第287話:「夜中の来客:2」

 シャルロッテは憮然ぶぜんとした表情でヴィルヘルムの部屋の前に立った。


 クセで、自然とシャルロッテはヴィルヘルムの部屋の気配をうかがう。


 部屋の中は、静かだった。

 厚いローズウッドで作られた重厚な扉は防音性も高く、しっかりと閉じられているから、部屋の中の音がれて来ないのは当然だった。


(ばからしい……)


 クセとはいえ、ついつい警戒してしまうことにシャルロッテは自嘲するようなため息を漏らす。


 正体不明とはいえ、少なくとも今のヴィルヘルムは味方なのだ。

 戦場でエドゥアルドをかばって負傷するほどの人間がエドゥアルドに害意を持っているはずがないと、シャルロッテもそう思っている。


 シャルロッテは扉が防音性に優れていようとおかまいなく部屋の中の様子を探る方法にいくつか心得があったが、わざわざそんなことをする必要もないと考え、ドアノッカーに手をのばした。


 エドゥアルドたちが宿舎として借りているこの建物の扉はみな、ヴィルヘルムの部屋と同じように防音性が優れた構造になっている。

 だからドアノッカーを叩いたところでその音が聞こえるのは叩かれた扉の部屋のだけなので、シャルロッテはなんの遠慮もなく少し強めにノックした。

 音が聞こえる範囲の廊下に自分以外の人間がいないことは、シャルロッテはすでに確認済みだ。


 ノックで返答がなくとも、シャルロッテは自身がホテルから借り受けて管理している鍵束を使って、無理やりにでも部屋の中に入るつもりだった。


 なにしろ、事前のアポイントメントもなしに夜中にやって来た来客は、皇帝、カール11世の侍従長なのだ。

 しかもどうやら人目を忍んでやってきている様子で、シャルロッテでなくともそれがただならぬ用件であろうと勘づくだろう。


(応対したのが、自分でよかった)


 呑み込みが早いものの、いまだにドジっ子属性が抜けきらないルーシェが応対していたら、きっとあたふたとしてしまい、しかも大騒ぎをしてしまっていただろう。

 自分が番をしている時に来てくれてよかったと少しほっとしながら、シャルロッテは少しヴィルヘルムの反応を待つ。


 侍従長は人目を忍んでやってきている様子だったが、こういったことには不慣れな様子でもあった。

 慣れていれば、わざわざシャルロッテを介してヴィルヘルムを呼びつけるような、[目撃者]を増やすような方法はとらないだろう。


 数秒、静かに待ってみたが、部屋の中からはなんの反応も返ってこなかった。


(もう1度ノックしてみて、それでも気づかなければ、鍵を使わせていただきましょう)


 ヴィルヘルムの部屋の扉が開き、その部屋の主がいつもの柔和な笑みを浮かべながら顔を出してきたのは、シャルロッテがそう考えつつもう1度ノックをしようとドアノッカーに手をのばしかけた時のことだった。


「おや? シャルロッテさん。

 このようなお時間に、どういったご用件でしょうか? 」


 ヴィルヘルムはシャルロッテの姿を見ると、口調だけは驚いたようにそう言った。


「夜分遅くに、お休みのところを申し訳ございません」


 シャルロッテは、ヴィルヘルムが出てきたことに内心で驚きながらも、平然とした様子を見せながらそう言って軽く頭を下げる。


「いえ、どうぞ、お気になさらず。

 どうせ、この時間でも起きていましたから。


 皇帝陛下のご厚情ですっかり休ませていただいて、かえって眠れなかったので読書をしていたのです」


 そんなシャルロッテにヴィルヘルムはそう言うと、手に持ったままの本を示して見せる。

 どうやら政治哲学に関する書籍のようだった。


「それで、どういったご用件でしょう? 緊急のことでしょうか? 」


「緊急と言えば、緊急の用件でございます」


「でしたら、すぐにうかがいましょう」


 ヴィルヘルムはシャルロッテの言葉にうなずくと、すぐに部屋を出ようとする。

 今のヴィルヘルムは休む時のラフな格好で、首元のボタンも2つほど外されているようなリラックスした状態だったが、緊急事態だということならこの格好のままで行こうと考えた様子だ。

 緊急の用件でエドゥアルドたちに会うのなら、多少身だしなみが乱れていようとかまわないと思ったのだろう。


(時は金なり、と申しますが……)


 シャルロッテは、ヴィルヘルムのその態度に、鋭く双眸そうぼうを細める。


 エドゥアルドたちに必要とされているのなら、とにかく1秒でも早く駆けつける。

 とにかくそこにいて、エドゥアルドの役に立つ。


 肉体よりも頭脳でエドゥアルドに貢献するヴィルヘルムの考えは、それでいいとシャルロッテは思っている。

 ヴィルヘルムの必要な部分は、言ってみれば首から上だけで、身だしなみなどはどうでもいいのだ。


「お待ちください」


 しかしシャルロッテは、涼やかな声でそう言うとヴィルヘルムを制止していた。

 なぜなら、ヴィルヘルムを呼び出しているのはエドゥアルドではなく、タウゼント帝国の皇帝・カール11世の侍従長だからだ。


「お召し物を整えられてから行かれるのがよろしいかと思います。


 ヴィルヘルム様をお呼びに参りましたのは、急な来客があったためなのです」


「来客?


 こんな時間に、私(わたくし)に? 」


「はい。


 おいでになっているのは、皇帝陛下の侍従長様なのです」


 怪訝けげんそうに首をかしげていたヴィルヘルムだったが、そのシャルロッテの説明ですぐにうなずいていた。


「でしたら、すぐに着替えて参ります」


 そしてヴィルヘルムは、急いで身だしなみを整えるために部屋の中へと戻って行く。


「……お手伝いさせていただきます」


 そしてその後を、一瞬だけ「納得いかない」というような憮然ぶぜんとした表情を見せたあと、すぐに公爵家のメイドとしてのすました態度をとったシャルロッテが静かに追いかけ、ヴィルヘルムの部屋の中へとその姿を消した。

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