第297話:「アルエット共和国軍の転進:1」
次期皇帝位をめぐる政争に
その仕事は、年が明けて2月ごろになると、ようやくひと段落していた。
南方戦役に出征中に溜まっていた政務を片づけるのに数週間。
そして、今後のノルトハーフェン公国をどのような方向に進めていくのかを決めるのに、数か月。
他の公爵がどうかはわからなかったが、エドゥアルドは平民たちが[貴族]と聞いて思い浮かべるような、贅沢三昧で優雅でゆとりのある暮らしを送ってはいなかった。
起きている間は大抵、執務室に籠もって書類と格闘し、政務に携わる各部署の人員と面会して意見を聞き、近隣諸侯との外交を進めるための書簡を書いたり読んだりし、時には直接現場におもむいて状況を確認したり。
睡眠する時間を削ってでも、エドゥアルドは働き続けていた。
ノルトハーフェン公国は、小なりといえども一国家だ。
タウゼント帝国という大きなくくりの中に存在するものではあったが、独立した多くの権限を持つ国家である以上、様々な行政組織が存在し、それぞれの部署を所管する担当者が決められている。
しかし、ノルトハーフェン公国は公爵であるエドゥアルドを頂点とする国家であり、多くの権限がエドゥアルドに集中していた。
各部署に存在している担当者たちはあくまでエドゥアルドを補佐し、エドゥアルドに代わって必要な職務を遂行しているのに過ぎず、最終的な決裁権はエドゥアルドにしかない。
だから必然的に、なにかを新しく始めたり物事を進めようとしたりすると、エドゥアルドは多忙にならざるを得なかった。
だが、エドゥアルドはその忙しさを、どうにか乗り越えることができた。
それは、エドゥアルドがようやく16歳になったばかりで体力のある若者であるということもあったが、メイドのルーシェたち使用人たちがエドゥアルドの身の回りを支え、エドゥアルドの手を政務以外のことでわずらわせたりしなかったからだった。
エドゥアルドが多くの物事を最終決定しなければならないとはいえ、1度、どのような政策を進めていくのかが決まってしまうと、エドゥアルドの仕事も少なくなった。
担当者たちに仕事が割り振られ、その職責に応じた権限をエドゥアルドが託してしまうと、その権限をはみ出すようなことが起こらない限り後は担当者たちがそれぞれの能力に応じてエドゥアルドが実施すると決めた政策を実行してくれるようになるからだ。
要は、エドゥアルドのもっとも大切で大変な仕事というのは、物事を動かす土台を作り上げることだった。
ノルトハーフェン公国を、そこに暮らす人々が豊かに安心して暮らして行けるような国家とする。
そしてその繁栄を守り、後世に伝えていくことができるようにする。
その目標のために、なにをするべきか。
それを誰に、どんな方法で実行させるのか。
そこまで具体的に決めてしまうことができれば、エドゥアルドはようやく、忙しさから解放される。
実務的な部分は、エドゥアルドが基礎さえ定めてしまえば、宰相のエーアリヒ準伯爵を筆頭とした担当者たちがうまく遂行してくれるからだ。
幸いなことに、ノルトハーフェン公国には、その実務に耐えるだけの能力を持った人材が必要数、そろっていた。
それは、エーアリヒ準伯爵が摂政としてエドゥアルドに代わってノルトハーフェン公国の政務を代行していたころから、それぞれの部署で有能な人材を登用し、然るべき地位につけてあったからだ。
その組織をまるまると活用することができるおかげで、エドゥアルドは自身の[やりたいこと]を十分に実行することができている。
(これでようやく、少しはゆっくりできるかな……)
自分にしか決められない物事を精力的に推し進め、その仕事に目途が立ち、各部署がそれぞれの仕事を軌道に乗せ始めたなという感触を得られたエドゥアルドは、たまにはまとまった休みでもとって、好きなように時間を使おうかと考え始めていた。
しかし、そんな矢先に、エドゥアルドのところに意外な知らせがもたらされた。
タウゼント帝国の西方にある強国、アルエット共和国の軍隊が数か月前に転進し、エドゥアルドたちが気づかぬ間に、共和国の南の隣国、フルゴル王国をその支配下に置いていたという、信じられないような知らせがもたらされたのだ。
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ラパン・トルチェの会戦以来、タウゼント帝国の西の隣国、アルエット共和国は、自国へと侵攻して来たバ・メール王国へと逆侵攻を行い、国境地帯の要塞を包囲下に置いていた。
バ・メール王国の国王、アンペール2世はラパン・トルチェの会戦で率いていた主力軍に壊滅的な打撃を受け、逆襲して来た共和国軍に対してなすすべもなく、ひたすら要塞に籠もる他はなかった。
その戦況は、アンペール2世にとって最悪だった。
要塞は強固で十分な武器弾薬と食料があり、海路を利用した補給線も機能してはいたものの、主力軍を失ってしまったがためにまったく兵力が足らず、そのままでは勢いに乗るアルエット共和国軍に対してまったく勝ち目がなかった。
だから、エドゥアルドは他の諸侯たちから有志を募り、バ・メール王国を救援するために義勇軍を結成して派遣していた。
バ・メール王国と共にタウゼント帝国もアルエット共和国へと侵攻し、ラパン・トルチェの会戦で大きな打撃を受けていたから、その打撃から立ち直るまではなんとかアルエット共和国を押しとどめておかなければならないと、そう考えたからだ。
義勇軍は、ノルトハーフェン公国軍から
そのおかげもあってか、勝利の余勢をかったアルエット共和国軍の攻撃にも、どうにかバ・メール王国軍は耐えていた。
海上からの補給路が機能し続けたおかげだった。
元々大陸国家であるアルエット共和国の海軍力は、小さかった。
加えて、王政を打倒するための革命戦争もあったために動乱で主要な艦船を失い、十分な海軍力を保有していなかったアルエット共和国軍は要塞への海上補給路を断つことがついにできなかったのだ。
そうして
その目標は、アルエット共和国の南側に存在するフルゴル王国という国家。
そしてアルエット共和国軍はそこで、エドゥアルドたちに気づかれない間に、大きな勝利を手にしていたのだ。
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