第242話:「お近づき:2」
心底楽しそうな、アリツィア王女の笑い声。
その声にエドゥアルドが振り返ると、アリツィアは口元を手で隠しながら、肩を震わせて楽しそうに笑っている。
「いや、エドゥアルド公爵。
そのコは、大丈夫。
きっと、なんでもないよ。
ただ、そう。
女の子には、そんなふうになってしまうことがある、というだけのことさ! 」
そしてアリツィアは、エドゥアルドにそう教えてくれる。
「私はこの通り、馬にも乗るし、武芸も達者な、男の子のような王女だけれども。
それでも、れっきとした女の子なんだ。
だから、その点は保証するよ? エドゥアルド公爵」
アリツィアはそう言って確約したが、しかし、エドゥアルドにはよくわからない。
同じ人間であるはずなのに、女性限定でかかる病気などというものがあるのだろうかと、そんなふうに思ってしまうからだ。
少なくともエドゥアルドはこれまでの人生で、そんな特殊な病気があるなどとは聞いたことがない。
「あの……、エドゥアルドさま?
ルー、自分で、立てますから。
というか、いったん離していただかないと、その……、もっと、状況が悪化するというか、ですね……? 」
エドゥアルドがいぶかしんでいると、ルーシェが、今にも消えそうな、震える声でそう伝えて来る。
視線をルーシェへと戻すと、ルーシェはエドゥアルドに抱きかかえられたまま、相変わらず耳まで真っ赤に赤面して、今度はふるふると雨にぬれた子犬のように小刻みに震え、そして、若干涙目になっていた。
「エドゥアルド公爵。
言われた通りにしてあげた方がいいよ」
このまま本当にルーシェを離してやった方がいいのか。
エドゥアルドは迷うが、しかし、まだ笑いの残るアリツィアからの、それでも真剣に言っていると思える言葉を聞くと、ルーシェを助け起こして立たせてやった。
ルーシェは、ふらふらとした足取りでエドゥアルドから離れると、なんとかエドゥアルドが腰かけていたイスの背もたれにつかまり、姿勢を保つ。
そうして数回、ルーシェが深呼吸をくり返すと、自分で立てると言っていた通り、ルーシェはなんとかイスから手を離して自力で立ち上がった。
まだ、彼女は耳まで赤面している。
しかしもう公爵家のメイドらしく姿勢を正して立ち、その足取りはしっかりとしたものとなっている。
「まぁ、エドゥアルド公爵、どうぞ、座りなよ。
皇帝陛下は当分、攻撃をお命じ下さらないようだし、せっかくだからもう少しおしゃべりでもしようじゃないか? 」
エドゥアルドはまだルーシェのことが心配だったが、アリツィアにそううながされると、自らの席に戻った。
するとルーシェはいつも通りに動き、エドゥアルドのイスの位置を座りやすいように直してくれる。
まだ赤面は収まってはいないが、もう、ルーシェはメイドとしてちゃんと働けている。
エドゥアルドはわけがわからないような気持だったが、ルーシェは本当にもう大丈夫そうだったし、アリツィアもそう言っているし、これ以上深く追求するべきことではないと思って、イスに腰かける。
「いや、なかなか、おもしろいものを見せてもらったよ、エドゥアルド公爵」
まだいぶかしむような顔をしているエドゥアルドに、アリツィアはテーブルの上に片肘をついて自身の形の良いあごを手の平の上に乗せながら、にやにやとしたいたずらっぽい笑みを浮かべながらそう言った。
いったい、なにがそんなにおもしろかったのか。
やはり、エドゥアルドにはよくわからない。
(アリツィア王女からは、ルーシェの様子が見えていたはずだ。
だとすれば、僕には見えなかったルーシェの変化も、見えていたはずだ)
アリツィアがニヤニヤしている理由はおそらくそのあたりにあるのではないかと推測まではできるものの、それ以上のことはエドゥアルドにはわからない。
「アリツィアさま。
コーヒーのお代わりは、いかがでしょうか? 」
エドゥアルドが思わず腕組みをして考え込んでいるのを横目に、若干赤面が治って来たルーシェが、すましたような口調でコーヒーポットを手にアリツィアにそうたずねる。
これ以上エドゥアルドに心配や迷惑をかけないように、メイドとしての仕事を再開したようだった
「ああ、いただこう」
するとアリツィアはルーシェに楽しそうな、少し意地悪な笑みを浮かべて、空になっていた自身のコーヒーカップを差し出した。
そしてルーシェがコーヒーをつぐと、アリツィアは「ありがとう」と言って、自分でテーブルから砂糖とミルクをとってコーヒーに加えて、味を調える。
(あまり考え過ぎても、わからないものはわからない、か……)
コーヒーを口に運ぶアリツィアの姿を見てそう思ったエドゥアルドは、まだ納得できてはいなかったが、自身もコーヒーのお代わりをもらおうと、カップに残っていた冷めたコーヒーを飲み干そうと口に運ぶ。
しかしエドゥアルドは、危うく、口に含んだコーヒーを吹き出してしまうところだった。
なぜなら、
「ねぇ、エドゥアルド公爵。
お近づきのしるしに、そのコ、ルーシェといったかい?
そのメイドを、私にくれないかな? 」
エドゥアルドがコーヒーを口に運んだタイミングを狙いすましたかのように、アリツィアが真剣な表情と口調を作り、そんなことを要求して来たからだった。
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