第335話:「第3フェーズ・チェックメイト」

※作者注

 ここから数話、ちょっと[生々しい]お話が続きます。

 あまりいらっしゃらないかと思われますが、ティーンの読者様は閲覧注意(露骨な描写はないので、読んでいただくことは大丈夫だと思います)です。


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 それは、帝都で執り行われた南方戦役の戦勝祝賀会……。

 サーベト帝国との戦争に大勝利したことを記念して行われたそのもよおし物の際に、アリツィアが冗談めかしながら言った言葉だった。


 私が、お嫁さんになってあげてもいいよ。


 その言葉を、エドゥアルドはすっかり忘れてしまっていた。

 仕事の忙しさということもあったが、それはあの場限りのたわごと、アリツィアにからかわれただけだと、そう思っていたからだ。


 しかし、アリツィアのその一言で、エドゥアルドはその時のことをすべて思い出していた。

 そしてあの時とは、微妙に言葉の内容が異なっている、ということにも気づいていた。


 私を、お嫁さんにしてもらえないかな。

 それは実質的に、「そうなりたい」と言われているということだった。


「アリツィア王女。

 ご、ご冗談をおっしゃらないでください」


 エドゥアルドの声は、震えている。

 ご冗談を。

 そう言ったものの、しかし、エドゥアルドにはアリツィアが本気でそう言っているように聞こえていたからだ。


「冗談では、ないよ。

 からかっているわけでも、ない」


 そしてそのエドゥアルドの印象は、正しい。


 アリツィアはそう言って、少し切なそうな表情を作ると、伏し目がちになってエドゥアルドから視線をそらした。


「私じゃ、ダメ、かな……? 」


 それは、戦場で、騎士の姿で雄々しく戦っていたアリツィアからは想像もできない、

 しおらしく、そしてか弱い。

 自分のすべての力を使ってでも守りたくなるような、そんな仕草だった。


「そ、そんなことは、ないです……、絶対に」


 エドゥアルドは思わず、そう言わざるを得ない。


 アリツィアは、美しい人だった。

 まだ10代の半ばで、結婚とか恋愛というモノは、まずは自分の国家をまともに治めてからだと考えていたエドゥアルドだって、それくらいのことはわかっている。


 そんなアリツィアが、しおれた花のように弱々しい様子でいる。

 エドゥアルドでなくとも、人並みの優しさを持っている男性であれば、誰だって同じ言葉を口にしていたのに違いない。


「そう……、良かった」


 するとアリツィアは視線をエドゥアルドへと向け、安心したような微笑みを見せる。


 それから彼女は、すっ、と音もなく立ち上がった。

 そして突然の申し出にまだ戸惑っているエドゥアルドがなにも反応を示せずにいる間に、2人の間を隔てていたテーブルを回り込んで、エドゥアルドのすぐ隣にやってくる。


「なら、エドゥアルド公爵。

 私を、公爵夫人にしてもらえるかい? 」


 そしてアリツィアはエドゥアルドの肩を横からそっとつかむと、その耳元に唇をよせてささやいた。


 背筋が、ゾクゾクとするような、蠱惑こわく的なささやきだ。


「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってください、アリツィア王女」


 エドゥアルドは戸惑いながら、まるで悲鳴をあげるようにそう言っていた。


 今まで、意識して来なかった異性。

 女性という存在。


 突然、その未知の存在を間近に突きつけられて、エドゥアルドは困惑し、混乱していた。


 すぐそばで、耳元に吐息がかかるほどの距離にまで近づいて来たアリツィアからは、良い匂いが漂ってきている。

 それは香水の、いくつもの花の香りを心地よく混ぜ合わせたような、複雑で、美しい匂い。

 だが、その中にかすかに、アリツィアの肉体から生まれる、甘い香りも混ざっている。


 エドゥアルドは母親を失ってから長かった。

 幼いころに触れられた記憶はあるものの、それは遠い過去のことであって、良き公爵となろうと決意し、そのために努力し続けたエドゥアルドにとっては、遠い思い出だった。


 以来、身近なところにまったく女性がいなかったわけではないが、エドゥアルドはこうして、その色香を感じ取れるほどに近づいたことはなかった。

 いや、正確には何度かあったのかもしれないが、その時、エドゥアルドはその相手のことを女性だとは認識していなかった。


 なにより、自分が公爵であるのと同時に、1人の男性であるということさえ、意識していなかったのだ。


「あ、あまりに、突然のことで……。

 その、も、もちろん、そんなことをおっしゃっていただけるというのは、嬉しいのですが、しかしですね、急にはとても、決められることでは……」


 しどろもどろになりつつ、エドゥアルドは必死に理性を保とうとし、少しでも冷静に考えようとする。


 だが、一度、異性という存在を意識してしまったエドゥアルドが、いつもの冷静さを取り戻すことは難しかった。

 自分は男性であるという自覚が、エドゥアルドの血流を熱くし、その事実を血管の中で激しく脈打ちながら主張してくるためだ。


「私は……、正直、エドゥアルド公爵のこと、いいなって、思っているんだよ? 」


 エドゥアルドが、自分のことを意識し始めている。

 そのことを実感しながら、アリツィアはそれに満足せずに、追い打ちとばかりに言葉を続け、エドゥアルドの耳元でささやく。


 その声がエドゥアルドの鼓膜を震わせるたびに、ビク、ビク、と、エドゥアルドの身体は小さく震える。

 今のエドワードにとっては、アリツィアの言葉のすべてが、全身を火照らせ、神経を麻痺まひさせるような甘い刺激になっているのだ。


「もし、エドゥアルド、あなたが望むのなら、私は……」


 アリツィアは、公爵、という称号をわざと外し、彼の名を呼ぶ。


 そのふところに、心の内側に滑り込むように。


「今日、ここで、私は……、あなたと契りを交わしてしまっても、かまわないんだ」

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