・第15章:「ヴェーゼンシュタット攻防戦」

第244話:「ヴェーゼンシュタットの危機」

 タウゼント帝国軍とサーベト帝国軍との戦線は、オルリック王国軍の来援があっても動くことはなかった。

 次期皇帝選挙の実施を見すえ、ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトが、彼が皇帝位を狙う際の最大のライバルとなるズィンゲンガルテン公爵・フランツの力を少しでも削ごうと、ズィンゲンガルテン公国に消耗を強いる持久戦を行う方向に、タウゼント帝国を誘導しているためだ。


 軍隊の行動には多くの物資が消耗されるから、ベネディクトにだって長期戦は不利なはずだった。

 しかしながら、ベネディクト公爵の領地は帝国にとって西の守りの要であり、未だに正式な講和条約の締結がなされないままとなっているアルエット共和国に対する抑えのため、ヴェストヘルゼン公国軍はその主力を領地に残し、今回の戦役には5000名という少数の兵力で参戦している。


 確かに長期戦は消耗があるが、ベネディクトが受ける消耗は、ズィンゲンガルテン公国や、その他の諸侯に比較すれば、ずっと小さなものとなる。


 そしてなにより、侵略の舞台となっているズィンゲンガルテン公国では、サーベト帝国軍が撤退しない限り、正常な経済活動ができない。

 元々ズィンゲンガルテン公国はタウゼント帝国内でも豊かな土地だったが、他の諸侯の垂涎(すいぜん)の的となっているその国土も、サーベト帝国による略奪で荒れている。

 このまま長期戦となれば、ズィンゲンガルテン公国はその領地の復興もできないのだ。


 このまま長期戦が続けば、戦いが終わるころには、ベネディクトが次期皇帝の筆頭候補となっているはずだった。


 フランツ公爵は、政治工作を得意としている。

 ズィンゲンガルテン公爵家は代々政略結婚で盤石な政治基盤を築き、タウゼント帝国内で大きな政治的な発言力を構築して来た一族なのだ。


 本来であれば、ベネディクトがこのような策謀をめぐらそうと、フランツはその政治力で対抗できるはずだった。

 しかし、フランツと懇意(こんい)にしている帝国南部の諸侯の多くはフランツと共にヴェーゼンシュタットに籠城しているか、自国領の防衛のためにタウゼント帝国軍に参加できておらず、フランツに代わって彼の立場を擁護してくれる諸侯は少なかった。


 ベネディクト公爵にとっては、今回の戦役は、次期皇帝選挙で優位に立つための、千載一遇のチャンスなのだろう。

 だからこそ彼は、普段はあまりしないような策謀をめぐらせている。


 エドゥアルドは、あくまでフランツ公爵との比較においてだが、ベネディクト公爵のことを好意的に見ていた。

 豪放で武人然とした性格は、質実剛健を好むエドゥアルドには共感しやすかったし、戦場においては少なくとも他の兵士たちと共に戦い、部下たちと危険を共にすることを厭(いと)わないというベネディクトの姿勢には、共感が持てる。


 だが、いくら次期皇帝を巡る駆け引きの一環とはいえ、多くの民衆を巻き込み、危険にさらしていることは、エドゥアルドにとっては不愉快なことでしかなかった。


 敵は大軍だから、持久戦に持ち込めば必ず撤退せざるを得なくなる。

 ベネディクトがタウゼント帝国軍に長期戦を選ばせるために主張しているのはそうした予測だったが、秋が到来し、それどころか徐々に冬の気配が感じられるまで季節が巡っても、サーベト帝国軍は撤退を開始しなかった。


 それは、サーベト帝国軍が略奪によって数多くの物資を集めることに成功していただけではなく、タウゼント帝国側がサーベト帝国軍の補給線に対し、積極的な攻撃をしかけていないせいだった。

 エドゥアルドやユリウス、アリツィア王女などは、騎兵部隊を主体とした遊撃部隊を派遣し、サーベト帝国の補給線を切断するべきだと主張したのだが、ベネディクト公爵らの反対に遭い、実現できていない。


 兵力劣勢な状況で、こちらの戦力を割くなどもってのほかである。

 それがベネディクトの主張だったが、真の狙いは、違っているだろう。


 この戦いをできるだけ長引かせ、ズィンゲンガルテン公国の衰退をより確実なものとする。

 ベネディクトはその思惑を、徹底しているようだった。


 20万もの大軍を遠く離れた本国からの補給だけでは維持できないはずだから、サーベト帝国も徐々に弱ってはいるはずだった。

しかし、強固な要塞に籠もって、豊富な備蓄物資を頼りに籠城しているはずのズィンゲンガルテン公国の方が、ピンチに陥りつつある。


 というのも、サーベト帝国軍が広範囲で略奪を実施したため、ズィンゲンガルテン公国の民衆の内の多くが、領主であるフランツ公爵を頼ってヴェーゼンシュタットへと逃げ込んでいるからだ。


 人の数が増えれば、口の数も増える。

 ヴェーゼンシュタットに蓄えられていた食料は大勢の避難民たちによって消費され、急速に枯渇(こかつ)しつつあるのだ。


 ヴェーゼンシュタットは現在もサーベト帝国軍による包囲下にあるが、その状況は、かなり詳細に伝わってきている。

 というのも、サーベト帝国軍は相変わらずタウゼント帝国軍による攻撃を誘引しようと、ヴェーゼンシュタットからタウゼント帝国軍へと向かう使者に対し、形ばかりの妨害をするだけで通過させているからだ。


 ヴェーゼンシュタットから脱出して来た使者によると、ヴェーゼンシュタットでの食糧事情は相当、悪いらしい。

 厳格な配給制がしかれ、今のところ配給自体は継続できているものの、配給量は通常の半分以下にまで落ち込み、不足分は家畜や軍馬などを肉にして補っている、という状況だった。


 まだ飢餓状態ではないが、このまま包囲があと1か月も続けば、いよいよ食べるものがなくなってしまうのだという。


 こういった状況に陥ってしまっているのは、ズィンゲンガルテン公国の側にも原因があった。

 というのは、大勢の避難民を受け入れてしまったのにもかかわらず、「すぐにタウゼント帝国軍の救援がある」と楽観し、当初、配給量を制限せず、大勢の避難民がいることを考慮せずに通常通りに食料を配ってしまったのだ。


 しかし、ベネディクトの誘導により、タウゼント帝国軍はヴェーゼンシュタットの救援には乗り出さなかった。

 長期戦になりつつあると気づいたズィンゲンガルテン公国はすぐに配給の量を絞ったのだが、時すでに遅く、飢餓はもう、目前にまで迫ってきてしまっている。


 なにより深刻だったのは、籠城している人々の戦意の低下だった。


 ベネディクト公爵の思惑を知らないヴェーゼンシュタットの人々は、援軍としてやってきたはずのタウゼント帝国軍がまったく動こうとしない状況を見て、「見捨てられた」と感じ始めている。

 援軍の到着に喜び、人々は大きく戦意を高めていたはずなのに、今はその喜びがかえって、深い絶望へと変わりつつあるのだ。


 このままでは、遠からずヴェーゼンシュタットは陥落しかねない。


 こうした状況を受けてエドゥアルドは、皇帝に軍議を開催することを要望し、そして、その席で、義兄弟であるユリウス公爵、民衆の救援に積極的なアリツィア王女と協力して、ヴェーゼンシュタットへの補給作戦を強く主張することとなった。

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