第307話:「来訪:3」
オルリック王国から
観光のためにノルトハーフェン公国に長期滞在したい。
どうやらアリツィアは本気でそう考えている様子で、彼女につき従っている者たちは20名近くにもなっていた。
アリツィアの身の回りの世話をする使用人たちに、警護の兵士たち。
王族というだけあって、観光を楽しむのにも常に、これだけの人数が動くことになる。
そんなアリツィアたちを受け入れるということは、エドゥアルドたちにとって一仕事だった。
まず、王族に対して失礼のないような宿泊施設を用意しなければならない。
それも、アリツィアにつき従っている
ひとまず、それはエドゥアルドが暮らす居館であるヴァイスシュネーで大丈夫なはずではあった。
外国の要人を迎え入れてもてなすための設備もヴァイスシュネーには整えられていたから、長期の滞在となっても対応できるはずだった。
式典が終わるよりも前に早馬が出され、アリツィア王女が長期間ノルトハーフェン公国に滞在するということはすでに知らせてある。
今頃は、ヴァイスシュネーでは慌ただしく、アリツィアを出迎える準備をしているはずだった。
「そういえば、エドゥアルド公爵。
いつもの、あの元気なメイドがいないようだが、カゼでも引いているのかい? 」
式典が行われていた演習場からヴァイスシュネーへと向かう馬車の車内で、興味深そうに車窓を眺めていたアリツィアが「今思い出した」という様子でエドゥアルドの方を振り向き、そうたずねて来る。
公爵専用の、豪華な馬車だ。
足元には厚い
4頭の馬によってひかれているその馬車は、車体と座席の間にバネを使ったクッションがあり、たとえ馬車の社員が小石に乗り上げてもほとんどその振動と衝撃を伝えない、乗り心地のよいものだ。
アリツィアがたずねたあのメイド、とは、おそらく、エドゥアルドおつきのメイドであるルーシェのことだろう。
アリツィアはルーシェとも面識があり、彼女のことをしっかりと覚えている様子だった。
「いえ、体調不良とかではありませんよ。
今回は、短時間の外出になる予定だったので、わざわざメイドを引き連れて来る必要はないだろうと思っただけです。
それに、アイツにも、僕につきっきりではない、自由な時間が必要でしょうから」
ルーシェはエドゥアルドの身辺の世話をするおつきのメイドとして、よく働いてくれている。
よく気がつくし、エドゥアルドの習慣を把握して、いろいろと先回りして準備してくれている。
彼女がいるおかげで自分は公爵としての仕事以外のことで思い
そう自覚しているエドゥアルドは、ルーシェの存在にいつも感謝している。
しかし、だからと言って常にルーシェをそばに置き続けることは、してはならないことではないかとも思っている。
ルーシェはあくまでメイドとしてエドゥアルドに雇われているのに過ぎず、決して、エドゥアルドの所有物などではない、1人の人間だからだ。
だから、彼女がいなくとも大丈夫という時は、あえて連れて行かないという選択をするようにエドゥアルドは決めている。
たとえば、ルーシェの息抜きになるようなときは別だったが、明らかな公務であり、短時間の外出でしかない時は、彼女をおいてエドゥアルドは外出している。
そのたびに、ルーシェは少し気落ちしたような、しゅんとした姿を見せる。
だがエドゥアルドは、彼女にもきっと、エドゥアルドがいない間にしておかなければならない用事もあるはずで、そういったルーシェのプライベートな部分を守るためには、こうするのがしかたないと思っている。
そんなふうに考えていたエドゥアルドだったが、ふと、アリツィアが自分の方をジトっとした視線で見つめていることに気がついた。
どうやら、アリツィアは軽くエドゥアルドのことをにらみつけているようだった。
「あの……、なにか、マズいことでも? 」
エドゥアルドが少し心配になってそうたずねると、アリツィアはやや呆れたように小さく溜息を
「まったく、エドゥアルド公爵。
公爵のまっすぐな性格は私も評価しているけど、それはちょっとナイよ」
「えっと、ナイ、とは、なにが……? 」
「君は、乙女心というモノがちっともわかっていない! 」
エドゥアルドが戸惑いながらたずねると、アリツィアはほんの少しだけ声を荒げて、ぴっ、とエドゥアルドに自身の右手の人差し指を突きつけて見せる。
どうやら、エドゥアルドに怒っているようだ。
しかしエドゥアルドは、どうして怒られているのかわからない。
エドゥアルドはルーシェの日頃の頑張りに感謝し、そして彼女に対して、十分に配慮をしているつもりだったからだ。
「……これは、なかなか、前途多難だねぇ。
私も、あのメイドちゃんも……」
きょとんとしているエドゥアルドの様子を見て、アリツィアはどやら、それ以上言っても無駄だと悟った様子だった。
彼女は呆れたような視線をエドゥアルドに向けながらそう呟くと、また、車窓の方へと視線を移してしまう。
(いったい、なにがよくなかったのだろうか……? )
アイツィアの怒り方は深刻なものではなさそうだったが、しかし、どうして彼女を怒らせてしまったのかエドゥアルドには理解できなかった。
公爵としての英才教育と自己学習によって、政治や軍事には問題なく対処できるエドゥアルドだったが、アリツィアが言うような[乙女心]についてはまったくの素人と言ってよい。
なにがいけなかったのか。
まったくわからないまでも、頭をひねり続けるエドゥアルドと、少し不満そうに、そして困ったような表情で窓の外の景色を見つめ続けるアリツィアの2人を乗せた馬車は、ガラガラと車輪を回しながら、ポリティークシュタットの市街地へと入って行った。
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