第275話:「解放」

 ほどなくして、エドゥアルドたちはようやく包囲を解かれたズィンゲンガルテン公爵・フランツをともない、タウゼント帝国の陣営へと帰還した。


 その帰還は、皇帝、カール11世のみならず、この戦役に従軍していたタウゼント帝国の諸侯すべてによって、出迎えられた。


 皇帝が直接、出迎える。

 それは、大変な栄誉のあることだ。


 だが、エドゥアルドたちはそれだけのことをしたのだ。

 たとえそれが命令違反の抜け駆けであろうと、エドゥアルドたちは称賛に値するだけの勝利を勝ち得た。


 そしてそれは、カール11世にとっても、貴重な勝利だった。

 なぜなら、エドゥアルドたちがもたらしたこの勝利はカール11世にとって、彼が関わった戦争で初めて手にした勝利だったからだ。


 同時にこの勝利は、カール11世にとっては、雪辱を果たした瞬間でもあった。

 カール11世はかつて、その治世において初めて主体的に起こした戦争において、サーベト帝国を相手に戦って手ひどい敗北を受けているからだ。


(考えてみれば、僕は、父上の仇(かたき)を討ったことにもなるのか……)


 エドゥアルドは、ひざまずいた自身の手を自ら取って、喜びをあらわにしている皇帝の姿を見つめながら、今まで頭の中になかったその事実に気がついていた。


 エドゥアルドの父親、前代のノルトハーフェン公爵は、カール11世が起こしたサーベト帝国との戦争で、命を落としたのだ。


 そのおかげで、エドゥアルドは様々な困難に直面することとなった。

 実権なき公爵として幽閉同然の境遇(きょうぐう)におかれ、簒奪(さんだつ)の陰謀にほとんど味方もないまま立ち向かい、命の危機にさえ遭遇(そうぐう)することとなった。


 考えてみれば、エドゥアルドがそのような困難な経緯をたどって来なければならなかったのは、目の前にいる皇帝、カール11世が、軍を起こしたからなのだ。


 カール11世は、エドゥアルドに好意をよせている。

 それは、エドゥアルドが若く有能な公爵として頭角を現しつつあるというだけではなく、カール11世自身が起こした戦争によってエドゥアルドから父親を奪い、辛く苦しい経験をさせたことに対する、罪悪感によるものなのだろう。


 そのことを考えると、エドゥアルドは、カール11世のことを好きにはなれない自分がいることに気づく。


 凡庸と、カール11世自身がそう認めている皇帝。

 その皇帝がかつて、歴史に名が残るようななにかしらの事績を残そうと起こした、無意味な戦争によってエドゥアルドは父親を奪われ、多くの人々が傷ついたのだ。


 だが、どうしても憎めない人だとも思う。

 カール11世は、自分は凡庸だと自覚していて、その才覚と能力に見合った統治を心掛け、自身の治世に形のある事績を残すという目的で戦争を起こしたこと以外は、取り立てて目立った失政はない。

 その治世は彩にかけるが、しかし、暗君ではないと証明できるものなのだ。


 そしてなにより、エドゥアルドたちの勝利を、自分の経歴に初めて勝利をもたらしてくれたということ以上に、ヴェーゼンシュタットの民衆を救ったということで、喜んでいる。


 カール11世は、本当は、もっと早くにサーベト帝国に総攻撃をしかけ、ヴェーゼンシュタットの籠城軍を救出したかったのだろう。

 しかしそれは、ベネディクト公爵と、その思惑に配慮した諸侯の反対によって、実行できなかった。


 タウゼント帝国では、貴族たちの合議によって物事が決まる。

 皇帝という最大の権力者であろうとも、諸侯の意向を無視はできない。


 カール11世も、本心ではヴェーゼンシュタットの民衆を救いたがっていたのだろう。

 ならばもっと早く軍を動かすように皇帝の口から命じて欲しかったという気持ちはあるものの、自分たちと同じ思いをいだいていたことがわかると、エドゥアルドはどうしても、カール11世のことを嫌いにはなれなかった。


 他の、諸侯たち。

 特に、ベネディクトとフランツの態度を見ていると、本当にそう思う。


 ベネディクトは、表面的にはエドゥアルドたちの勝利を称えてはいた。

 カール11世がエドゥアルドたちの勝利を称賛しているのだから、その臣下であるベネディクトがそれに同調するのは当然のことだ。


 だが、一瞬だけ見せたいまいましそうな表情を、エドゥアルドは見逃さなかった。


 この戦役を好機として、次期皇帝選挙で自分のライバルとなるフランツを排除してしまおう。

 そのベネディクトの目論見は、エドゥアルドたちが抜け駆けし、しかも歴史的な大勝利を得たことで、台無しになったからだ。


 そしてフランツは、ベネディクトがそういった目論見で動いていたことに、気づいている様子だった。

 サーベト帝国軍に包囲されていたフランツは、その間、外部との連絡を大きく制限されており、情勢についてあまり詳しくはないはずだったが、エドゥアルドたちが突破補給を実現した際などに断片的な情報は伝わっている。


 限られた情報からでも、フランツは容易に、この現状をもたらしている黒幕がベネディクトであることを察することができただろう。

 そういった政治的なセンスは、フランツ公爵は鋭いものを持っている。


 今も、ベネディクトとフランツはにこやかに握手しているが、その笑顔の裏で、激しい対立が渦巻いていることを周囲の諸侯は敏感に察知し、戦々恐々としている。


 どちらにつくのが、自分にとって最良なのか。

 諸侯たちの意識は、戦災によって荒廃したズィンゲンガルテン公国をはじめ、タウゼント帝国南部の諸侯の領地をどうやって復興し、その民衆を労わるかではなく、貴族同士の政争へと向けられている。


(民衆は、貴族の道具ではない)


 若いエドゥアルドは、そんな貴族たちの姿を見ていると、強い嫌悪感しか覚えない。


 これからも、貴族たちが自身に与えられた特権を当然のもののように考える限り、民衆は二の次にされ続けるだろう。


 そんな国家には、したくない。

 エドゥアルドは内心でそう思いつつも、表面的には笑顔をとりつくろい、同じく笑顔を仮面のように張りつけ、内心では様々な思惑をうず巻かせている諸侯からの、うわべだけの賞賛を愛想よく受け取っていく。


 エドゥアルドもまた、現状では、タウゼント帝国の諸侯の1人に過ぎないのだ。

 関わりたくないと心の底からそう思いつつも、エドゥアルドも結局、諸侯の思惑とは無縁ではいらえない。


 だが、とにかく、ヴェ―ゼンシュタットは解放された。

 それは間違いなく、意義のある勝利だった。

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