第288話:「夜中の来客:3」

 シャルロッテが手伝ってやったことにより、ヴィルヘルムの身だしなみはものの数分で整えられた。


「さて、どうでしょうか? 」


「よろしいのではないですか」


 ヴィルヘルムは少しおどけたような様子で両手を広げて見せたが、シャルロッテはツン、と突き放すような態度で、淡々と答えるだけだ。

 そんなシャルロッテの様子にヴィルヘルムは少しがっかりしたようにうつむいたが、すぐに顔をあげた。


「それでは、ご案内いただけるでしょうか? 」


「もちろんです。……侍従長様は、応接室にてお待ちいただいております」


 あまりおどけているような時間があるわけではない。

 シャルロッテはうなずくと、すぐにヴィルヘルムを案内して歩き始める。


 エドゥアルドたちが宿泊所として借り受けているホテルは、上流階級向けのもので、内装も充実していたが、それは設備も同じことだった。

 地位のある者たちはよく同様の立場にある者たちと会って話をすることが多く、そのための応接室がホテルの一画に用意されている。


 それは、特に防音などがしっかりと対策されている場所だ。

 それなりに地位のある者同士で行われる[会話]というものは、時として秘密にされておくべき内容が含まれていることがあり、そういった[会話]のために、しっかりと防音のされた応接室が用意されているのだ。


 特別に壁が厚く作られているというだけではなく、壁の中の構造も工夫されていて、部屋の中で発せられる音が吸収され、外にれないようになっている。

 たとえ大声で歌ったり、楽器を演奏したりしても、外に話し声が漏(も)れてくるようなことはないだろう。


 シャルロッテがヴィルヘルムを案内してその防音された応接室へと戻ってくると、その中には、シャルロッテが案内した時とほとんど同じ姿勢のまま、カール11世の侍従長がソファに腰かけて待っていた。


「お待たせいたしました、侍従長殿」


「ああ、このような夜更けに、よくぞおいで下さいました」


 部屋に入り、侍従長に対面したヴィルヘルムがそう言って頭を下げると、侍従長はソファから立ち上がって、ヴィルヘルムに向かってうやうやしく頭を下げる。


(……おかしい、ですね? )


 その様子を見て、シャルロッテは不思議そうな顔で柳眉りゅうびをひそめる。


 別に、2人のやりとりはさほど不自然なものではない。

 お互いに起立し、あいさつし、頭を下げる。

 対等な立場のやりとりだ。


 しかし、皇帝の侍従長と言えば、それなりの立場にいる人間だった。

 皇帝の最側近としてその身辺にある侍従長は、もっとも皇帝と親しい人物といってよく、専制君主によって統治される体制が築かれているタウゼント帝国においては高い地位にいると言える。

 しかも侍従長は貴族の出身であり、爵位を持ったれっきとした貴族なのだ。


 それに対し、ヴィルヘルムは無位無官の、得体の知れない人物でしかない。

 彼はシャルロッテが手をつくしても素性を割り出すことのできない存在であり、その能力をエドゥアルドから頼りにされ、信用されているからノルトハーフェン公国の中枢でその力量を発揮できているのであって、その立場にはなんの根拠もない。


 いくら夜分にたずねて来たからといって、侍従長がヴィルヘルムに見せた態度は少し丁重すぎるもののようにシャルロッテには思われた。


「それでは、夜も遅いことですし、おそらくは速く済ませた方がよいご用件でしょうから、さっそくご用件をお教えください」


 ヴィルヘルムは、侍従長が黒を基調とした服装で、まるで夜の闇にまぎれようとするかのような恰好でこの場にいることから、彼がお忍びでこの場にやってきているということを察したのだろう。

 侍従長の対面のソファに腰かけながら、ヴィルヘルムはそう言って用件をきりだしやすいようにする。


「はぁ、しかし……」


 だが侍従長は、ソファに腰かけながら言いよどむ。

 そしてほんの一瞬だけ、ちらり、とシャルロッテの方へ視線を向けた。


わたくしは、外でひかえております」


 その侍従長の様子で(人払いが必要なのですね)と理解したシャルロッテは、自分の知らないところでヴィルヘルムの秘密がまた増えることに不満ではあったが、即座に部屋から出て行こうとする。


「いえ、お待ちください」


 しかしそんなシャルロッテを、ヴィルヘルムが引き留めた。


「侍従長殿。


 こちらのメイド、シャルロッテ殿は、エドゥアルド公爵殿下に長く、忠実に仕えて参りました方で、エドゥアルド公爵はもちろん、わたくしも深く信頼しているお人です。

 ここで侍従長殿がどのようなお話をされましても、彼女の口から他にれることはございません」


「いえ、それが……。


 わたくしがここに参りましたことは、エドゥアルド公爵にも、内密にしていただかなければならないことなのです」


 ヴィルヘルムの説明を受けてうなずいた侍従長だったが、しかし、彼は申し訳なさそうな顔をしてそう言った。


「エドゥアルド公爵にも、内密にせねばならぬことなのですか? 」


 ヴィルヘルムは少し驚いたような声でそう言った後、シャルロッテの方を振り返り、少しなにかを考えるような顔をする。


「いえ、侍従長殿、それは、困ります」


 やがてシャルロッテから視線を侍従長へと戻したヴィルヘルムは、少し身を乗り出しながら侍従長にそう言った。


わたくしは、エドゥアルド公爵の臣でございます。

 それ以上でも、それ以下でもない者なのです。


 そんなわたくしが、エドゥアルド公爵に対して秘密を持つ。

 それは、疑いを持たれてもおかしくないことなのです。


 どうぞ、シャルロッテ殿の同席を、許してはいただけないでしょうか?

 彼女はおそらく、秘密を守ってくださいますし、もし将来、わたくしにこの一件で疑いの目が向けられた時に、確かな証人となってくださるでしょう」


 その言葉に、侍従長は困ったような顔をする。

 いつも仮面のように柔和な笑みを浮かべているヴィルヘルムとは異なり、自分の感情を隠すということができないのだろう。


「わかりました。

 どうせ、わたくしも詳しい内容は存じ上げないのですから」


 やがて侍従長は小さく吐息を吐き出すと、ヴィルヘルムの危惧に納得したのか、そう言ってうなずいていた。

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