第305話:「来訪:1」

 アルエット共和国とタウゼント帝国との戦争状態が終わったわけではなかったが、実質的には、平和が訪れていた。

 各国で動員されていた軍隊の復員が進み、傷ついた軍隊の再建と、疲弊した民力の回復が重視され始めている。


 それがたとえ階段の踊り場にいるだけなのだとしても、一時的に戦火は遠のいていた。


 だが、エドゥアルドはその一時的に訪れた平和の中で、安穏としているわけにはいかなかった。

 必ず嵐が訪れるとわかっているのだから、その嵐を乗り切るために、少しでも良い結果を得るために、必要なことをするのだ。


 エーアリヒ準伯爵やヴィルヘルムといった人々に相談し、平民に士官となる道を開こうと準備をしつつ、エドゥアルドは第2回の公国議会の開催に向けて準備もしなければならなかった。


 第2回公国議会では、第1回公国議会の運用結果を踏まえて、その運用に改善を実施する予定だった。

 また、第1回公国議会では決定することのできなかった案件や、士官学校に平民の入校を許すとする改革の実行について話し合われることとなっている。


 議会の運用に関しては、なにもかも手探りで進んでいた。

 かつて三部会という制度は存在していたものの、エドゥアルドが始めたこの新しい議会はそれとはまた異なった性質を持った存在であり、模倣もほうすることはできない。


 そうして、再び多忙な日々を送っていたエドゥアルドだったが、彼をさらに多忙とするような、そして少し驚くようなことも起こった。


 ヴェーゼンシュタットの攻防戦においてエドゥアルドと共闘したオルリック王国の王女、アリツィアが突然、ノルトハーフェン公国を来訪したのだ。


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 アリツィア王女とエドゥアルドは、タウゼント帝国の帝都、トローンシュタットで別れて以来、直接会うことはなかった。

 カール11世の好意で帝国観光を楽しんだ後、アリツィア王女は祖国へと帰国していたからだ。


 通商条約の締結ていけつや軍馬の譲渡じょうとなどの件でエドゥアルドはアリツィアと何度か連絡を取り合っていたが、それだけだった。


 そのアリツィア王女が再びエドゥアルドの前に姿をあらわしたのは、オルリック王国からノルトハーフェン公国に譲渡じょうとされることが決まった、100頭の軍馬を迎え入れるための式典でのことだった。


 この100頭の軍馬たちは、特別な存在だった。

 馬は馬に過ぎないが、この軍馬たちはみな、オルリック王国からノルトハーフェン公国へ、オルリック王国の国王からノルトハーフェン公爵のエドゥアルドへと送られた、貴重な贈り物なのだ。


 つまりは、外交の一環だった。

 そうであるからには送られて来た軍馬たちを出迎え、歓迎する式典の1つも開いてエドゥアルドたちがオルリック王国との友好歓迎が結ばれたことを喜んでいる、という姿勢を目に見える形で示さなければならないのだ。


 そういうわけで、オルリック王国からの使節団に運ばれて来た軍馬たちは、ノルトハーフェン公国の首都・ポリティークシュタットの近郊にある軍の演習場へと案内され、そこで1頭1頭、エドゥアルドに出迎えられ、引見されている。

 この式典の場には、エーアリヒ準伯爵やフェヒター準伯爵など、エドゥアルド以外にも公国の要人たちが幾人も集められ、軍楽隊による盛大な演奏もともなっていた。


(やはり、良い馬だ……)


 エドゥアルドは、100頭の軍馬たちが次々と自身の前に引き連れられてくるのを目にしながら、感心させられていた。


 オルリック王国の重騎兵、有翼重騎兵フサリアと共闘した際に、彼らが使用している軍馬のたくましさ、力の強さ、走る速さはよく知っていたが、こうして間近で見ると、ノルトハーフェン公国で飼育されている軍馬とはやはり、違っている。


 そしてこの軍馬たちはこれから、ノルトハーフェン公国に強力な騎兵部隊を設立するための、そのいしづえとなる存在だった。

 あの有翼重騎兵フサリアのような、とまではいかないかもしれないが、あの強烈な打撃力をこれから育てていく、その第1歩を踏み出せたのだと思うと、エドゥアルドは感慨深かった。


「それにしても、見事なものだな……」


 エドゥアルドの左後ろで、オルリック王国からやってきた軍馬たちを眺めていたフェヒターが、うっとりとした声をらす。


 貴族階級の間には、馬が好き、という者は多かった。

 というのは、良い馬を持つ、見極めるというのは、貴族にとっては重要なステータスだったからだ。


 自分が[よいモノ]を見極める眼力を持っているというアピールになるし、良質な馬は高価なものだから、良い馬を持っていればそれだけで財力があることの証明となる。

 加えて、乗馬というのは貴族たちにとって典型的な趣味の1つであったし、狩猟などの際にも役立つし、貴族たちの間の娯楽でもあった競馬でも使うことができる。


 一般的な貴族と異なり、過度な華美を嫌い、質実剛健な生き方を好んでいるエドゥアルドにとっても、馬は好きな存在だった。

 馬は保有できる財産の中でも実効性の高いモノの1つであり、エドゥアルドも乗馬や狩猟などで馬をよく使うからだ。


「後で、アリツィア王女にお礼の手紙を出さなければな……」


 馬丁に引き連れられながら通り過ぎていく馬たちをうっとりとした気持ちで眺めながら、エドゥアルドはそう呟いていた。


 この譲渡じょうとは、アリツィア王女の尽力によるものが大きかった。

 オストヴィーゼ公国の前公爵、クラウスにも助力を得たが、オルリック王国にアリツィアという知己を持っていなければ、交渉はこうもスムーズには進まなかっただろう。


 どんな言葉で、感謝を述べようか。

 エドゥアルドがそう悩んでいた時だった。


「手紙と言わず、今、ここで礼を言ってくれてもいいんだよ? エドゥアルド公爵」


 突然、覚えのある声を聞いたエドゥアルドは驚いて、あたりをきょろきょろと見回してしまう。

 その声が、アリツィア王女のものだったからだ。


 アリツィア王女がこの式典にやってくる。

 そんなことは誰からも聞いていないし、アリツィアからの手紙にも書かれていないことだったが、エドゥアルドの聞いたアリツィアの声は幻聴ではなかった。


 彼女は、エドゥアルドの目の前にいた。


「や、久しぶりだね、エドゥアルド公爵」


 アリツィアは100頭の馬の最後の1頭、自ら手綱を手にして引き連れてきたその見事な芦毛あしげの馬の背後からにょきっと顔を出すと、いたずらっぽい笑みを浮かべながらエドゥアルドにそう言っていた。

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