、ルーシェはやめなかった。

 エドゥアルドとアリツィアの違和感について、たずねられそうなのはアンネしかいないからだ。


「なんていうか、距離感っていうか。

 前よりも、遠くなったのに、近くなったような気がするっていうか」


 自分でも、何を言っているのかわからない。

 ルーシェは自身が支離滅裂なことを言っていることは自覚していたが、しかし、他に表現のしようもない。


 遠くなったのに、近くなった。


 遠くなったというのは、エドゥアルドとアリツィアの、物理的な距離だ。

 以前の2人は友人として、戦友として、あまり距離を置かずにいたのだが、アリツィアのノルトハーフェン公国での滞在の途中からその距離が遠くなった。


 お互いに意識して離れている印象だ。

 アリツィアがエドゥアルドを私的に訪問した日以来、2人は同じテーブルについたことがなかったし、立ち話をする時にも、2、3メートルはたっぷりと距離をあけていて、少し話しにくいだろうと思えるほどだった。


 それなのに近くなった、というのは、お互いにお互いの存在を意識している時間が多くなったとルーシェには思えるからだ。

 確かに話しにくそうではあったが、2人はふと視線が合うとそれとなく視線を逸らすし、偶然すれ違った時も似た反応をする。


 それは、避けているという感じではない。

 お互いに視線を交わし、見つめ合っていることが恥ずかしいという感じだ。


 だが、視線が合っていない時は、そうではない。

 互いにちらちらと視線を送っていて、相手のことを気にしている風に見えるのだ。


 だから、遠くなったのに、近くなった。


「あー、確かに、なんかわかるかもー」


 アンネは食べ終わって役目を終えた皿を片づけるために、音のしないようにカートに乗せながら、ルーシェの言葉にうなずく。

 ルーシェの期待通り、アンネにはエドゥアルドとアイツィアの間に起こった変化がわかるらしい。


 そして、次にアンネが放った言葉は、ルーシェにとっては衝撃的なものだった。


「もしかしたら……、エドゥアルド公爵様と、アリツィア王女様。


 結婚でもなさるんじゃないですか? 」

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