第269話:「抜け駆け:2」

 ノルトハーフェン公国の陣営を他の将兵と共に出発したエドゥアルドが、事前に決められていた合流地点へと到着すると、そこにはすでにアリツィア王女とユリウス公爵の姿があった。


「やぁ、来てくれたんだね、エドゥアルド公爵」


 そう言ってエドゥアルドのことを出迎えたアリツィア王女の表情は、見えない。

 なぜなら彼女は全身を鈍色に輝く甲冑に身を包んでおり、その顔も、面頬によっておおわれているからだった。


 エドゥアルドは馬上にいるアリツィアとユリウスに自身の馬を並べながら、少し肩をすくめてみせる。


 周囲には兵士たちがかかげる火のついた松明がいくつもあるから、夜間ではあっても十分にお互いの様子は見て取れる。

 アリツィアが身に着けた鎧は、松明の火を反射して鈍く輝き、その背中の翼と合わせて、美しかった。


「僕が、途中で翻意(ほんい)するとでも、お思いでしたか? 」


「まさか」


 エドゥアルドがそうたずねると、アリツィアは笑ったようだった。


「ただ、キミの場合、すごく心配している子がいるだろうからね。

 同じ女性の私が言うのもなんだけれど、女の子の涙っていうのは、時に思いがけない魔力を発揮するからね」


「アイツなら今頃、僕たちの勝利と生還を、熱心に祈ってくれていますよ」


 エドゥアルドはアリツィアが自分をからかっているのだということに気づき、そう言って軽く受け流す。


「そうか、それは、心強いね」


 アリツィアは、出撃前の緊張をほぐそうとでも思っていたのだろう。

 エドゥアルドがさほど緊張していない様子を見て取ると、そう言ってうなずき、すぐに顔を戦場の方向へと向けた。


 エドゥアルドたちはこの攻勢発起点に兵力を集中するのに当たり、大々的に松明を使って、堂々と移動してきていた。

 しかし、これほど目立つ行動であるにもかかわらず、サーベト帝国軍には動きは見られない。


 これまでの陽動が効いているのだ。

 エドゥアルドたちは、昼は散発的に砲撃を加え、夜間に移動するということをくり返し、そしてその際にやはり松明を使って堂々と移動をしていた。

 だからサーベト帝国軍は、このエドゥアルドたちの行動も、また砲兵を夜間移動させているだけだろうと思い込んでいるようだった。


 それは、他のタウゼント帝国の諸侯も同様であるようだった。

 彼らはエドゥアルドたちの行動が、サーベト帝国軍に対する嫌がらせであり、軍議の席で積極的にサーベト帝国軍を攻撃することがなかなか許可されないということに対する不満の、ガス抜きだろうと思っている。

 だから誰もがみな、エドゥアルドたちの行動を抜け駆けとは思わず、それぞれの野営地で安眠をむさぼっているのだ。


(ヴェーゼンシュタットの民衆は、きっと、眠れぬ夜を過ごしているだろうに)


 エドゥアルドはそのことを思うと、手綱を握る手に力をこめずにはいられなかった。


 ヴェーゼンシュタットに補給することはできたが、それは、わずかに陥落までの期間を延長できただけに過ぎない。

 フェヒター準男爵がノルトハーフェン公国に連なる者として共に籠城した効果もあり、人々は必ず救援されると信じてはいるが、その内心は、見捨てられるのではないか、もうすぐ食料が尽きるのではないかと、不安に思っているのに違いなかった。


 毎日の食事を切りつめ、周囲の地域から避難して来た避難民たちと一緒に、ぎゅうぎゅう詰めになって眠る日々。

 人々は城壁の外から聞こえる物音に驚き、サーベト帝国軍が威嚇(いかく)するように放つ大砲の砲声におののき、不安に震える。

 そんな日々に、人々は疲れ切り、希望を失いかけている。


 そんな人々を、救う。


(それが、僕の役割……、僕が、やりたいことだ)


 エドゥアルドは小さく深呼吸をすると、手綱を握る力を少し緩める。


 これから、エドゥアルドの命令によって多くの兵士が傷つき、命を落とすこととなる。

 その責任の重大さ、罪深さを痛いほどに自覚しつつも、エドゥアルドは自分のやるべきことを思い出すと、落ち着きを取り戻すことができていた。


「公爵殿下。

 我が軍の配置、完了いたしました」


 エドゥアルドたちが静かに待っていると、アントンがやってきて、エドゥアルドに短い言葉でそう報告をする。


「アリツィア王女。

 僕の軍も、準備完了した」


「こちらも、すでに用意できています」


 その報告を聞いたエドゥアルドがアリツィア王女に言うと、ユリウスもそれに続いて報告をあげる。


「わかった。


 それじゃぁ、始めようか」


 すると、アリツィア王女はエドゥアルドとユリウスにそう言うと、ゆっくりと馬をすすめて前に出た。


 この奇襲作戦を言い出したのは、アリツィア王女だ。

 それだけではなく、参加する軍隊の内で、もっとも多くを率いているのもアリツィア王女だったし、先鋒としてサーベト帝国軍の弱点を突き、その本営へと突き進むという重要で危険な役割を果たさなければならないのも、アリツィア王女だ。


 だから、この奇襲作戦を決行する合図を下す権利を、エドゥアルドもユリウスもアリツィアにゆずったのだ。


 ゆっくりと馬をすすめ、全軍の先頭に立ったアリツィアは、その後ろ姿だけが見えている。

 元々面頬を身に着けていることもあってその表情はわからなかったが、後ろ姿だけとなった今はもっと、アリツィアがどんな思いでその場にいるのかはわからない。


 一見すると、落ち着き払って、悠然としているように思える。


(緊張しているのだろうな)


 だが、アリツィアと同じく、大勢の兵士を指揮する立場にいるエドゥアルドには、アリツィアが落ち着き払った態度を見せているのも、指揮官としてそうすることが求められているからなのだと理解できていた。


 もしかすると、最初にエドゥアルドをからかったのも、エドゥアルドの緊張をほぐそうとしたからではなく、アリツィア自身の緊張をほぐそうとしたからなのかもしれない。


 エドゥアルドがそう思いつつ見つめている先で、アリツィア王女はさっと、自身の右手を上にかかげた。


 その挙動にみなが注目し、そして、一瞬の沈黙が、辺りを支配する。


「突撃(チャージ)ッ!! 」


 一拍の間を置いて、アリツィアはそう叫ぶと、勢いよくかかげた手を振り下ろしていた。

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