第247話:「魅惑の輝き」
タウゼント帝国の帝冠。
それを戴(いただ)くために、エドゥアルドは民衆を味方につけていくべきだ。
ヴィルヘルムは、本気でそう考えているようだった。
「公爵殿下は、すでに、よくご存じのはずでございます。
このままでは、我がタウゼント帝国の未来は、決して明るいものとはならない、と」
ヴィルヘルムの真剣な視線に驚き、戸惑っているエドゥアルドに、ヴィルヘルムはさらに、たたみかけるように言葉を続ける。
それはまるで、エドゥアルドに、皇帝となる野心を芽生えさせようとしているようだった。
「軍議の場での、ベネディクト公爵のなさりよう。
他の帝国諸侯の、態度。
政治は、貴族のもの。
生まれながらにして貴族は世界を支配する権利を持っており、民衆のことなど、二の次、三の次。
貴族同士の力関係、思惑が、すべてを左右する。
そのようなありようで、果たして、これからもタウゼント帝国が立ちゆくのかどうか。
アルエット共和国のような新しい力を前に、サーベト帝国のような抜け目のない隣国を前に、どこまで立ち向かっていくことができるのか。
公爵殿下は、ご心配なさっているのではないですか? 」
そのヴィルヘルムの言葉に、エドゥアルドは思わず、顔をしかめていた。
このまま、タウゼント帝国は繁栄し続けることができるのか。
貴族の都合や思惑ですべてが取り決められ、民衆のことなど二の次にして政治工作に明け暮れるような、危機感のない、旧態依然としたありようで、これから先も成り立っていくのか。
実際のところエドゥアルドは、不安に思っているのだ。
自分は、ノルトハーフェン公爵として、自国のことをまず、第一にしたい。
それはエドゥアルドのウソ偽りのない本心であり、指針だったが、しかし、ノルトハーフェン公国が属するタウゼント帝国が安泰でなければ、ノルトハーフェン公国も安泰ではいられない。
おそらく、このままいけば、タウゼント帝国は変わらないままだろう。
カール11世がやがて退位し、ベネディクトかフランツが新たな皇帝となっても、貴族が中心のまま、危機よりも貴族同士の駆け引きが優先されるような状態が続いてしまう。
そうしてもしも、タウゼント帝国が大きく衰退するようなことがあれば。
ノルトハーフェン公国も、その影響を強く受けるに違いなかった。
そんなことになるくらいなら、いっそのこと、自分が皇帝になって、この国を導いてしまえばいい。
それは確かに、エドゥアルドにとって魅力的な提案だった。
たとえ皇帝になったところで、すべてをエドゥアルドの思い通りにできるわけではない。
それは、カール11世の苦労を見ていれば、否応もなしに理解せざるを得ないことだ。
しかし、他の貴族たちが気づいていない、貴族たちの持っている力の源泉である民衆を、味方につけてしまえば。
エドゥアルドは、皇帝として貴族たちを介さずに直接民衆を従え、タウゼント帝国がこれまで保ってきた貴族中心の社会を変革し、新しい形で、より強力な国家とすることも可能だろう。
貴族たちは当然、エドゥアルドのそのやり方に反発するのに違いない。
先祖代々受け継いできた貴族としての既得権益は、これから先も、子々孫々に受け継がれて行って当然、と考えているのが貴族という存在であり、その貴族たちから既得権益を奪えば反感をかうことは当然だった。
しかし、民衆さえ、エドゥアルドを支持してくれていたら。
貴族の反発など、いったい、どれほどのことがあるというのだろうか?
貴族がどれほどエドゥアルドを攻撃せよと命令したところで、兵士たちが動かなければ、どうすることもできないだろう。
その兵士たちとはすなわち、民衆なのだ。
民衆がエドゥアルドを支持する限り、貴族たちがどれほど権威を振りかざそうと、エドゥアルドの行うことにケチなどつけられない。
国家を統治できるのは、貴族だけである。
タウゼント帝国の貴族階級が生まれながらにして保有しているその意識を、エドゥアルドもかつては有していた。
しかし、アルエット共和国軍という存在を知り、ノルトハーフェン公国で議会を開いて平民たちと意見を交換したことで、エドゥアルドはその古い意識を捨て去ることができている。
だからこそ、ヴィルヘルムの言う、民衆を味方にせよという意味が、理解できる。
そして同時に、本当に民衆を味方にすることができれば、エドゥアルドが皇帝になってタウゼント帝国を改革し、次の数百年の繁栄の基礎を築くことも不可能ではないと、そう思えてしまうのだ。
そうじて、エドゥアルドが基礎さえ築いてしまえば。
時の為政者がよほどの間違いを犯さない限り、国家は安泰でいられるだろう。
そして、タウゼント帝国が安泰で、そこに暮らす人々が豊かで幸福であるのなら、当然、ノルトハーフェン公国も安泰で、そこで暮らす人々も豊かで幸福であるはずなのだ。
それは、エドゥアルドにとって、大きな魅力だった。
ノルトハーフェン公爵としてノルトハーフェンに暮らす人々に最良の恩恵をもたらすことができるだけではなく、エドゥアルドの力によって、タウゼント帝国に住む数えきれないほど大勢の人々に恩恵をもたらすことができるからだ。
自分の一生で、それほどのことを、もし、できるとしたら。
それほど誇れることなど、他にはないはずだった。
「ヴィルヘルム。
あまり、大それたことは言わないでくれ」
しかしエドゥアルドは、皇帝という、その魅惑の輝きから視線をそらした。
タウゼント帝国をこのまま、政争に明け暮れている古い体質の貴族たちに任せていてはいけないということは、わかっている。
かといって、エドゥアルドが権力を掌握して、すべてをうまく運ぶことができるかどうか。
その自信が、エドゥアルドにはまだないのだ。
ノルトハーフェン公国のことならば、うまく治められる。
しかしタウゼント帝国は、ノルトハーフェン公国よりもはるかに巨大なのだ。
「今はとにかく、ヴェーゼンシュタットの、ズィンゲンガルテン公国の民衆を救うことに注力したい。
僕にはまだ、自分が皇帝などという存在にふさわしいかどうか、わからないのだ」
そのエドゥアルドの言葉に、ヴィルヘルムは特に失望した様子もなく、ただ、わずかに優しい微笑みを浮かべてうなずいていた。
「殿下は、誠実なお人柄です。
ですから、それが本当に国家にとって、民衆にとって最良の選択であるのかどうか、お悩みになられるのでございましょう。
そんな公爵殿下のことを、私(わたくし)は、自身の力の及ぶ限り、お支えさせていただきたく思っております」
「ヴィルヘルム……」
エドゥアルドは思わず、ヴィルヘルムのことを見返していた。
皇帝、カール11世とヴィルヘルムがいったい何を話したのか。
エドゥアルドは詳細を知らなかったが、しかし、それ以来、ヴィルヘルムの様子が変化したことには気がついていた。
なんというか、以前よりも、直線的にものを言うようになった。
まるでなにか、ヴィルヘルムの中にあったつかえが、消え去ったような印象だった。
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