第336話:「そのころ、メイドは……」
エドゥアルドが困惑と混乱の内に、アリツィアによって陥落される寸前まで追い込まれつつあったころ。
メイドのルーシェは、黒髪三つ編み眼鏡のメイド、マヤに連れ込まれたアリツィア王女が滞在している部屋で、とっかえひっかえ、着せ替え人形のような扱いを受けていた。
正直に言ってルーシェは、今でもマヤのことが苦手だった。
苦手に思わない方が難しいことだろう。
その初対面の時の印象というのもあるのだが、なにより、マヤはルーシェにとって、[意思疎通のできない]相手だった。
誰だって、意図の分からない存在は恐ろしいと思うモノだ。
人間には自己保存をしたいという欲求が必ずあり、理解できない存在、すなわちどんな行動をするかわからない相手は、自分自身にとっての潜在的な脅威であると見なしてしまう。
だから、予測できないリスクをもたらすかもしれない存在、意思疎通をしてその意図を確認できない相手を恐れるのだ。
マヤは、自分と同じ人間であるというだけに、余計に強く不安を感じる相手だった。
なぜなら、他の動物などが相手ならそれは意思疎通が円滑にできないのが当たり前だったが、人間が相手であれば簡単に意思疎通できることの方が当たり前だったからだ。
他の人とは、違う。
その異質さが、怖いという気持ちを余計に強く抱かせてしまう。
加えて、今の扱い。
マヤはルーシェにおかまいなしで衣装を着せて来る。
(あ、これ、いいかも……)
ルーシェがちょっとそう思って、もうちょっとこの衣装のままでいたいな、などと考えていても、ちっとも気にかけてくれない。
マヤは眼鏡の奥で怖いくらいに
まるで本当に、着せ替え人形にされてしまったようだった。
スラム街で生まれ育ったルーシェは、当然、そんな高価な玩具を持ったことなどない。
だが、そういうモノがあるというのは知識としては知っていたし、公爵家のメイドとして働くようになってからは、実物を目にしたことだってある。
もっともそれはヴァイスシュネーの倉庫にしまい込まれた、古めかしい着せ替え人形のセットだったが。
ルーシェのために、10着もの衣装を作った。
それは誇張ではなく、本当に、10着の衣装が用意されていた。
すべて、ルーシェが今まで身に着けたこともないような衣装だ。
たくさんフリルのついた愛らしい衣装や、大きなリボンで飾りつけがされた衣装。
普段身に着けているメイド服をアレンジしたようなものもあれば、異国の、見たこともないような見た目と構造をした衣装もあった。
ただ、そのどれにも共通しているのは、[かわいい]という方向性だった。
(それは、私は……、ちんちくりんかも、ですけど)
アリツィアの美しいドレス姿を思い出しながら、ルーシェは少しだけ、その[かわいい]という方向性が不満だった。
自分はまだまだ同年代の少女と比べて発育が遅れており、そのせいでエドゥアルドから、出会った時と変わらないちんちくりんのままだと思われていることは、ルーシェだって気づいている。
だが、自分だって着実に、成長しているのだ。
身長だって伸びているし、体形も以前とは変わって来ていて、身に着けているメイド服だってシャルロッテに手伝ってもらって何度も仕立て直している。
以前となにも変わらないようにエドゥアルドから見られているのは、ほとんど毎日顔を合わせているからなのだ。
できることなら、自分だって成長しているのだということを主張したい。
エドゥアルドに、自分もここにいるのだということを、もっと意識してもらいたい。
ルーシェが内心でそんなことを考えている間にも、着せ替えは続いている。
どうやらマヤは、こういったことに非常に手慣れている様子だった。
ルーシェの服を脱がせ、そして新しい衣装を着せるのも手早く、てきぱきとしている。
アリツィアのドレスの着つけなども行っているというから、得意なのだろう。
それに、マヤが作った衣装も、簡単に着替えることができるようにちゃんと考えて作ってあった。
サイズもルーシェにぴったりで、ごてごてと飾りの多い衣装でさえ動きやすかったし、マヤは本当に服を仕立てる腕が良かった。
マヤはしゃべれないので仕方がないのだが、無言でルーシェの着せ替えを続けている。
新しい衣装を着せては、ジェスチャーでルーシェにポーズを取らせ、服の着付けを整えなおし、そして満足が行くと、うんうんとうなずきながらルーシェの姿を鑑賞する。
マヤは言葉を話せないからずっと無言のままだったが、着替えさせたルーシェの姿を眺めている間はなんだか嬉しそうだった。
変化がないように思える表情も、実際には、わずかに変化しているらしい。
それがわかると、ルーシェは少し、マヤのことが恐くなくなっていた。
そして段々と、この着せ替えを、楽しいと思えるようになってくる。
なぜなら、こんなに自分のためにたくさん衣装があるというのは、生まれて初めての経験なのだ。
しかもその服を作っている布も、仕立ての技術も、一流なのだ。
どれも最高級の絹が使われていて着心地がよく、見栄えがして、大きな姿見で自分の今の格好を見るたびに、心が弾む。
女の勘は、鋭いという。
しかしルーシェは、まるでエドゥアルドの危機には気がついていなかった。
そもそも、気がつきようがないのだ。
ルーシェはエドゥアルドの執務室から離れたアリツィアの部屋に連れて来られてしまっていたし、そもそも、アリツィアとマヤが共謀してなにを考えていたのかなど、まったく知らない。
(この衣装も、素敵です! )
ルーシェはエドゥアルドの危機などまるで知らないまま、姿見に映し出される自分の姿に瞳をキラキラとさせるのだった。
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