第258話:「イェニチェリ:3」

 エドゥアルドに率いられた近衛歩兵連隊は、前面に軽歩兵部隊の散兵線を構成せず、戦列歩兵と擲弾兵を先頭にイェニチェリへと向かって行った。

 これは、軽歩兵部隊は軽野戦砲部隊の支援につけているというのと、近衛歩兵連隊はすでに戦闘隊形にあり、隊列の変更のために軽歩兵からの支援は必要なかったためだ。


 兵士たちの歩調を合わせるためのドラムの音がかき鳴らされ、兵士たちを鼓舞する笛の音色に合わせて、近衛歩兵連隊が前進していく。


 その出現は、イェニチェリもすぐに気づき、注意を引いたようだった。

 というのは、近衛歩兵連隊の将兵は、一般のノルトハーフェン公国軍の将兵よりも目立つ軍装を身に着けていたからだ。


 ノルトハーフェン公国軍の近衛歩兵、精鋭の兵士たちがあらわれた。

 その事実を受けて、イェニチェリはモーント大佐の部隊を攻撃し続ける一方で、予備兵力として温存していた部隊をエドゥアルドたちの方向へと差し向け、新たな戦線を構築した。


 最初に銃火を浴びせたのは、イェニチェリの側だった。

 彼らは先に隊列を整え、近衛歩兵連隊がマスケット銃の射程に入って来るまで待ちかまえていたのだから、先に発砲できるのは当然だ。


 戦列歩兵部隊の衣装は、敵にこちらとの距離を誤認させ、有効射程外からマスケット銃を発砲させることを狙った造りになっている。

 しかし、イェニチェリは精強な職業軍人の軍隊であり、この射撃は十分に近衛歩兵連隊を有効射程内にとらえてから行われていた。


 イェニチェリの隊列が硝煙におおわれるのと同時に、先頭を進んでいた兵士たちが、バタバタと倒されていく。

 血しぶきや肉片が飛び散り、被弾した者は苦悶の声をあげながら崩れ落ちた。


 だが、近衛歩兵連隊も、ノルトハーフェン公国の精鋭だった。

 味方が倒されつつも、近衛歩兵連隊は前進を続けて敵の前面で隊列を整えると、士官の号令に従って射撃態勢を取った。


 イェニチェリの姿は、発砲の硝煙に隠れてまだ正確には見て取ることはできない。

 しかし、その硝煙の向こうで彼らは、次の射撃を実施するために再装填を急いでいるはずだった。


 正確に狙いをつけることができるのならそれに越したことなどなかったが、そこに密集隊形を取った敵がいるとわかっている以上、硝煙が晴れるのを待つまでもない。

 号令に従って整然とマスケット銃をかまえた近衛歩兵連隊の兵士たちは、「撃て! 」の号令に従って、一斉にマスケット銃を発射した。


 また、硝煙が濃くなる。

 だが、その向こうでは、先ほど敵の一斉射撃を受けた近衛歩兵連隊と同じように、多くのイェニチェリの将兵が銃弾に倒れているはずだった。


 近衛歩兵たちは、士官からの「装填! 」の号令に従って、素早く再装填を実施する。


 ノルトハーフェン公国軍は、先々代の公爵が精強な軍隊を好んで厳しい訓練を行って以来、タウゼント帝国の諸侯の中でも最精鋭として知られていたが、現在でもその伝統を受け継いでいる。

 その中でももっとも練度の高い兵によって構成されている近衛歩兵連隊は、短時間であれば、最速で15秒ほどで次発の装填を終えることができた。


 そして近衛歩兵連隊の再装填は、先に一斉射撃を終えて装填作業に入っていたはずのイェニチェリが再装填を追えるのとほとんど同時に完了していた。


 2回目の斉射は、双方、ほとんど同時に行われた。

 互いの隊列の間に濃密な硝煙が生まれ、その硝煙の霧の中を飛翔した弾丸が、双方の戦列を構成している歩兵たちをなぎ倒していく。


 馬上にいるエドゥアルドのすぐ近くを、敵の流れ弾が通り過ぎて行った。


「公爵殿下、危険です!

 せめて、下馬なさいますよう」


 エドゥアルドの近くにも流れ弾がおよんできたことで、エドゥアルドの周囲を護衛するようにしていたミヒャエル大尉がそう言ったが、エドゥアルドは首を左右に振った。


「いや、ここでいい。

 ここの方が指揮をしやすいし、あの濃い硝煙では、狙撃するなど不可能だろう」


 あるいはこれは、勇気ではなく、蛮勇と呼ばれるようなことなのかもしれない。

 エドゥアルドは内心でそう思いつつも、しかし、自分1人だけ兵士たちの背中に隠れるつもりにはなれなかった。


 前列では、銃弾を受けて倒れながらもまだ生きている兵士たちが苦悶のうめき声をあげる中、次の斉射を行うために歩兵たちが再装填作業を行っている。

 次の弾丸は自分を貫くかもしれないと知りながらも、兵士たちはエドゥアルドの命令を信じて、戦っているのだ。


 そんな彼らの姿を、若いエドゥアルドは自身の目でしっかりと見ていたかった。


 そしてエドゥアルドが見ている前で、最前列では白兵戦が始まろうとしていた。

 マスケット銃の再装填速度で近衛歩兵連隊に劣っていると理解したイェニチェリが、射撃戦では不利だとして、喚声(かんせい)をあげて突撃して来たからだ。


 硝煙のカーテンを突き破り、イェニチェリの兵士たちが姿をあらわす。

 そうかと思うと、すぐに前列では白兵戦が始まり、両軍の兵士が入り乱れた乱戦状態へとなっていた。


「公爵殿下。

 軽野戦砲部隊が、敵側面へと進出することができました。

 射撃準備完了し次第、支援が始まります」


 その時、エドゥアルドと共にここまで進んできたアントンが、伝令将校からの連絡を受けてエドゥアルドにそう報告した。


「よし、来たか」


 エドゥアルドはその報告に少し微笑みながらうなずく。


 一定の場所に留まることなく、戦況に応じてもっとも有利な状況に移動して、迅速に射撃を加える。

 そのために作った部隊だったが、軽野戦砲部隊はその実力を十分に発揮できているようだった。


 前線では白兵戦が始まっているが、側面からならば、敵の隊列の後方を狙うこともできる。


 エドゥアルドはこの側面に形成した放列からの射撃で、一気に勝負がつけられると思っていた。

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