第329話:「エドゥアルドの公務:2」
メイドのルーシェは、毎日忙しそうにしているエドゥアルドの姿を眺めていることが、好きだった。
エドゥアルドのおつきのメイドであるルーシェの使命は、主が公務に専念できるようにすることだ。
そのために、ルーシェは常に側近くにひかえ、エドゥアルドがなにか用を言いつければすぐにそれに対応できるようにしていなければならない。
といっても、エドゥアルドは手紙を読んだり、書いたりすることに集中しているので、ルーシェがやることと言ったらほとんどない。
定期的に、エドゥアルドのコーヒーを新しいものに取りかえ、いつでも暖かくて美味しいコーヒーを飲んでもらえるようにするくらいだった。
だから多くの時間、ルーシェはエドゥアルドの姿を眺めていられる。
ずっと立ちっぱなしでひかえているのは大変だろうと、エドゥアルドが用意してくれたイスに腰かけながら。
いつでもエドゥアルドの要望に応えられるように、という名目で、ルーシェはエドゥアルドの様子をじっと見つめていることができるのだ。
執務室の中は、静かだった。
振り子時計がチックタックと針を進める音がよく響いて聞こえるほどに。
エドゥアルドの集中力を邪魔しないように、ルーシェは静かに待っている。
そして、エドワードが手紙を読み返し、封筒から取り出したり戻したりする紙がこすれる音や、返事を書くために紙の上にペンを走らせる音に耳を澄ませている。
エドゥアルドは、今、ルーシェのことなど眼中にない。
ただ黙々と、真剣に、自らの仕事と、公爵としての責任に向き合っている。
その、まっすぐで、研ぎ澄まされている様な姿。
それを眺めていると、ルーシェはなんだか、うっとりとした心地になってくる。
このままずっと眺めていられたらと、そう思ってしまうのだ。
自然と、表情が緩み、ニヤついてしまう。
眼中に自分がいないのだとしても、今、この瞬間、この部屋にいるのはエドゥアルドとルーシェの2人だけ。
この真剣なエドゥアルドの姿は、ルーシェだけが独占して眺めていられるのだ。
こんな時間が、続けばいいのに。
ルーシェがそんなふうに考えていた時、ふと、エドゥアルドが顔をあげ、唐突にこちらへ視線を向けて来る。
急に見つめられたルーシェは、慌てて居住まいを正した。
だらしないにやけ顔でエドゥアルドのことを眺めていたと知られたら、幻滅され、嫌われてしまうと思ったからだ。
「どうしたんだ? ルーシェ」
そのルーシェのわたわたとした様子に、エドゥアルドは
公爵家のメイドらしい美しい姿勢ですました表情を作っていたルーシェだったが、内心では激しく動揺していた。
ドキドキ、と心音が早くなっている。
「な、なんでもないです。
ただ、ちょっと驚いただけでございます」
なるべく平静を装ってごまかすが、若干、声が震えてしまう。
「……ふぅん? まぁ、いいさ。
すまないが、この手紙を出してきてくれないか? 」
するとエドゥアルドは肩をすくめ、それから、何通かの手紙をルーシェに向かって差し出してくる。
平民の士官学校への入校を認めてもらうために、諸侯に根回しをする手紙であるようだった。
忙しい自分の代わりにルーシェに送ってもらおうということだろう。
「あっ、はいっ!
かしこまりました、エドゥアルドさま! 」
うなずいたルーシェは、急いで立ち上がると手紙を受け取った。
手紙を送れ、と言ってももちろん、ルーシェが直接届け先までもっていくわけではない。
ことは国家同士のやりとりだから、外交を司る部署へと持っていき、外交的な親書として送り届けてもらうのだ。
エドゥアルドはここ数日ずっと、
だから、ルーシェはもう何度も、同じことをしている。
受け取った手紙を紛失しないように大切に、ヴァイスシュネーの一画に設けられた外交関係の担当者がいる執務室に届ければいいだけだ。
エドゥアルドに嫌われてはいなさそうだということと、以前にもやったことのある仕事だということを理解して少しほっとしたルーシェは、エドゥアルドにうやうやしく一礼すると、さっそく手紙を届けるために執務室を出て行った。
執務室を出るまでは、ゆっくりと、落ち着いて、静かに。
だが、執務室を出た後は、足早に。
別に、ここでルーシェが急いだところで、この手紙が相手方に届くのに大して影響はない。
交通手段が限られるために、急ぎの手紙でも普通は馬を乗り継いで届けられることとなり、目的地に届くのには何日もかかるのだ。
エドゥアルドから特に急げとの指示もなかったし、ここでルーシェが数分程度時間を短縮したとしても、意味はない。
それでもルーシェは急いだ。
公爵家のメイドとしてふさわしい態度を崩さない程度に抑えながら、全力で。
なぜなら、せっかくエドゥアルドと一緒にいられる、自分がエドゥアルドのことを独占していられる時間を、1分でも1秒でも失いたくなかったからだ。
以前、エドゥアルドにプレゼントしてもらった青いリボンで結んだ黒髪のツインテールをなびかせながら。
手紙を大事そうに抱えて、ルーシェはヴァイスシュネーの中を駆け抜けていく。
メイド・ルーシェは、今日も一生懸命に、一途に働いていた。
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