第263話:「鬱屈(うっくつ)」

 サーベト帝国軍によるヴェーゼンシュタットの包囲は、続いている。

 エドゥアルドたちとの交戦によって、精鋭部隊イェニチェリの大部分を失うなど、大きな損害を受けはしたものの、サーベト帝国軍は未だにその総兵力で、オルリック王国軍を加えたタウゼント帝国軍を上回っている。


 そして、エドゥアルドたちが補給路として使用した街道沿いのサーベト帝国軍の陣地は、強化されてしまっていた。

 タウゼント帝国からの反撃がないと油断していたとはいえ、あっさりと攻略されてしまった陣地を、サーベト帝国軍はきちんと改良したのだ。


 多少の知恵がある者であれば、誰でも当然、そうするだろう。

 そしてサーベト帝国軍が陣地を補強したということは、エドゥアルドたちが1度使った手ではもう、ヴェーゼンシュタットに再度の補給を実施することができないということだった。


 エドゥアルドたちの補給作戦が成功したことで、確かにヴェーゼンシュタットは延命することができた。

 籠城軍は戦意を取り戻し、そこに閉じ込められている民衆も希望を取り戻した。


 エドゥアルドの従兄弟、ノルトハーフェン公爵家に連なる血筋にあるフェヒター準男爵もヴェーゼンシュタットに入ったことで、籠城軍は簡単には動揺しなくなったようだった。

 ノルトハーフェン公爵家、すなわち皇位継承権を有する帝国の被選帝侯に連なる者がいるということは、血のつながりを重視する貴族社会が強い権力を握っているタウゼント帝国では、なによりの保証とみなされるからだ。


 だが、実際のところは、状況はあまりよくはない。

 相変わらずタウゼント帝国軍は有力貴族であるベネディクト公爵の顔色をうかがい、ヴェーゼンシュタットを救援しようとはしない。


 もし本当に、サーベト帝国軍の補給が、ヴェーゼンシュタットで食料が尽きるよりも長く持ちこたえるのだとしたら。

 ヴェーゼンシュタットは陥落し、そして、大勢の者が捕虜となるかもしれない。


 そしてそうなれば、自ら志願して籠城軍に加わったフェヒターも、捕虜となるのだ。


 皇帝選挙でのライバルとなるズィンゲンガルテン公爵の力を、できるだけ弱らせる。

 ベネディクトはそういう思惑で動いているはずだったが、しかし、考えてみれば、サーベト帝国軍を利用して、自身の最大のライバルを消そうとしていたとしても、おかしくはない。


 だとすればこのまま、ヴェーゼンシュタットが陥落するその時まで、ベネディクトは自身の影響力を行使してタウゼント帝国軍を傍観者(ぼうかんしゃ)でいさせるかもしれない。


 アリツィア王女の発案になる総攻撃を却下されて以来、エドゥアルドの脳裏にはそんな懸念がよぎるようになっていた。


(決して、あり得ない話ではない……)


 同じタウゼント帝国の被選帝侯、古くからの親類だから、まさか滅ぼそうとは考えないだろうと、そう思いたい。

 だが、ここでフランツ公爵を消すことができれば、次期皇帝はほぼ確実に、ベネディクトの手に渡ることとなる。


 タウゼント帝国の皇帝は絶対の権力者ではなかったが、それでも、タウゼント帝国においては至高の存在だ。

 なりふりかまわず、ベネディクトが皇帝位を狙ったとしても、決して不思議ではない。


 後にその過程が問題として問われる可能性があるのだとしても、皇帝にさえなってしまえば、タウゼント帝国の諸侯はベネディクトを尊崇しなければならないのだ。


 そして、後世に残る歴史には、ベネディクトの悪辣(あくらつ)とさえ言える策謀は残されないだろう。

 なぜなら、後世に残る歴史書を編纂(へんさん)するのは、皇帝となったベネディクトの意向を受けた者になるはずだからだ。


 エドゥアルドは、鬱屈(うっくつ)とした気持ちだった。


「あの……、エドゥアルドさま? 」


 ノルトハーフェン公国軍の野営地で、自身のために用意された天幕の中でイスに腰かけ、険しい表情で腕組みをしていたエドゥアルドの顔を、いつの間にかルーシェが心配そうな表情でのぞき込んでいた。


「今日のお食事、あまり、お気に召さなかったのでしょうか……? 」


「あ、ああ、すまない。

 別に、そういうわけではないんだ。

 ただ、少し考えごとをしていただけで……。


 すぐに、食べてしまうから」


 心配そうに、そして申し訳なさそうなルーシェの言葉に、エドゥアルドは我に返って少し慌てる。

 夕食の途中だったのだが、あまりにも気分が鬱屈(うっくつ)としてしまって、思わず食べる手を止めてしまっていたのだ。


 エドゥアルドのために用意された食事は、戦場のものらしく質素なものだった。

 以前は1人で公爵家の厨房(ちゅうぼう)を守っていたメイドであるマーリアも従軍してきているから、作ってもらおうと思えばいくらでも豪華な食事を用意できるのだが、公爵だからと言って自分だけ贅沢をするのは将兵に悪いからと、エドゥアルドが望んで質素にしているのだ。


 食事の内容は、タウゼント帝国では一般的なスープ料理であるアイントプフと、パンに、チーズ。

 ただ、アイントプフには、エドゥアルドの好物の、オストヴィーゼ公国産のソーセージがたっぷりと入っている。

 エドゥアルドとは盟友関係にあるユリウス公爵らの好意で簡単に入手することができるだけではなく、エドゥアルドの好物だから、と、ルーシェがスープをよそう時に、少しだけ多めにソーセージを入れてくれるからだ。


 エドゥアルドはルーシェが自分を優遇してくれていることに気づいてはいたが、そのことについてなにも言わなかった。

 兵士たちとできるだけ同じ食事をしようとは思ってはいるものの、ほんの少し具材の割合が変化することくらい、許してもらえるのではないかと思うからだ。


 食事はもう半ば冷めかけてしまっていたが、エドゥアルドは気にすることなく平らげた。

 食べ残せばメイドたちに料理の出来が悪かったのではないかとあらぬ心配をさせてしまうし、なにより、エドゥアルドは食べるだけだが、メイドたちにはこの後に片づけという仕事があることを知っているからだ。


 それが彼女たちの仕事であることは知っている。

 しかしエドゥアルドは、タウゼント帝国の他の諸侯が民衆を無視して政争にいそしんでいるのを見るにつけ、自分はあのように、自分に仕えてくれている人々や民衆の都合を考えられないような人間にはなりたくないと、心の底からそう思っている。


 食事をしたことで空腹はすっかり消えてなくなったのだが、しかし、エドゥアルドの気分は晴れなかった。

 自分はこうしてきちんとした食事ができているが、ヴェーゼンシュタットでは数えきれない民衆が、飢餓(きが)の心配をしながら、わずかな配給のパンを一切れずつ大切に食べているのを知っているからだ。


 そんなエドゥアルドの下を、オルリック王国の王女・アリツィアがたずねてきたのは、ルーシェが用意した食後のコーヒーを飲んでいた時のことだった。

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