第308話:「受け入れ準備:1」

 なぜアリツィアが不機嫌になってしまったのか。

 エドゥアルドが頭を抱えてしまっていたころ、当のメイドのルーシェは、ヴァイスシュネーの一画で、アリツィア王女たちの受け入れ準備のために忙しく働いていた。


 ノルトハーフェン公爵の居館であり、政庁でもあるヴァイスシュネーでは、国の内外から要人を招くことはよくあることだった。

 だから、要人向けの部屋もあるし、急に誰かが宿泊することとなっても対応できるだけの設備や必要品は整っている。

 もちろん、普段から清掃などもされており、慌ててなにかを準備しようとしなくても大丈夫なようになっている。


 しかしそれでも、外国から王族を迎えるのだ。

 絶対に不愉快な思いをさせないよう、アリツィア王女を出迎える前に念入りに用意を整えておくのが、公爵家の使用人たちの役割だった。


 なにしろ、もし万が一なにか手落ちでもあろうものなら、直接的な外交問題に発展する可能性がある。

 外国からやってくる使者といった人々は訪問した先の国家が自分をどのように出迎えるかで、その国が自国をどのように扱っているのかを判断するのだ。


 歓迎されているのか、いないのか。

 相手がどれほど丁重に気を配ってくれているのか。

 そういった様子から、外交官たちはその国の誠意のほどを探るのだ。


 もしいいかげんに対応されていると思われてしまえば、ノルトハーフェン公国とオルリック王国との外交関係にはヒビが入ることとなる。

 せっかく軍馬を譲渡じょうとしてもらえ、通商条約を締結できる1歩手前まで交渉が進んでいるのに、そんなことになっては大変なことになってしまう。


 ことは、ノルトハーフェン公国1国だけのことではなく、タウゼント帝国全体のことにまで発展しかねない。

 だから、事前にいつでも要人を受け入れられる準備が整っていようと、おざなりにせず、念には念を入れるのだ。


 アリツィアは外交使節ではなく観光を目的にやって来たのだったが、それでも、ノルトハーフェン公国が彼女をどう迎え入れたのかは、オルリック王国に筒抜けとなるはずだった。

 たとえアリツィアが逐一、自分がどういったあつかいを受けているかを手紙で知らせるなどということはしないのだとしても、彼女が帰国すればその印象は向こう側にも伝わるだろう。


 アリツィアを迎え入れる部屋には、塵一つ残さず、窓には曇り一つ残さず、虫眼鏡で隅から隅まで探してみても、なんの落ち度もないようにしておかなければならない。

 ヴァイスシュネーで働いている使用人たちは、メイド長のマーリアの号令により総動員がかけられ、慌ただしくアリツィアたち一行の受け入れ準備を整えようとしていた。


 ただアリツィアの部屋だけを万全にしておけばいいというわけではない。

 彼女についてやってくるおつきの者たちの部屋まで丹念に準備を整えておいて初めて、ノルトハーフェン公国がいかに彼女たちを丁重に迎え入れたのか、オルリック王国との友好関係を重視しているのかを、示すことができるのだ。


 すでにアリツィア一行はエドゥアルドと共にこちらへと向かってきている。

 限られた時間の中で、使用人たちは互いに連携しながら、着実にその仕事をこなそうとしていた。


 慌ただしい中で、ルーシェはアリツィアが宿泊する予定の部屋の窓という窓を、せっせとふいていた。

 薄く洗剤を混ぜた水で濡らした雑巾でまず窓をふき、次いで乾いた布でからぶきをする。


 アリツィアが宿泊する部屋は滞在者が快適でいられるよう、日光をふんだんに取り入れられるように窓が大きく作られているから、ルーシェが1人だけで窓をふくのは大変だった。

 だからルーシェは、フェヒターのメイド、アンネ・シュティと共に、窓をふいている。

 アンネはエドゥアルドではなくフェヒター準男爵に仕えるメイドだったが、エドゥアルドと共に式典に出席していたフェヒターが戻ってくるのをヴァイスシュネーで待っていたので、ちょうどここにいるのだから、と、ルーシェたちの仕事を手伝ってくれている。


 ルーシェが、上の方を。

 アンネが、下の方を。

 2人は互いの身長によって役割を分担し、協力しながら、手早く窓をふいていく。


 協力したおかげで、窓ふきは余裕を持って終えることができそうだった。


「あーあ、前は身長、そんなに変わらなかったのになー」


 床から天井の高さまで広く大きく作られた格子窓のガラスを、きゅっきゅっ、とふきながら、アンネが小さな声でぼやいた。

 仕事に終わりが見え、少しおしゃべりできるような余裕ができてきていた。


 ルーシェは15歳、アンネは19歳。

 昨年、であった頃の2人の身長はさほど変わらないほどで、互いに小柄だったのだが、ルーシェはあれから順調に身長を伸ばして、今では目に見えてアンネよりも背丈が高くなっている。


「ルー先輩が、うらやましい。

 どんどん、背がのびて」


 そんなルーシェのことを、アンネはうらやんでいるようだった。


「私は、アンがうらやましいと思うけどなー」


 作業する手は止めないまま、ルーシェもアンネに正直な思いを伝える。


「ヨーゼフさまのこと、すっかり手玉に取るようになっちゃって。


 私も、アンみたいになってみたいなぁ……」


 ヨーゼフとは、フェヒター準男爵のことだ。


「あはは。それは、赦免状しゃめんじょうみたいなのがないと、無理でしょうけどねー」


 そのルーシェの言葉に、アンネはニヤリと不敵に微笑む。


 ルーシェは、エドゥアルドからの赦免状しゃめんじょうをダシに、アンネがフェヒターのことを手玉に取っていることをうらやんでいる。


 なぜ、ルーシェがそんなことを思ってしまうのか。

 アンネには、お見通しなのだ。


 自身も手を止めないまま、アンネは少し意地悪な笑みをルーシェへと向けた。


「ちなみに、ルー先輩が手玉に取りたいのって……、公爵殿下、ですかぁ? 」


「っ! 」


 そのいたずらっぽい口調のアンネの言葉に、ルーシェはビクリと肩を震わせ、危うく足元にあったバケツを蹴っ飛ばして水をぶちまけそうになってしまった。

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