第313話:「眼鏡メイド、強襲:4」

 ルーシェの危機を理解すると、カイは眼鏡メイドに向かって突撃していった。


 彼はバーニーズ・マウンテン・ドッグという、山岳地帯で牧羊犬や番犬など、人間の手助けをすることが得意な犬種の犬だった。

 普段は温厚だが、番犬としても活躍していた名残からか、カイはルーシェを救うために勇敢に戦いを挑んだ。


 カイはルーシェと眼鏡メイドの間に割って入ると、勇ましく吠えたてる。

 その剣幕けんまくに、眼鏡メイドもさすがにルーシェを追う足を止めざるを得ない様子だった。


 カイの後ろに逃げ込んだルーシェは、怖さと全力疾走のせいで荒くなった呼吸をくり返しながら、じっと眼鏡メイドの様子をうかがう。

 これで眼鏡メイドが意思疎通をしてくれるつもりになって、その意図を明らかにしてくれればいいと思っていた。


 ワン、ワン、と吠え、グルルルル、とうなり声をあげるカイのことを、ルーシェとは対照的に息ひとつ切らしていない眼鏡メイドは、静かな視線で見おろしていた。


 なにを考えているのかわからない、不気味ささえ感じさせるその表情。

 そして、カイの吠える声などまるで意に介していないような、冷ややかで、氷でできた刃のように冷ややかな視線。


「キャゥンっ」


 その視線に見すえられたカイは、ルーシェを守るためにと勇ましく吠えたてていたはずなのに、急にそんな弱々しい声をらしてたじろいだ。


 眼鏡メイドの、カイのことをまったく怖がってない、それどころか意に介してさえいないような瞳。

 カイは眼鏡メイドのその瞳を目にして、本能的に理解していた。


 自分と、相手との間に存在する、圧倒的な力の差を。


(お前では、私には勝てませんよ)


 まるで、冷徹にそう事実を告げているかのような眼鏡メイドの視線は、カイを完全に威圧してしまっていた。


「ど、どうしたのっ、カイっ! 」


 そのカイの様子を目にして、ルーシェは心配と不安の声をあげる。

 するとカイはルーシェのことを見上げ、「ごめん、自分じゃ勝てそうにない……」と、申し訳なさそうな視線を向けて来る。


 カイから眼鏡メイドへと視線を戻すと、そこには、ルーシェのことをまっすぐに見つめている眼鏡メイドの姿があった。


「ひっ、ひぅっ! 」


 頼りにしていたカイが視線だけで射すくめられてしまったことを理解し、そして、眼鏡メイドのターゲットが相変わらず自分に固定されていることを察知したルーシェは、恐怖で思わず悲鳴をらす。


 眼鏡メイドは相変わらず一言も発しない。

 だが、その目が、すわっている。


 絶対に、逃がさない。

 無言のうちに、ルーシェにそう宣告しているようだった。


 すっかり戦意を失って尻尾をたらし、頭を伏せ気味にしているカイと一緒に、ルーシェは怯えながら徐々に後ろに下がっていく。


 ルーシェとカイが下がれば、下がった分だけ。

 眼鏡メイドはゆっくりと焦らず、迫ってくる。


「カイっ、逃げようっ! 」


 その眼鏡メイドから発せられるプレッシャーに気圧され、耐え切れなくなったルーシェはそう言うと、カイと一緒に、再び逃げ出していた。


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 ノルトハーフェン公国の政庁であり、公爵家の居城でもあるヴァイスシュネーは、大きな建築物だ。

 公爵のための十分な生活空間を確保するだけではなく、国内外からの来客のための施設も必要だし、公爵や政府の大臣や役人たちが仕事をする執務室もある。

 それだけではなく、有事の際には軍事拠点としても機能するため、多数の兵士を収容できる兵舎や、基地として必要な施設も用意されていう。


 そんな大きな建物だから、ルーシェが眼鏡メイドから逃げるために走り回るのに、十分すぎる広さがあった。


 普段からメイドとして忙しく働いているから、ルーシェはかなり体力がある。

 ちょっと走るくらいはへっちゃらなのだが、しかし、眼鏡メイドの追跡してくる速度があまりに速いために全力で駆けなければならず、ヴァイスシュネーを一周するころにはすっかり息があがってしまっていた。


(もっ、もうダメっ!

 逃げられないっ! )


 頑張って走っているのに、眼鏡メイドとの距離は段々と詰まってきている。

 もう風になびくルーシェのツインテールの先端が、眼鏡メイドの手に捕まってしまいそうなほどだった。


 もう、これまでか。

 ルーシェがそうあきらめかけた時、目の前に第2の救世主があらわれた。


 それは、ネコのオスカーだ。


 彼はヴァイスシュネーに引っ越してきて以来、近隣に住む猫たちのボスという地位にすっかりおさまってしまって、ヴァイスシュネーでもまるで「我こそが王」といった堂々とした、言い換えればふてぶてしい態度で振る舞っている。


 オスカーはどうやら、日課のパトロールをしているようだった。

 偉そうに我が物顔でヴァイスシュネーを練り歩く一方で、オスカーはネズミを退治するというネコに求められる仕事もきっちりとこなしており、こうしてパトロールをすることが日課となっている。


(助けてっ、オスカー! )


 オスカーの姿を見つけたルーシェは、息があがっていて叫べないので、祈るような気持で彼の姿を見つめる。


 すると、オスカーはルーシェたちのことに気がついた。

 物憂げな表情で振り向き、驚いたように足を止める。


 だが、彼はカイのように眼鏡メイドには立ち向かってはくれなかった。


 なんと、オスカーは尻尾を巻いて、一目散に逃げだしてしまったのだ。


(そっ、そんなぁっ! )


 自分とカイのことを見捨てたオスカーに、ルーシェは、そんなことでボスネコが務まるモノかと、恨めしい気持ちになる。


 しかし、助けがないものは、ない。

 衛兵たちも段々異変に気づいてきてはいるが、やはりメイドが追いかけっこをしている光景にはイマイチ危機感が持てないらしく、戸惑っている。


(もっ、もう、追いつかれる……ッ! )


 ルーシェが、絶望しかけたその時、第3の救世主、というか、ルーシェにとって頼れそうな相手が姿をあらわした。

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