第327話:「それは、戦い:6」

 アリツィアがエドゥアルドの心を射止めるのに当たって、その使用人たちに注意をしなければならない。

 そのマヤの指摘に、アリツィアは困惑するしかなかった。


 オルリック王国は今、ノルトハーフェン公国との外交関係を非常に重視している。

 そしてノルトハーフェン公国の発展する様子を目にしてきたアリツィアは、その方針が正しいものだと信じるようになっていた。


 だから、必ずノルトハーフェン公国とは結びつきを強く持たなければならない。

 それにはアリツィアがエドゥアルドに嫁ぐという形になることが、理想的だ。

 アリツィアとしても、他の貴族の子弟と結婚させられるよりは、そうなりたいと思い始めている。


 しかし、そのためにエドゥアルドの使用人たちに注意せよとは、どういうことなのか。


 首をかしげているアリツィアに、マヤは真剣な表情で説明する。


〈使用人たちに注意を、と申し上げましたが、それは正確ではありませんでした。

 問題なのは、エドゥアルド公爵のお心なのです。


エドゥアルド公爵が、自身が男性であるとお気づきになられた時。

 その関心が、必ずしもご主人様へとは向かないかもしれない、ということです〉


 つまりマヤは、エドゥアルドが結婚ということを意識しだした時に、アリツィアとは別の女性に好意を向けるかもしれないと言っているのだ。


 王族の姫と、身近にいるとはいえ使用人の誰か。

 普通は、比較対象にもならないことだ。


 公爵の正妻という立ち位置が1つしか存在しない以上、そのポジションに誰を迎えるかは、強い政治的な意義を持つ。

 有力な家との結びつきは大きな後ろ盾となるし、その点を考慮しないで貴族の婚姻が執り行われることはまず、あり得ないことだった。


 貴族に、自由恋愛などは許されない。

 そのことを、アリツィアは幼いころから覚悟して生きてきた。


 だからこそ、数少ない選択肢の中で与えられた[最良]を選びたいと思っているのだ。


 そしてそれは、エドゥアルドの方も同じであるはずだった。

 彼もまた公爵家に生まれ、その地位と権力を引き継ぐ嫡子として教育をされて来た人物だ。

 まだ若年の内に両親を失ったという、欠損した家庭環境に育ったという経緯はあるものの、彼もまた、自分の伴侶が自身の好みだけでは選べないということを理解しているだろう。


 まして、相手がアリツィア、王族ともなれば。

 [縁]としては、これ以上のものはないはずだった。


 だから、アリツィアと使用人などでは、勝負にもならないとしか、そうとしか考えられない。


(……なるほど、あの子のことか)


 しかしアリツィアには、マヤが誰のことを言っているのかが理解できた。


 なぜならアリツィアもその誰かと直接面識があり、エドゥアルドと特別な関係にあることを知っていたからだ。


 戦場に使用人を連れて行くことは決してないことではなかったが、メイドを連れて来ることは珍しいことだった。

 しかも、実際に陣頭に立つ時以外は、ほとんど片時も離さずに特定の1人を側に置いているというのは、すでに主従の関係を越えているとさえ思える。


 もちろん、当の本人たちはそんなことは思っていないだろう。

 主人の方はまだ女性に対して関心すらなく、自分自身が男性であることも自覚していない少年に過ぎず、また、メイドの方も、自分がどこの馬の骨とも知れない貧民の出身であり、貴族と対等な関係を築けるとは考えていない。


 だが、アリツィアはマヤの意見を、深刻に危惧しなければならないことだと思った。


 もしもエドゥアルドが、自分自身が男性であると気づき、将来、家庭を作ることを意識し始めた時。

 当然、なぜ自分が身近なところに、常に決まった誰かを置いていたのか、その理由に思い当たることだろう。


 そしてそうなった時、メイドの方はエドゥアルドの気持ちを受け入れるだろう。

 今は理性が本心に鍵をかけ、彼女は自分の本当の気持ちというものに気づいていないが、エドゥアルドがいいと言うのなら、その鍵はもう必要なくなる。

 自分を隠し、無意識のうちに本心をしまい込んでおくことをしなくて済むようになるのだ。


 王族という血筋を武器に、アリツィアが強引に割り込むことは、難しくないだろう。

 政略という観点から考えた時、公爵が行うべき選択など、決まりきっているからだ。


 だが、問題なのは、アリツィア自身だった。


(それは、気が引けるな……)


 幼いころから、自分は本当に愛した相手とは結ばれることができないと、そう覚悟して生きてきた。

 だからアリツィアには、その想いを貫くことの貴重さが、価値が、理解できるのだ。


 なにより、真に気持ちの通じ合った者同士が結ばれるという話の方が、アリツィアは好きだった。

 そういう[おとぎ話]に、ずっと憧れてきたのだ。


(しかし……、負けられない)


 アリツィアは葛藤したが、最後には自分が王女であるということを思い出していた。

 一国の、そこに暮らす多くの民衆の命運がかかわってくる話なのだ。

 私情を優先していいことではなかった。


「マヤ。

 なにか、うまい作戦はないだろうか? 」


 感情の抜けた冷徹さを感じさせる表情でアリツィアがたずねると、マヤは、少し嬉しそうにうなずいてみせる。


(我が主は、強く、そして、美しい……)


 良い主人に仕えることができる我が身の幸運を、マヤは喜んでいた。


わたくしに、どうか、お任せくださいませ。

 ご主人様は、エドゥアルド公爵のお心を得ることに注力なさいますよう。


 これは、わたくしたちの[戦争]でございますから。

 ありとあらゆる手を尽くさせていただきます〉


 それからマヤは、力強い、不敵な笑みを浮かべると、そう言って自身の胸、心臓の辺りに右手を添え、アリツィアに向かってうやうやしく一礼をして見せていた。

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