第257話:「イェニチェリ:2」

 モーント大佐の部隊は、苦戦を続けていた。

 サーベト帝国軍の騎兵部隊によってかき乱され、指揮下の各歩兵部隊が分断されて個別に方陣を作って防御せざるを得ない状況に追い込まれているだけではなく、イェニチェリによる激しい攻撃を受けているからだ。


 イェニチェリは、ヘルデン大陸の諸国家の軍隊と同じく、マスケット銃で武装した軍隊だ。

 その戦法は、タウゼント帝国軍の戦列歩兵部隊と同じ、隊列を組みながらのマスケット銃での一斉射撃だった。


 サーベト帝国の言葉で[新しい兵隊]を意味するその名の通り、イェニチェリはヘルデン大陸で広まった、小銃の一斉射撃という、部隊の創立当初は新しかった戦法を使いこなすために作られた部隊だ。

 創設からすでに数百年も経過しており、今となっては決して新しいわけではなかったが、伝統的な職業軍人として訓練に励んできたイェニチェリの将兵の練度は高い。


 その装填速度、そして射撃精度は、一般的なタウゼント帝国軍の兵士を上回っている。

 イェニチェリは精鋭の名に恥じない、強力な軍隊だった。


 そのイェニチェリを撃退し、モーント大佐と、その指揮下で戦っている兵士たちを救う。

 そうするために、エドゥアルドは予備兵力として温存されていた近衛歩兵連隊と共に、自ら愛馬の青鹿毛の馬にまたがって、出撃していた。


「公爵殿下がおいでにならずとも、ここは、我々だけで」


 エドゥアルドが出撃しようとした時、近衛歩兵連隊の連隊長、ペーター・ツー・フレッサー大佐はそう言ってエドゥアルドを止めようとしたが、しかし、エドゥアルドは出撃するという意思を変えなかった。


「いや、ペーター殿、お気づかいは無用だ。


 貴殿たちを動かしてしまえば、我が本営に兵力はいなくなる。

 そんなところに残るよりは、貴殿たちと共に進んだ方が、よほど安全だ。


 なにより、僕はモーント大佐たちを、勇敢な兵士たちを救ってやりたいのだ」


 そうはっきりと断言されてしまったら、ペーターはもう、なにも言えなくなってしまう。


「ルーシェちゃんが今頃、心配してるだろうになぁ……」


 だからペーターは、口の中でごにょごにょとそんな言葉を呟きながらも、引き下がってエドゥアルドが自ら陣頭に立つことを認めるしかなかった。


 確かにこれは、危険な行為だった。

 前線に出るということは敵弾が飛んでくるということであり、エドゥアルドが負傷、悪くすれば戦死する、という危険は無視することができない。


 しかし、その危険がある一方で、兵士たちの士気は間違いなく上がった。


 ノルトハーフェン公爵自身が、陣頭に立つのだ。

 それは、兵士たちと共にエドゥアルドが戦うということであり、その、兵士たちだけに危険を押しつけずに自ら陣頭に立つという姿勢は、兵士たちの影にコソコソ隠れて、それなのに偉そうに命令だけは下すという一般的な貴族に比べればはるかに、兵士たちからの印象がよかった。


 エドゥアルドが陣頭に立つということで、当然、アントンたち幕僚たちや、ヴィルヘルムも共に戦陣に加わった。

 エドゥアルドを守る、という目的もあるが、ノルトハーフェン公国軍の指揮系統はエドゥアルドを頂点としており、結局のところアントンたち幕僚だけが残っても勝手に命令を出せるわけではないから、エドゥアルドの近くにいる必要があるのだ。


 ノルトハーフェン公国軍の近衛歩兵連隊は、ただちに前進を開始した。

 その攻撃目標は、モーント大佐の部隊をかき乱し続け、包囲攻撃を加えている騎兵部隊、そして、正面からマスケット銃の斉射を浴びせつつ前進を続けているイェニチェリだ。


 このエドゥアルドたちの攻撃を、先ほど、他のサーベト帝国軍の攻撃を跳ね返すのに威力を発揮した軽野戦砲部隊が支援する。

 この部隊はそもそも、こういうふうに、戦況に応じて迅速に砲兵火力を発揮させるために設立された部隊なのだから、これは想定通りの使い方だった。


 軽野戦砲の部隊は駆ける馬によって勢いよく牽引され、そして、すぐに射撃位置について放列を敷いた。

 そしてその砲口からまたブドウ弾による射撃を開始し、まず、モーント大佐の部隊の後方に回り込んでいたサーベト帝国軍の騎兵部隊を攻撃した。


 そしてその射撃を終えると、軽野戦砲部隊は再び砲を馬につなぎ、陣地転換を開始する。

 いかに大砲による射撃が強力であろうと、騎兵部隊の接近を受けて白兵戦に巻き込まれようものなら、ひとたまりもないからだ。


 サーベト帝国軍の騎兵部隊は、軽野戦砲による射撃を受けても撤退はせず、それどころか、反撃するために向かってこようとしていた。

 機動力のある騎兵にとって、砲兵を攻撃するというのは求められる役割の一つであったし、自衛用のサーベルやピストルくらいしか持っていない砲兵部隊は、騎兵部隊にとっては絶好の目標なのだ。


 騎兵が砲兵を狙ってくるということは、当然、エドゥアルドたちは予想していた。

 だから放列の後方には軽歩兵の部隊をひかえさせており、騎兵たちが向かって来るのを確認すると、軽歩兵の装備する前装式ライフル銃で狙撃させた。


 サーベト帝国軍の騎兵たちは、相手が接近戦では軽装備しか持たない砲兵部隊だと思って、隊列も整えずに、バラバラに突撃してきていた。

 だから、精度の良いライフル銃による狙撃によってバタバタと馬上から撃ち落されると、とたんに、衝撃力を失って行った。


 騎兵の最大の威力は、馬の速度と、質量を乗せた突進だ。

 その威力があるからこそ騎兵は歩兵の隊列を突き崩し、かき乱すことができるのだが、その威力を失った騎兵は脆かった。

 馬に乗っている分被弾面積が大きいから、射撃戦では圧倒的に歩兵に対して不利なのだ。


 サーベト帝国軍の騎兵部隊は損害を受け、また、新手が接近してきていることを知ると、いったん、後退した。

 そうして、エドゥアルドたちはまずは、モーント大佐の部隊を包囲攻撃の危機から救うことができた。


 だが、イェニチェリによる攻撃は、少しも衰えを見せなかった。

 モーント大佐の部隊が粘ったことによってエドゥアルドたちの救援が間に合ってはいたものの、モーント大佐の部隊はこれまでの戦闘で少なくない被害を受けており、イェニチェリの指揮官はこのまま攻撃すれば圧倒できると判断しているようだった。


 そしてなにより、イェニチェリはサーベト帝国の皇帝直属の精鋭部隊であるという矜持(きょうじ)が、彼らに後退という選択を選ばせなかった。


 エドゥアルドはイェニチェリの攻撃を押し返すために、隊列を整えた近衛歩兵連隊の兵士たちと共に、前進を開始した。

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