第291話:「帰国:2」

 ノルトハーフェン公国にようやく帰国を果たしたエドゥアルドだったが、予想していた通り、ゆっくりしている時間など得られなかった。

 エドゥアルドが決裁しなければならない書類が山積みだったし、帰国したその数日後には、再び戦勝パーティを開かなければならなかったからだ。


 すでにエドゥアルドは帝都・トローンシュタットで、皇帝主催の戦勝パーティに参加していたが、今度行われるものはエドゥアルドが主催する戦勝パーティだった。

 カール11世がしていたように、エドゥアルドもまた、臣下たちからお祝いの言葉を受け取らなければならないのだ。


 臣下といっても、ノルトハーフェン公国に仕えている臣下たちは、皇帝に仕えている者たちに比べればそう多くはない。

 だが、その分エドゥアルドはノルトハーフェン公国の国内の有力者たちから祝辞を受けなくてはならず、皇帝よりかなり少ないとはいえ、100人近くの人間と対面しなければならなかった。


 目の回るような忙しさだった。

 戦勝パーティはもちろん大変な行事だったが、それまでの数日の間も、決裁するべき書類に目を通すので、ほとんど休む暇もない。


 ノルトハーフェン公国の国内の統治に関しては宰相のエーアリヒ準伯爵が担当し、エドゥアルドが留守の間もうまく処理してくれている。

エドゥアルドはそのエーアリヒの報告書を読み、事後承諾の形でサインをすればよい。

だが、エドゥアルドは律儀にすべての報告書に目を通したから、毎日ずっと執務室に閉じこもっていなければならなかった。


 自分が、この国家の統治者なのだ。

 そう自覚しているエドゥアルドは、エーアリヒのことを信頼していても自分が目を通すべき書類には必ず目を通すと決めている。


 公国で今、なにが起こっていて、政府としてなにをしようとしているのか。

 それくらいのことは把握していなければならないと、そうエドゥアルドは考えている。


 そういう毎日を送っていたのだから、戦勝パーティも開催されたのだが、来賓から祝辞を受け取り終えるころにはもう、エドゥアルドはくたくただった。

 戦場で、サーベト帝国軍と対峙し、タウゼント帝国の諸侯の日和見にうんざりしていた日々でも、こんなに疲れを感じたことはないというほどだった。


「エドゥアルド公爵。

 公爵の働きぶりを見ていると、オレが公爵にならなくてよかったと思えて来るな」


 戦勝パーティを終えた、その日の夜。

 ヴァイスシュネーの自身の居室のソファに深く沈み込むように腰かけ、背もたれに首をあずけて天井を見上げているエドゥアルドに、ヨーゼフ・ツー・フェヒター準男爵が真面目腐った口調でそう言った。


「ヨーゼフ。なんなら半分、肩代わりしてくれたっていいんだぞ? 」


「いやいや、丁重に遠慮させていただこう。

 なにせこれは、我がノルトハーフェン公爵殿下だけにしか務まらない仕事だからな」


 少し間延びした口調でエドゥアルドが言うと、フェヒターはニヤリ、と少し意地の悪い笑みを浮かべて、肩をすくめてみせる。


「こら、ヨーゼフさま! 公爵殿下に対して、その態度はいかがなものかと思いますよ! 」


 そんなフェヒターに、近くでひかえていたフェヒターのメイド、アンネ・シュティ大げさに怒っているような口調で言う。


「な、なんだよ、アン? これくらい、別に……」


「なーに、言ってるんですか! 公爵殿下には返しきれない御恩があるんですからね!


 あんまり態度が悪いと、この! 」


 アンネにめんどくさそうに抗議したフェヒターだったが、そんなフェヒターに、アンネはふところから1枚の書類を取り出して見せる。


「この、公爵殿下からいただいた赦免状しゃめんじょう、焼いてしまいますからね! 」


 それはかつて、エドゥアルドがフェヒターを許すという内容を記した公式文書だった。

 公爵家に連なる血筋のフェヒターは以前、エドゥアルドと対立関係にあり、その対立関係を水に流したということを示すものだ。


 これがあるからこそ、本来であれば罪人であるはずのフェヒターが大手を振って出歩くことができるし、公の場で働くことができているのだ。


「ま、ま、ま、まぁ、待て。

 落ち着け、話せばわかる。なっ!? 」


 エドゥアルドからの赦免状しゃめんじょうを、暖かそうに燃え盛っている暖炉の炎へと持って行こうとするアンネを、フェヒターが慌てたように引き留める。

 するとアンネはくるりとフェヒターの方を振り返り、「た・い・ど」と、声には出さず口を動かすだけのジェスチャーでフェヒターに示して見せる。


 するとフェヒターは、渋い顔で少しだけ考え込む。

 それから、まだソファの上でのびているエドゥアルドの方を振り返ると、「エドゥアルド公爵殿下、大変お疲れ様でございます。不肖の臣、ヨーゼフ・ツー・フェヒターは、これからもエドゥアルド公爵に誠心誠意、お仕えして参る所存でございますので、先ほどのご無礼は、なにとぞお許しを……」と言って、深々と頭を下げた。


「うむ、よろしい! 」


 その姿に満足したように、アンネは赦免状しゃめんじょうをまた彼女のふところへとしまいこむ。


 その2人のやりとりに、エドゥアルドは思わず、笑ってしまっていた。


 赦免状しゃめんじょうを発行した時、エドゥアルドはそれをフェヒターではなくアンネに手渡したのだが、それ以来、アンネはその赦免状しゃめんじょうを自分で確保してしまっており、なにかとそれをダシに使っている。

 おかげでフェヒターはアンネにはすっかり、頭があがらないのだ。


「フェヒター、ずいぶん、メイドに恵まれているじゃないか」


「なんなら、お前のところのメイドと交換してくれてもいいんだぞ? ……っと、おい、待て待て、早まるな、アン! 今のは冗談だって! 」


 からかうような口調で言ったエドゥアルドにフェヒターも冗談めかして答えたのだが、その言葉を聞くや否や、アンネは本気で怒ったようなハイライトの消えた瞳でまた懐から赦免状しゃめんじょうを取り出し、暖炉へと持って行こうとする。

 それをフェヒターが必死に止めると、アンネはハイライトの消えた瞳のままでフェヒターのことを見すえ、「もう、ご冗談もほどほどにしてくださいませ♪ 」と言って、ひとまずは赦免状しゃめんじょうをそのふところにしまい込んでくれた。


 そのアンネの様子にほっと一息ついたフェヒターは、エドゥアルドの方を振り返ると、今度は真面目な表情を見せている。


「それで、エドゥアルド公爵。どうするつもりなんだ? 」


「どうする、とは? 」


「次の、皇帝選挙。

 その皇帝選挙で、どういった態度をとるか、ということだ。


 その話をするために、オレを引き留めたんじゃないのか? 」

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