第289話:「手紙」

 この場に留まって欲しい。

 そうヴィルヘルムから言われたシャルロッテは、内心複雑な気持ちで、憮然ぶぜんとした表情をしていた。


 いくら皇帝の意向とはいえ、エドゥアルドに内密にこんなやりとりをしていては、将来、そのことが少しでもエドゥアルドにれれば、ヴィルヘルムは疑われることになる。

 エドゥアルドのヴィルヘルムへの信頼が少しも損なわれなかったとしても、少なくとも、なんらかの形で調査は行わなければならないだろう。


 そんな事態が生じた時に、シャルロッテなら証人としてふさわしい。

 そうヴィルヘルムから評価され、信用されていることは、少なからずシャルロッテにとっては嬉しいことだ。


(ですが、なぜ私が、あなたの擁護ようごをしなければならないのです? )


 得体の知れない人物で、シャルロッテはヴィルヘルムのことを完全には信用していないのに。

 シャルロッテがそんなふうに思っていることをヴィルヘルムは気づいているはずなのに、それでもヴィルヘルムはシャルロッテに秘密を共有するという役割を任せようとしている。


 状況的には、仕方のないことだ。

 シャルロッテは今日、真夜中に、侍従長が人目を忍んでヴィルヘルムをたずねてきたという事実を、すでに知っている。

 人払いが必要だと言ってシャルロッテをこの場から追い払ってしまっても、シャルロッテは今日、ここで密談が行われたということを、すでに知ってしまっているのだ。


 しかも、エドゥアルドには内密で、というのも知ってしまった。


 うかつ、と言わざるを得ない。

 皇帝、カール11世にとって侍従長はもっとも身近な人物であり、全身全霊の信頼をおける人物なのだろうが、こういった謀略ぼうりゃくめいた行動に関してはまったく経験がなく、配慮も足りていない。


 もっとも、だからと言って専門の技能を持った誰かを雇って忍び込ませようとされても、困ってしまうのだが。


 そういった状況から言えば、ヴィルヘルムがシャルロッテをこの場に同席させ、自分になんの陰謀もないことの証人としようというのは、合理的な判断だった。


 シャルロッテはヴィルヘルムに(なんで私が、あなたの証人なんかに……)と、あらためて不満そうな冷ややかな視線を向けた後、居住まいを正してすました態度をとる。

 その態度だけで、シャルロッテは自分がヴィルヘルムの証人になるということを、しぶしぶとだが了承したということを示していた。


「それで、皇帝陛下からのご用件なのですが……、コレを、プロフェート殿にお渡しせよと、申しつかっておりまして」


 エドゥアルドにも内密に、という話なのだから、その詳細を知らされていなくとも、素早く済ませてしまうことに越したことはない。

 そう決心がついたのか、侍従長はその額に緊張からか冷や汗を浮かべながら、そのふところに大切に抱くようにしてここまで運んできたものを取り出し、テーブルの上に置いた。


 それは、手紙だった。

 2通、ある。


 厚手のしっかりとした紙でできた封筒に包まれたその手紙の内容は、外から見ただけでは少しもわからない。

 どちらの手紙も封蝋ふうろうでしっかりと閉じられており、タウゼント帝国の皇帝が用いる玉璽によって、封蝋ふうろうの上からしっかりと押されている。


「これは……、内容を、拝見しても? 」


 侍従長がテーブルの上に差し出して来た、皇帝・カール11世からの2通の手紙をしばし見つめた後、ヴィルヘルムはその手紙に手をふれることもしないまま、侍従長にそうたずねる。

 すると、侍従長は首を左右に振った。


「いえ、この場でこの手紙の封印を解くことは、陛下より固く禁じられております。


 わたくしも、その内容については少しもお教えいただいておりませぬ。

 ただ、陛下はこれを密かに、プロフェート殿にお渡しするようにとだけ、わたくしにお命じになりました」


「つまり、後でわたくしだけがこっそりと、この手紙を拝読すればよろしいのでしょうか? 」


「それも、違います。

 陛下は、こうおおせでございました。


 この手紙を、プロフェート殿に渡すように。

 誰にも知られず、エドゥアルド公爵にも知られずに、密かに。


 内容は、決して見てはならぬ。

 プロフェート殿にも、そのように伝えよ。


 この手紙の封印を破るべきその[時]がくれば、必ず、その時が来たとわかるであろう。

 それまで決して封印を解くことなく、大切に預かって欲しい。


 そのように、うかがっておる次第でして」


 その侍従長の言葉にヴィルヘルムは無言になって、テーブルの上に置かれた2通の手紙を見つめた。


 シャルロッテも、無言のまま、思わず皇帝からの手紙を見つめてしまう。


(いったい、どんな内容が……)


 皇帝、カール11世は、この手紙にいったいどんなことを書いたのか。

 そして、この手紙を開くべき[時]とは、いったい、どのような時のことを言うのか。


 この場にいたのが誰であっても、強い好奇心をかき立てられることだろう。


「わかりました。


 皇帝陛下からの、この、2通のお手紙。

 僭越せんえつながら、このヴィルヘルム・プロフェートが、陛下がおっしゃるその[時]が参りますまで、お預かりさせていただきます」


 しばしの間注目を集めていた手紙だったが、やがてヴィルヘルムはそう言うと、その手紙を自身のふところへとしまい込んでしまう。


 それからヴィルヘルムは、いつも通りの柔和な笑みを浮かべながら、シャルロッテの方を振り向く。


「シャルロッテ殿。申し訳ありませんが、このお手紙を保管しておける、鍵のかけられるような小箱はございませんでしょうか? 」


「……すぐに、ご用意いたしましょう」


 手紙の内容は気になって仕方がなかったが、しかし、皇帝が[時]が来るまで見てはならないと命じているのだから、それは守らなければならない。

 シャルロッテはヴィルヘルムの要望にうなずくと、すぐに気持ちを切り替え、(確か、ちょうど良いものがございましたね……)と心当たりを思い出していた。


※作者より

 どんな内容の手紙かは、当分ヒミツです。

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