第292話:「新たな戦い:1」

 戦勝パーティを終え、疲れ切っていてすぐにでも休みたいはずのエドゥアルドが、わざわざフェヒターのことを引き留めて自室に招いた理由。

 まだ先のことであるはずだが、必ず訪れるタウゼント帝国の皇帝選挙で、どのような態度を取るべきなのかどうか。

 それを、話し合うためなのではないか。


「ああ……、その通りだ」


 フェヒターのその指摘を肯定すると、エドゥアルドはソファの背もたれにあずけていた上半身を起こして姿勢を正した。


「ルーシェ、すまないが、コーヒーを」


「……あっ、はい! エドゥアルドさま」


 そしてエドゥアルドがそう言うと、なぜかフェヒターのことをすっかり手玉に取っているアンネのことを感心するような、尊敬するような熱い視線で見つめていたルーシェが、パタパタと駆けて行って、すぐにコーヒーの準備を整えて戻ってくる。


 そしてルーシェが用意してくれたコーヒーを一口飲んだ後、エドゥアルドはあらためて話し始めた。


「今回の戦役で、はっきりとしたことがある。

 すでに我がタウゼント帝国の諸侯は、カール11世陛下の次の皇帝位をめぐる対立を始めているし、なんなら、その次の皇帝が誰になるのかということも、考え始めている。


 僕は、この場だからはっきりと言うが、そこまでのことは少しも考えていなかった。


 カール11世陛下の後を継ぐ皇帝が誰になるのか。

 その、皇帝を決める選挙に、僕自身がどのような態度で臨むべきなのかどうか。


 他の者に聞くよりもまず、ヨーゼフ、僕と同じ、ノルトハーフェン公爵家の血筋に連なる者としての、意見を聞いておきたいんだ」


 タウゼント帝国の皇帝は、世襲ではない。

 アルトクローネ公爵家、ズィンゲンガルテン公爵家、ヴェストヘルゼン公爵家、ノルトハーフェン公爵家、オストヴィーゼ公爵家。

 初代皇帝の血脈に連なるこの5つの公爵家の中から、選挙権を持つ諸侯の投票によって決定される。


 それは、エドゥアルドがノルトハーフェン公国で実施したような、国策を決定する議会に参加する議員を決めるような、公に開かれた選挙ではない。

 貴族同士の微妙なパワーバランスに影響された、その実施過程に様々な陰謀と思惑が渦巻くものだった。


 現在の皇帝、カール11世がアルトクローネ公国の出身だったから、次の皇帝選挙では、他の4つの公爵家のどれかが皇帝を出すこととなる。


 ズィンゲンガルテン公爵・フランツ。

 ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクト。

 ノルトハーフェン公爵・エドゥアルド。

 オストヴィーゼ公爵・ユリウス。


 この4人が、カール11世の次にタウゼント帝国の皇帝となるはずだった。


 だが、最有力と目されているのは、2人。

 フランツ公爵と、ベネディクト公爵だ。

 これは、エドゥアルドもユリウスもまだ年少で、才能はともかく経験が少ないため、壮年に達し経験と実績も豊富な年長者が皇帝位につくべきだというのが、帝国諸侯の間の[常識的な]考え方だからだ。


 これには、別の事情もある。

 というのは、あまり1人の皇帝が長く権力を握り過ぎるのはよくないと思われているからだ。


 タウゼント帝国の皇帝というのは決して絶対の存在ではなかったが、それでも、その権力は巨大なものだ。

 タウゼント帝国に暮らすものであれば誰でも皇帝にひざまずくし、皇帝の言葉は大きな重みを持って、臣民に強い影響力を発揮する。


 そんな最大の権力が長く1人の手にあると、たとえば、その地位を利用して自分に身近な者たちの利益を優先したり、自身の地位を世襲制にし、これまでのタウゼント帝国の制度をあらためてしまおうとしたりしかねない。

 そういった危惧があるから、諸侯は誰も1人の皇帝があまりにも長く在位することは望まない。


 だから、若く、余命の長い皇帝よりも、ほどほどのところで自然に代替わりが発生するような年齢の皇帝が即位することが望まれるのだ。


 そう言った点で、エドゥアルドは自分が皇帝に立候補することは考えなくても良かった。

 「いっそそうなりたい」と思う気持ちは強くあったが、しかし、エドゥアルドが皇帝選挙に名乗りを上げたところで、現状では支持してくれる者は少ない。


 新たに即位した皇帝から、(若造が小癪こしゃくな真似を)とうとまれて、不利益を被るような行為は百害あって一利もないものだった。


 エドゥアルドにとっての問題は、1つだけ。

 フランツとベネディクト、どちらの側につくかということだけだった。


「なかなか、難しいところだな」


 ルーシェのいれたコーヒーを数口飲んだ後、フェヒターは険しい表情でエドゥアルドの問いかけに答え始める。


「全体を見れば、現状は、ベネディクト公爵が優勢だ。

 ヴェーゼンシュタットの包囲戦の際に、散々、戦いを引き延ばして、ズィンゲンガルテン公国の国力を消耗させたからな。


 元々の国力という点では、フランツ公爵の方が有利だった。

 ズィンゲンガルテン公国は帝国でも温暖な地域で、農業生産力も高く、人口も多い。

 その点、ヴェストヘルゼン公国は山地が多くて……。鉱業は盛んだが、食糧生産が交易頼みだ。


 それが、サーベト帝国軍の侵攻で、すべてひっくり返された形になる。

 が……、元々の国の豊かさを考えれば、これからフランツ公爵が巻き返してくる可能性は、十分にある。


 戦災の復興さえできれば、優劣がまた逆転するかもしれない。

 そうなれば、ベネディクト公爵ではなく、フランツ公爵が皇帝に選ばれる可能性も出てくる。


 要するに、皇帝選挙が始まるタイミング次第、だな」


「そうだろうな……。一番の問題は、タイミング、だ」


 そのフェヒターの言葉に、エドゥアルドもうなずいていた。


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