第330話:「エドゥアルドの公務:3」

 ルーシェがエドゥアルドから預かった手紙を外交関係の部署にまでもっていくと、担当者たちはすべてを心得ている様子で手紙を受け取り、すぐに発送する準備を開始した。


 手紙は封筒に入れられ、エドゥアルドによって厳重に封蝋ふうろうで閉じられている。

 後はその封筒に書かれた宛先に向けて発送する手配をするだけなので、担当者たちも手慣れた様子で手配を済ませていく。


 その様子を、ルーシェは見届けたりしなかった。

 手紙を送るのは担当者たちに任せておけば確実だったし、ルーシェとしては、1秒でも早くエドゥアルドのいる執務室に戻りたかったからだ。


 来た時と同じよう、公爵家のメイドとして許される最大限の早さで。

 急いで執務室まで戻ると扉の前でいったん立ち止まって息を整え、とんとんとんとん、と4回、丁寧にノックをする。


「どうぞ」


 そして部屋の中からくぐもったエドゥアルドの声が聞こえると、ルーシェは待ちきれないという様子で扉を開いた。


「お手紙、担当者の方にお渡しして参りました」


 だがルーシェは、自分がエドゥアルドのメイドである、ということは忘れない。

 すました態度を取り、エドゥアルドに向かってうやうやしく一礼をして見せる。


「ああ、ありがとう」


 エドゥアルドは、ちらり、と一瞬だけルーシェの方へ視線を向けると、軽く微笑んでそうねぎらってくれる。


 だが、すぐにその視線は、執務机の上に置いてある別の手紙へと向けられる。

 どうやら別の宛先に送る手紙の文面を考えているようだった。


(やった! エドゥアルドさまの、お役に立った! )


 エドゥアルドがルーシェに顔を向け、微笑んでくれたのは、ほんのわずかな時間だけだった。

 だが、それだけで心が弾み、ウサギのようにぴょんぴょんと跳ねまわりたいような感覚になる。


 もちろん、実際に執務室の中でぴょんぴょんと跳ねまわるようなことはしない。

 そんなことは、公爵家のメイドとしてはあるまじきことなのだ。


 ルーシェは自身の弾む心が行動に反映されないように注意しながら、それでも表情を緩ませながら、とにかく自分の仕事をこなす。

 執務机の上のコーヒーカップに注がれたコーヒーが冷めてしまっているのを確認すると、エドゥアルドの邪魔をしないように静かに新しいものと交換した。


 それから、自分の定位置になっているイスに戻ろうとする。


 コンコンコンコン、と部屋の扉がノックされたのは、その時だった。


 座りかけていたルーシェだったが、すぐに立ち上がって扉の方へ向かう。

 部屋にエドゥアルドしかいない時は彼が来客に対して応えなければならないが、そうでない時は、ルーシェが応対するのが決まりだった。


「あの、どちら様でございましょうか? 」


 扉の前に立ったルーシェは、エドゥアルドの邪魔をしないように声を抑えながら、しかし、外にいる人間にも聞こえるように調整した声でそうたずねる。


「ああ、エドゥアルド公爵のメイドちゃんか。


 すまない、私だ。

 アリツィアだ。


 少し、エドゥアルド公爵とお話がしたいのだが」


 すると、返って来たのは、オルリック王国の王女、アリツィアの声だった。



「あの、エドゥアルドさま。


 アリツィア王女さまがいらっしゃっております。

 少々、お話がしたいそうで、今お通ししても大丈夫でしょうか? 」


 来客の正体がアリツィアであることを知ったルーシェは、背後を振り返り、そう言ってエドゥアルドに確認する。


 相手は、なにしろ外国の王族だ。

 私的な訪問であるようだったが、出迎えるには相応の心の準備というモノが必要になる。

 それになにより、エドゥアルドは今、忙しい。


「ああ・・・、大丈夫だ、ルーシェ。

 確かに忙しいことは忙しいけれど、アリツィア王女の方が優先だ。


 それに、少し煮詰まってきていたところだからな」


 だがエドゥアルドは顔をあげると、少し苦笑しながらそう答えた。


「かしこまりました。お通ししますね」


 エドゥアルドの指示にうなずき、一礼すると、ルーシェは扉の方へと向きなおる。


(いったい、どのようなご用件なのでしょうか? )


 結局のところ、物事を決めるのはエドゥアルドの役割だったが、ルーシェはアリツィアがたずねてきた理由に好奇心をかき立てられていた。


 元々ルーシェは、アリツィアのことが嫌いではない。

 彼女は王族で、ルーシェとは生まれも立場もまるで違うのだが、アリツィアは少しも偉ぶったり、貧民出身だからと差別したりするようなことがない。


 それだけでも、多くの貴族にはない美点だった。


 加えてアリツィアは、美しく、強い。


 初めて出会った時には、たくましい軍馬にまたがり、全身を輝く鎧で覆い、背中に天使の翼を背負った、凛々しいいでたちだった。

 そのアリツィアの姿を、ルーシェは今でも鮮明に思い出すことができるし、自分にはない凛々しさに憧れるような気持を持っている。


「どうぞ、中にお入りくださ……、いっ!? 」


 アリツィア王女を、公爵家のメイドとして精一杯、お迎えしよう。

 そんな気持ちで扉を開き、目の前に立っていたアリツィアに一礼しようとしたルーシェだったが、声を詰まらせ、引きつったような笑顔でたじろいでしまう。


 なぜなら、アリツィアの背後にはあの眼鏡メイド・マヤが控えていたからだ。

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