第320話:「見送り」

 アリツィア王女のノルトハーフェン公国での滞在は、1か月ほどの予定となっていた。

 その間、アリツィアはヴァイスシュネーに滞在しつつ、ノルトハーフェン公国の各地を見学することとなっている。


 ノルトハーフェン公国のどういったところを見てみたいのか。

 アリツィアの旅の疲れを考慮し、一夜明けてからあらためてエドゥアルドが確認したところ、出てきた要望は主に、ノルトハーフェン公国の産業についてだった。


 ノルトハーフェン公国で操業している工場群。

 建設が進み、運行が開始されている鉄道。


 オルリック王国でも産業革命は進展しつつあり、工場なども建てられているのだが、それらの規模や設備は、ノルトハーフェン公国にあるものからするとずいぶん見劣りがするものであるらしい。

 だからこの際、タウゼント帝国でももっとも産業化が進んでいるノルトハーフェン公国の現状を確認し、その知見を自国に持ち帰ろうということだった。


 アリツィア王女は、突然の訪問だったとはいえ、国賓だ。

 そしてサーベト帝国と戦争では共に戦った戦友でもある。


 エドゥアルドはできるかぎりアリツィア王女の要望に応えるべく、宰相のエーアリヒ準伯爵などに命じてスケジュールの調整を行わせた。


 スケジュールの調整が行われている間、2、3日の間は、アリツィアはヴァイスシュネーからほとんど動かず滞在し続けた。


 なにしろ、彼女は王族だ。

 訪問先の受け入れ態勢が整っていないのに、ホイホイ、気軽に外出などさせられない。

 万が一のことがあればそれだけで外交問題に、ヘタをすれば戦争にまでなってしまうかもしれないからだ。


 アリツィア王女はノルトア―フェン公国各地を見学できるようになるまでの数日間、エドゥアルドからの歓待を受けつつも、退屈そうな様子だった。

 元々警備体制がしっかりとしているヴァイスシュネーの中であれば自由に動き回れる彼女だったが、乗馬が趣味というほど活発な性格のためか、やはり1つの場所にとどまっていることがつまらなかったらしい。


 しかし、待ってもらった甲斐はあったはずだった。

 エーアリヒの調整により、アリツィアが見学したいと要望していたほとんどの施設を巡ることができることとなったのだ。


 これはやはり、相手がオルリック王国の王女だという影響が大きかった。

 もしここでアリツィアに好印象を持ってもらい、その話がオルリック王国の国王にまで伝われば、それは商人や実業家たちにとって大きなビジネスチャンスにつながるからだ。


 特に、タウゼント帝国でも有数の大商人、オズヴァルト・ツー・ヘルシャフトなどは熱心だった。

 彼は自身が経営している最新式の製鉄所や兵器工場だけではなく、ようやく経営が軌道に乗り始めた鉄道、そして最新式の機関車を製造している車両工場などの見学もアリツィアに認めたのだ。


 そうして、アリツィアが最初の見学先に出発する日が訪れた。


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 ヴァイスシュネーに、数台の馬車と、20騎ほどの騎兵がやってきていた。


 馬車の1台はノルトハーフェン公爵が乗るもの、すなわちノルトハーフェン公国で最も高価で乗り心地の良い馬車であり、6頭の馬によって引かれている。

 馬車は他にも2台あり、こちらは、アリツィアについてオルリック王国からやってきた警護の兵士たちを乗せ、アリツィアの馬車の前後を固めるためのものだった。


 アリツィアの乗る馬車は屋根が固定式で、防音性を重視しているが、警護の兵士たちが乗り込む馬車は屋根がほろになっている。

 これはなにか異変があればほろを即座に跳ねのけ、中にいた兵士たちが臨戦態勢をとり、広く射界を確保できるようにするための構造だ。


 残りの20騎ほどの騎兵たちは、ノルトハーフェン公国から出された警護の兵士たちだ。

 ノルトハーフェン公爵家の客人であることを示す旗と、オルリック王国の王族がいることを示すための旗を持った騎兵が先頭に配置され、その後方に槍を持った騎兵たちが配置される。

 馬車の車列の前後を挟んで守りを固め、あるいは馬車の車列がやってくることを知らせる先ぶれともなる者たちだ。


 ヴァイスシュネーの正面玄関前で待っている馬車に乗り込むために、アリツィアが、最も信頼するメイドであるマヤを引き連れてやってくる。


 その姿を目にして、警護の兵士たちや、馬車の御者たちはみな、ほぅ、と感激したような声をらした。


 ノルトハーフェン公国にやって来た最初の日、アリツィアは自分に縁のある馬を確実に送り届けるため、そしてエドゥアルドたちを驚かせるために馬丁の姿をしていたが、今日は違った。


 美しいドレスで、着飾っている。

 それはタウゼント帝国の帝都・トローンシュタットで行われた盛大な戦勝パーティの際に身に着けていたのとは違うドレスだったが、あの時と同じか、それ以上にアリツィアに似合うものだった。


 なんでも、眼鏡メイド、マヤがアリツィアのために仕立てたドレスであるらしい。

 貴族たちにとっては一般的な、コルセットで上半身の見栄えを整え、下に大きく膨らむスカートを組み合わせたものだ。

 アリツィアの髪の色と合うように選ばれたクリーム色の生地は絹でできており、盛装ではないため宝飾品などはほとんど見られないが、レース生地が幾重にも重ねられてウェーブを形作り、衣装を美しく飾っている。


 派手過ぎず、地味過ぎず。

 ほどよい出来栄えで、そして、アリツィアによく似合っている。


「それでは、アリツィア王女。

 どうぞ、実り多いご視察を」


 衣装を整えたアリツィアを玄関先まで見送ったエドゥアルドだったが、彼はそこで立ち止まると、別れの挨拶を述べる。


 すると、アリツィアはやや憮然ぶぜんとした表情でエドゥアルドの方を振り返った。


「エドゥアルド公爵、いろいろとご配慮いただき、感謝申し上げます。


 しかしながら、どうして一緒に来てくだされないのです?

 最初くらい、直接ご案内していただけると思っておりましたのに」


 公衆の前であるためか、アリツィアの口調はいつもよりかしこまった、丁寧なものになっている。


「それは、申し訳ありません。

 ですが、外せない公務がありまして」


 勇ましい騎士のイメージからは想像できない今のアリツィアの様子にエドゥアルドは苦笑しつつ、そう言って頭を下げる。


「公務というのなら、いたし方ありませんが……。


 ですが、1度くらいはぜひ、ご一緒していただきたいものです」


「はい。予定の方を調整して、必ず」


 アリツィアはまだ不満そうだったが、しかし、エドゥアルドがそう約束すると、納得したようにうなずいて馬車に乗り込む。

 彼女のおつきのメイドのマヤがそれに続き、2人が乗り込むと、御者の手によって馬車の扉が丁寧に閉じられた。


 やがて、アリツィアの車列は隊列を整え、エドゥアルドやルーシェたち使用人たちに見送られながら、今日の目的地に向かって走り出していった。

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