第332話:「第1フェーズ・分断」

 元々、多くの貴族を振り向かせる美貌を持っているアリツィアが怪しく双眸そうぼうを細めると、そこには妖艶ようえんな魅力が加わる。

 あからさまではなく、自然体に、元からあるアリツィアという素材を強調するように施されたメイクも相まって、男であれば誰でもゾクゾクと震えてしまうような仕草だった。


 しかしエドゥアルドは、自分の苦手な雑談をしなければならないということに戸惑っているだけだった。


 目の前にいるアリツィアの姿が見えない、というわけではない。

 その魅力に、エドゥアルドはまだ気づいていない。

 アリツィアを異性として、女性として見る感覚が、エドゥアルドの中にはまだないのだ。


 そのエドゥアルドの様子に、アリツィアは一瞬だけ、むぅ、と不満そうな顔をする。


(まるで、私に魅力がないみたいじゃないか……)


 マヤにドレスを仕立ててもらい、着付けをしてもらい、メイクを施してもらって、最大限の準備を整えて来たというのに、エドゥアルドは気づかない。

 こちらがどれだけ苦心しているのか、彼はわからない。

 そのことが少し悔しいのだ。


「ところで、エドゥアルド公爵。

 おしゃべりしている間、少し、キミのメイドちゃんを借りていてもいいかい? 」


 だが、アリツィアはすぐに気を取り直して親し気な笑顔を作ると、そうエドゥアルドに提案して来た。


「僕のメイド……、ああ、ルーシェのことですか? 」


 エドゥアルドは少しいぶかしむように顔をしかめた後、すぐに誰のことか気づいてうなずいていた。


「えっ、私? 」


 失敗の汚名を返上しようと、アリツィアとエドゥアルドに出すためのコーヒーとお茶菓子の準備をせっせと進めていたルーシェだったが、突然自分の名前が出てきて、ツインテールを跳ねさせるように揺らしながら顔をあげていた。

 青い瞳を持つ双眸そうぼうを何度もまばたきさせながら、なぜ自分が呼ばれたのかわからず、きょとんとしている。


「いや、実はね……、マヤが、ルーシェのために何着か衣装を仕立てていてね。

 ぜひ、彼女に試着して欲しいって言うんだ」


 そんなルーシェのことを振り返ってその様子を確認すると、アリツィアはエドゥアルドに視線を戻し、なにげない笑顔でそう言う。


 その時、ルーシェの肩を、誰かの手が背後からぐっ、とつかんだ。

 それは力強く、もう逃がさないよ、と主張しているような手だった。


「ひっ!? 」


 きょとんとしたまま背後を振り返ったルーシェは、そこに黒髪三つ編み眼鏡のメイド、マヤがいることに気がついて、小さく悲鳴をあげる。


 信頼できる相手だとは理解しているのだが、やはり苦手意識があるのだ。


「ルーシェに、衣装を? 」


 愛想笑いのようなものをマヤへと向けながら、しかし、頬が引きつっている様子のルーシェから視線をアリツィアへと向けたエドゥアルドは、不思議そうに首をかしげて見せる。


「ほら、前に言ったじゃないか。

 マヤはかわいいものが好きで、衣装を作って着せてあげるのが趣味だ、ってね。


 ちなみに、このドレスもマヤが仕立ててくれたんだ」


「確かに、そのことは聞きましたが……」


 アリツィアはなにも気にしていない様子だったが、エドゥアルドは少し困っている。


 ルーシェが、マヤを苦手としているらしい、というだけではない。

 ルーシェがいなくなってしまえば、アリツィアを誰がもてなすのか、ということも問題だった。


 エドゥアルドはコーヒーの好みにはうるさかったが、実を言うと、自分でいれようと思ってもできない。

 いつもルーシェたちに任せっきりだったからだ。


「いやぁ、マヤの奴、ずいぶん張りきっちゃってね」


 ルーシェが一時的にこの場からいなくなっても、大丈夫だろうか。

 そう心配しているエドゥアルドに、アリツィアは畳みかけるように言う。


「以前、ルーシェちゃんの服のサイズを測らせてもらっただろう?

 それから、マヤったら、毎晩夜なべをして、もう10着も衣装を用意してしまってさ。


 早く着せてみたいって、うずうずしているみたいなんだ」


「じゅ、10着……」


 ルーシェは、自分の肩をつかむマヤの手にぐっと力がこもるのを感じながら、気が遠くなるような思いがして、うめくようにそう言っていた。


 スラムで暮らしていたころは、着の身着のままだった。

 公爵家にやってきて、エドゥアルドのメイドとして仕えるようになってからは、何着か衣装を持つようになったが、それは仕事に必要なモノと、月に1回程度強制的に休まされる日に、部屋でゆっくりとリラックスするための服でしかない。


 10着もの、異なる衣装。

 それがすべて自分のために用意されているだなんて、それだけでルーシェにとっては想像もつかないことだった。


「だから、ね、エドゥアルド公爵。

 いいだろう? 」


 まだ迷っている様子のエドワードに、アリツィアはねだるような笑顔を作り、両手の手の平を顔の右横で合わせながらかわいらしく首をかしげて見せる。


 ここまで言われてしまっては、エドゥアルドも断りづらかった。

 相手は他国の王族という要人だったし、私的な面会をしているだけとはいえ、その願いを無下に却下することはできない。


 それに、ルーシェのために衣装を作ってくれたのだという。

 普段彼女は同じメイド服で働いてばかりいるし、たまには違う衣装を着てもらってみるのも、良い息抜きになるのではないかと思えた。


「わかりました。

 そこまで、おっしゃるのでしたら……」


 エドゥアルドはアリツィアに押し切られるように、そううなずいていた。

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