第274話:「勝利の影で」

 ヴェーゼンシュタットを包囲していた、20万ものサーベト帝国軍。

 その大軍は、一夜にして消え去っていた。


 その勝利をもたらしたのは、5万にも満たない軍勢。

 ノルトハーフェン公国軍、オストヴィーゼ公国軍、そしてオルリック王国軍。

 敵軍に対する追撃戦を終え、再集結を果たし、軍旗を誇らしげに抱えて帰還したその軍勢を、ヴェーゼンシュタットの人々は惜しみない歓呼の声で出迎えていた。


 それは、偉大な勝利の瞬間だった。

 おそらくは名のある画家がその絵の題材にしたいと願うような、それほどの勝利。


 その勝利の栄光を受けるエドゥアルドたちの姿は、すでに絵画のようだった。


 地平線から朝日が昇る。

 その陽光の中で、有翼重騎兵(フサリア)の鎧と翼が光り輝き、昨晩から吹き続けている風をはらんだ軍規が、朝焼けの空にひるがえっている。


 繊細な色づかいで緻密(ちみつ)に描かれた、巨大な一枚の絵画のように。

 その勝利の瞬間は、永遠に輝き続けるだろうと、それを見る者に確信させる。


 だが、その勝利という絵画の下地には、凄惨な現実が用いられている。


戦いの後に残されているのは、消火する者を失って燃え続ける炎と、無数の死傷者たちだけ。

 命を失い、動かなくなった戦死者たちの間で、半死半生のまま戦場に置き去りにされた兵士たちが、苦しそうにうめき声をあげている。


 エドゥアルドたちの勝利は、ヴェーゼンシュタットの民衆を救うためのものだった。

 それは間違いなく、称えられるべきことだ。


 だが、その裏では、無数の人々が傷つき、命を失っている。


(これが、戦争……)


 前線のすぐ後方に設置された包帯所で負傷兵たちを懸命に手当てしていたルーシェは、次々と運び込まれてくる負傷兵たちの姿を横目にしながら、心の中がうすら寒くなるような感覚を覚えていた。


 それが必要なことであったのだと、ルーシェはよく理解している。

 そしてルーシェ自身、エドゥアルドたちの勝利を、心の底から、もしもその願いが叶うのなら自分などどうなってもかまわないと思えるほどに祈っていたのだ。


 だが、勝利の影で生まれる、無数の犠牲。

 戦争という事象が含有(がんゆう)する悲惨さを目にすると、怖くなる。


「ありがとう」


 ルーシェが手当てした兵士たちは、みんな、そう言ってお礼を伝えてくれる。

 その瞬間、ルーシェは自分が役に立てたことを、兵士たちの命を救えたことを、心の底から嬉しいと感じる。


 だが、すぐに次の負傷兵の手当てに向かわねばならず、治療しなければならない兵士の傷口を見るたびに、ルーシェの気分は暗く沈み込む。


 幸いなことに、ルーシェがこの世界で一番無事を願っていたエドゥアルドは、無事だった。

 今、エドゥアルドは共に戦った将兵と共に勝利を喜び、その栄光の中で、朝日を浴びて輝くような笑顔を浮かべている。


 本当によかったと、ルーシェはそう思っている。

 エドゥアルドが無事であったことも、エドゥアルドが勝利を納めたことも、それによってヴェーゼンシュタットの民衆が救われたことも。


 すべて、ルーシェが願った通りになってくれた。


 だが、それでもやはり、負傷した兵士たちの姿を見ると、心が痛むのだ。


 大きな喜びと、相反するような鋭い痛み。

 ルーシェは胸の苦しさを覚えつつも、懸命に兵士たちの手当てを続ける。


 包帯所には、エドゥアルドをかばったことで負傷したヴィルヘルムも運び込まれていた。

 そのヴィルヘルムの手当ては今、ルーシェの先輩メイドのシャルロッテが行っている。


 血で汚れた包帯を洗い場へと運び、新しい清潔な包帯を受け取るために立ち上がったルーシェがちらりと横目でヴィルヘルムが運び込まれた天幕の中をのぞくと、ちょうど、シャルロッテが包帯を巻いてやっているところだった。


 ヴィルヘルムは、いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべながら。

 シャルロッテはやや憮然(ぶぜん)とした様子で、くるくると包帯を巻いている。


 だが、突然、ヴィルヘルムが小さく悲鳴をあげ、顔をしかめた。

 どうやらシャルロッテが少し強く包帯を巻いたせいらしい。


「その……、もっと優しく、包帯を巻いてはいただけませんか? 」


 さすがに痛かったのか額に冷や汗を浮かべながらヴィルヘルムがそう要望すると、シャルロッテはツンとした態度でそっけなく答える。


「申し訳もございません。


 ただ、あなたのその表情を拝見しておりましたら、イラッといたしまして」


 いつものように、丁寧な口調。

 しかしシャルロッテは少しも悪いなどとは思っていなさそうだったし、悪いのはヴィルヘルムだ、とでも言いたそうな様子で、包帯を結んでいる。


 そのシャルロッテの冷たい態度に、ヴィルヘルムは苦笑し、その様子を見ていたルーシェも小さく微笑んで見せる。


 そのシャルロッテの態度が、彼女なりにヴィルヘルムのことを心配していたのだという意思表明だと、2人とも理解しているからだ。


 一瞬微笑ましいような気持になったルーシェだったが、すぐに、負傷兵たちのうめき声で我に返る。


(エドゥアルドさま……)


 そして再び足早に歩き始めたルーシェは、少しでも早くエドゥアルドの無事を直接確かめたいと、そんな思いをいだいていた。

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